【スターダム】デビューは母国の“地下プロレス” 5か国語操る才女テクラが日本に興味を持った意外なきっかけ
2018年に初来日を果たしたテクラは、2019年より日本の女子プロレス団体に本格的に参戦し始めた。その後、多くの時間を日本で費やした彼女はマイクアピールやバックステージコメントでも日本語を操り、今はスターダムを席巻するヒールユニットH.A.T.E.の一員として欠かせない選手となった。そんなテクラ、実はデビュー戦は地元オーストリアの“地下プロレス”だった。
美術専攻なのにバンド活動、そして出会った地下プロレス
2018年に初来日を果たしたテクラは、2019年より日本の女子プロレス団体に本格的に参戦し始めた。その後、多くの時間を日本で費やした彼女はマイクアピールやバックステージコメントでも日本語を操り、今はスターダムを席巻するヒールユニットH.A.T.E.の一員として欠かせない選手となった。そんなテクラ、実はデビュー戦は地元オーストリアの“地下プロレス”だった。(取材・文=橋場了吾)
某インターネット百科事典の情報によると、テクラはフランスでデビューしたことになっていた。
「違う、違う、全然ウソの情報なんだよ(笑)。そもそもフランスで試合をしたことがないし……デビューはウィーンの地下プロレス。リングではなくてライブハウスのステージだったよ。地下プロレスだから、お客さんはみんなお酒飲みながら見ていてかなりヤバい雰囲気だった(笑)。デビュー戦からハードコアだったよ、お客さんの中に入っていったりテーブルにぶつけたり、ちょっとヤバい言葉で罵ったりね。めちゃくちゃ楽しかったけど、ステージの板が薄くて全部のバンプが痛かったよ(笑)」
当時のテクラは美術専攻の大学生だった。
「大学は6年くらい行っちゃったんだよね……なんか芸術もやりたくなくなっちゃって、バンドばっかりやってたよ。その中でライブハウスで地下プロレスを見て、興味を持ったんだ。ものすごいインディー団体だったんだけど、ちゃんとリングはあって選手のキャラクターが面白かったね。試合と試合の合間にライブがあって……二日酔いのまま飲みに行った日に、勢いでプロレスをやると言ってしまって(笑)。練習に行ったらめちゃくちゃ楽しくてね。自分としてはチャレンジだったんだけど、頑張ってみようと思ったんだ」
2018年にデビューしたテクラは同年に初来日、19年にアイスリボンにプロレス留学をすることになる。
「高校生の時かな、日本の映画を見て日本の文化に興味を持ったんだ。『大日本人』だったんだけど、意味はわからないけど面白かった。で、自分がデビューしたウィーンの地下プロレスの団体が日本とパイプを持っていて、デビュー数戦でいきなり日本だよ(笑)。そこからアイスリボンを紹介してもらって、6週間練習と試合をして、ウィーンに戻って大学を全部終わらせて……(筆者「まだ大学生だったんですか?」)うん(笑)。でもすぐ日本に戻りたくて、アイスリボンに所属することになったんだ」
「フリーにやること」が一番大事
そのタイミングで世界中がコロナ禍となり、テクラは日本に残ることを決意する。そして2022年1月、テクラはスターダムマットにジュリア率いるドンナ・デル・モンド(以後DDM)の一員として登場した。
「ジュリアとはアイスリボン時代に接点があったんだけど、彼女が移籍してからはずっと会っていなかったんだ。それが偶然ジュリアと会うことになって、どんどん話が進んでスターダムに来ることになった」
その後すぐにSWA世界王座、アーティスト・オブ・スターダム王座を獲得するなど活躍していたテクラだが、今年1月から3か月ほど姿を消す。そして戻ってきたときにはヒールユニット大江戸隊への加入を表明した。
「DDMは最高にクールでカッコいいユニットだった。でもテクラの自由にできたかというとそれは違う。しっかりとした方向性があって、その方向性に合うことをやるユニットだった。だからもっとフリーにやりたいと思った。外から見ていて、一番フリーにやっていたのが大江戸隊。この“フリー”というのは一番大事なことかもしれない」
※9日掲載の後編へ続く