中村獅童、澤村國矢を幹部に推薦した経緯告白 出番の少ない役も「それだけではいけない」
歌舞伎俳優の中村獅童、尾上菊之助が8日、都内で行われた十二月歌舞伎座第一部『あらしのよるに』の取材会に出席。同公演で「澤村精四郎(さわむらきよしろう)」を襲名する歌舞伎俳優・澤村國矢について語った。
菊之助も称賛「國矢さんの精進と心意気。私も刺激を受けます」
歌舞伎俳優の中村獅童、尾上菊之助が8日、都内で行われた十二月歌舞伎座第一部『あらしのよるに』の取材会に出席。同公演で「澤村精四郎(さわむらきよしろう)」を襲名する歌舞伎俳優・澤村國矢について語った。
國矢は一般家庭の出身で、9歳から劇団東俳や音羽グループに所属。子役として舞台や映像作品に出演し、12歳から世家真流家元・世家真ますみに師事し、日本舞踊を学んだ。歌舞伎は1988年、10歳のときに7月歌舞伎『義経千本桜』の子狐役で初舞台を踏んだ。その後、1995年に二代目澤村藤十郎に入門。同年に初代澤村國矢を名乗った。
獅童は自身が創作した『超歌舞伎』のリミテッドバージョンで國矢に主役の機会を与えるなど引き立て、幹部にも推薦。今回の『あらしのよるに』で國矢は、師匠である澤村藤十郎(紀伊国屋)の芸養子となり、藤十郎の前名「澤村精四郎」を二代目として襲名する。
獅童は、「國矢さんは『超歌舞伎』でずっと共演してきた中で、初音ミクさんのファンの方々からも支持され、國矢さんを主演にするリミテッドバージョンも作りました」と國矢の活躍を評価。しかし、「その数か月後に、ファンの方が歌舞伎座で國矢さんが出演する作品を見に行った時に、少ししか出番がない、“大勢”みたいなお役だったんです。それが現実なのかもしれないけど、それだけではいけない」と一般家庭出身俳優の現実を直視した。
「『それではいけない』と、なんとか会社の方に(國矢の幹部昇進を)お願いしたんですね。すぐに会社が國矢さんの師匠である藤十郎さんに伺ったところ、自分の前名を譲ってもいいと言ってくださった」と経緯を語り、「お弟子さんから幹部の役者になる。國矢さんは一緒に歩んできた超歌舞伎の思い出や共演も多かったので、自分が作った新作(あらしのよるに)の中で、『國矢あらため精四郎』を紹介できるというのは特別な思いです」としみじみ語った。
菊之助は、「國矢さんの精進と心意気ですよね。若い頃から研鑽を積まれて、『超歌舞伎』のリミテッドバージョンも与えられた。いきなりそのチャンスをいただいても、お客さんに応えることができなければ、心をつかまない。國矢さんは、歌舞伎座の亡くなられた方々たちに対する思いをもって精進したからこそ、お客さまに応えることができる基礎ができているのだと思います」と称賛。「技術だけでは、心意気だけではどうしようもない。研鑽を積まれてきたからこそ、師匠の精四郎さんもお名前をお許しになられて継がそうと思われたわけで、そういう方だからこそ私も刺激を受けますし、(他の役者も)精進を怠らず前を進んでいく気持ちになるのではないでしょうか」と語った。
獅童は、「技術があって、『自分もチャンスがあればやりたい』と思っているお弟子さんはまだまだ他にも大勢いらっしゃるんですね」と明かし、「先人が残してくださった大事なものは残して、大切なものは守りつつ、変わらなきゃいけないものは変わっていかないと」と語った。