“大谷かぶと”脚光の甲冑メーカー、「効果すごいでしょって言われるけど…」手放しで喜べない事情とは
昨年、世界中のベースボールファンの間で話題になったのが、大谷翔平投手がかぶったかぶとだ。製造したのは、鹿児島・薩摩川内市の「甲冑工房 丸武」。4月に海外の販売店を通じて大谷サイドから打診を受けると、活躍のたびに注目が集まった。あれから1年が過ぎ、日本を代表する甲冑製造メーカーは“大谷効果”を享受しつつも、さまざまな課題に直面していた。現地を訪ね、田ノ上智隆社長に聞いた。
大谷のかぶとパフォーマンス、その驚きの経済効果とは?
昨年、世界中のベースボールファンの間で話題になったのが、大谷翔平投手がかぶったかぶとだ。製造したのは、鹿児島・薩摩川内市の「甲冑工房 丸武」。4月に海外の販売店を通じて大谷サイドから打診を受けると、活躍のたびに注目が集まった。あれから1年が過ぎ、日本を代表する甲冑製造メーカーは“大谷効果”を享受しつつも、さまざまな課題に直面していた。現地を訪ね、田ノ上智隆社長に聞いた。(取材・文=水沼一夫)
JR川内駅から車で15分ほど。のどかな田舎道を抜けた左手に突然、武家屋敷のようなテーマパークが現れる。ここが、丸武の本拠地だ。1958年に釣り竿メーカーとして創業し、甲冑メーカーに転身。敷地内には工房を構え、戦国武将展示館、射的場、レストランなどの観光向けスポットが並ぶ。駐車場は広く、観光バスも停車することが可能になっている。
大谷と思いもよらない接点が生まれたのは、昨年4月だった。海外の販売店を経由して、大谷サイドから「セレブレーションで使いたい」と、かぶとの依頼があった。
「パフォーマンスでかぶとを使用したいっていうお話がありまして、何か送れるものはございませんかという内容だったんですね」
一から新たに製造する時間はなかったため、東京の支店に置いてあったかぶとを発送。その3日後、大谷が球場でパフォーマンスを初披露すると、瞬く間に「丸武」の名は知れわたった。
どんなかぶとなのか、どんな経緯があったのか。世の中の関心は注がれ、取材も殺到した。大谷やチームメイトが活躍するたびにかぶとはテレビ画面に映り、世界の目を引きつけた。
「実際のところ、その反響というのは、かぶとに対しては、年間で200前後の注文がありました。その他にはここの施設を訪れるお客様が増えましたね。今もちょっと持続していて、団体さんがお見えになられたり、ツアーでというのもあります。この前も台湾から知事がお見えになられました」
同タイプのかぶとは1個33万円で、購入したのは、経営者や飲食店の店主などだ。海外へのお土産として注文が入った例もあった。丸武ではかぶとや鎧を一般向けに販売しており、その種類は約200に及ぶ。同じかぶとが短期間で200個売れたのは珍しいという。さらにふるさと納税の返礼品としても取り上げられ、田ノ上社長は県庁で知事と会談するなど、地元で一躍“時の人”に。コロナ禍の反動もあり、現在は全体の受注も増加し、「今でだいたい半年待ちぐらいですね」と、田ノ上社長は生産が追いつかない状況を明かした。
難航する職人の確保「人は宝」 社長が17年ぶり現場復帰も…
一方で、田ノ上社長は手放しで喜べない事情もあると付け加えた。
「大谷効果すごいでしょというのは言われます。もうかってるでしょ、もうかったでしょって今でも言われます。ありがたいことですけど……」
背景には地方ならではの課題があった。生産を増やすため、人手を確保したいが、うまくいっていないという。「募集はかけていますけど、人が集まらない」。中でも不足しているのが職人だ。かぶとや鎧を作る作業は、やってみなければ分からない適性がある。「弊社の場合はマニュアルがない。新しい方が入られても育つ方って本当に少ない。人は宝ですね」と実感を込めた。
9月にはキャリア15年の塗装職人が退職。塗装は重要な中間工程で、終わらなければ組み立てに入ることはできない。緊急事態となったが、代わりはいなかった。「どうするの、誰がやるの?」。悩んだ末、現場に入ったのは田ノ上社長自身だった。「僕がやるしかない」。社長として全国を回る中での作業は、時間のやりくりだけでも大変だ。もともとモノ作りは得意だったものの、すべての工程に携わっていたわけではなかった。「実際スプレー缶とか持ったことがない。塗料の種類さえ分からないままで、徹夜とかしながら塗っています」。17年ぶりの現場に体は悲鳴を上げ、3週間で体重は4キロ減少した。
「品物が出てこないことには企業は成り立たない。現場に入ることによって職人さんの大切さがより深く分かりました」
人手不足を補うため、午後9時まで残業する職人もいる。それでも、「今まで2か月待ち、かかっても3か月ぐらいだったんですけどその倍ぐらいの時間かかっていて……」と供給がスムーズにいかない状態が続いている。
「受注生産なので結構お断りもするんですね。例えば月に30個とか50個とか受注もらっても作れないのでお断りをしています」
また、材料費の高騰にも頭を悩ませている。甲冑は金属や木材、糸、布などで作られる。「業者さんはもう軒並み値上げしか言ってこないので。材料はもう常に上がり続けています。経費がどんどん上がっていますね。あと段ボール、電気代。電気代が一番調整はしやすいです」。円安に振れれば、為替の影響も受ける。
大谷効果で従業員の給料はベースアップし、これまで寸志程度だった賞与も個々の実績に応じて平均1か月分を支給できるようになった。ただ、コロナ禍では全国的な祭りの自粛もあり、見入りがほとんどない状態が2年ほど続いた。製造工場を一本化し、40人を超える従業員の雇用は維持したものの、役員の給料は現在も下げ止まったまま。田ノ上社長自身も報酬の20%カットを継続している。
WS制覇大谷の活躍に刺激 「諦めることをしないのはすごく大事」
会社の知名度は向上したものの、事業の継続はこれからだ。「仕事は大変ですよ。やっぱり続けていくのが、ですね。モノ作っても、今はなかなか売れる時代とかでもないので。大量に作れるものでもないですし、売り上げが上がらないのであれば節約していかなきゃいけないっていうのもありますから。もう辞めたいなと思う時もあります」と苦笑い。地方における企業経営の難しさが口を突いた。
地元・薩摩川内の産業として発展していきたい思いは強い。
「大きな企業さんは地元にもいくつかあるんですけど、知名度は結構あるんじゃないかなと思っています。生まれ育ったところなので貢献していきたいです」
理想は地域の人材を採用し、一流の職人に育てていくことだ。まずは存在を知ってもらいたいと、将来を担う子どもたちに講演などを通じて仕事の魅力を伝えている。
「小学校、中学校、あとは専門学校ですね。今、学校関係に問い合わせさせていただいて、今回の大谷さん効果じゃないですけど、少しお話をいろいろさせていただいたりはしています。結構知らない方も多いんですよね。昔の古い鎧を持っていってお見せしたりとか、かぶってもらったりしています」
市内の小学校で行われた野球大会に“大谷かぶと”を持参したことも。「大谷さんが日本全国にグローブを贈られたじゃないですか。薩摩川内市の小学校で野球の大会があったんですよ。大谷さんからいただいたグローブを使って野球されてて、ホームラン打ったらかぶとをかぶろうって話になって、うちもかぶとを持っていかせてもらいました」。これには子どもたちも大喜びで、盛り上げにひと役買ったそうだ。
大谷は今季エンゼルスからドジャースに移籍。メジャー史上初の「50-50」(50本塁打・50盗塁)を達成し、念願のポストシーズン進出を果たした。さらにワールドシリーズを制している。
その姿を見て、田ノ上社長はまた刺激を受けている。
「大谷さんの日々の積み重ねが成果に出ていると思う。普通の人が客観的に見たら、できないことってできないじゃないですか。でも、それをやらないことには可能性は生まれない。努力することが結果となって実ることでもあるので、諦めることをしないっていうこともすごく大事だなっていうのは、大谷さんにも教えられていますね」と前を見つめた。