銀シャリ橋本直、トレードマークの青ジャケ誕生秘話 劇場支配人からの「早く着替えろ」がきっかけ
お笑いコンビ・銀シャリのツッコミ担当の橋本直(44)が、初のエッセイ集『細かいところが気になりすぎて』(新潮社、10月30日発売)を刊行した。橋本が、読書家だった亡き父への思い、中学時代の部活動で日本一になった過去、M-1グランプリ王者の思い出、トレードマークの青ジャケットの秘話を語った。
タッチフットで日本一も「チーム数が少なすぎるんで…」
お笑いコンビ・銀シャリのツッコミ担当の橋本直(44)が、初のエッセイ集『細かいところが気になりすぎて』(新潮社、10月30日発売)を刊行した。橋本が、読書家だった亡き父への思い、中学時代の部活動で日本一になった過去、M-1グランプリ王者の思い出、トレードマークの青ジャケットの秘話を語った。(取材・文=平辻哲也)
日常の些細な出来事に独自の視点でツッコミを入れ続ける橋本。エッセイ集では、ホテルのWi-Fiのパスワードや解読不能なカフェのメニュー、倒れた飛行機の座席など、ユーモアたっぷりに描かれた20のエピソードを収録。相方・鰻和弘による4コマ漫画も掲載している。
「うれしかったですけど、ちょっと『大丈夫かな?』とも思いましたね。実際、たまに締め切りが遅れたりして申し訳なかったです。休みの日に、喫茶店に通い詰めてたんですけど、追いつかなくなって、結局、スマホで書くようになりました」
漫才のネタも書いている橋本だが、文章を書くのは得意ではなかった。
「全部読み返したら、自分でも、ちょっとうるさいなと(笑)。僕はもともとおしゃべりではなかったんですけど、多分、脳内でたくさんしゃべっていたんでしょう。亡くなった親父は、出版社に勤めたかった人なんで、親父が生きていたら一番喜んでくれそうですけど」
父は橋本が高校1年の時に46歳の若さで亡くなった。部屋の書棚にはいっぱい本が並べられていたが、当時興味があったのは漫画だった。
「どんな本があったのかは記憶があんまりないんですよ。部屋の中、本棚に囲まれて、真ん中にベッドみたいな感じで、1階の廊下も半分、壁面は本棚でビッチリ。ちょっと変わった家だと思うんですけど、難しそうな本ばかりで、あんまり手に取ることはなかったんですよね。やっぱり漫画を読みたいじゃないですか」
本人は読書家ではなかったと言うが、漫才やバラエティーでは、圧倒的な知識量と回転の速いツッコミを披露している。その源泉はどこにあるのか。
「芸人さんのエッセイや話題になった小説など本はよく読む方ですが、勉強しようと思って本を読むことはなく、オールマイティでもない。10代の頃から、テレビが大好きだったんで、多分、情報の蓄積はテレビです。バラエティー、ドラマ、ドキュメンタリー的なやつとか見ていましたね」
兵庫県尼崎市生まれの44歳。関西学院では中等部から大学まで学んだ。
「男子校だったので、過ごしやすかったです。思春期には自意識過剰になりがちだけども、女子がいない分、楽チンだった。似たような感じの友達が多かったんで、スクールカーストもなく、いろんなみんなのコミュニティに顔を出していました。無骨さとピュアな感じがよかった」
中学時代にはアメリカンフットボールの「タックル」を「タッチ」に置き換えた「タッチフットボール」で日本一になったこともある。
「日本一と言っても、チーム数が少なすぎるんで……。滋賀県が関東扱いだったくらいでしたから(笑)。優勝して当たり前、優勝しかない、という感じだったんです。最初はオフェンスライン、後半はディフェンスラインでレギュラーをやっていましたけど、全員がその後大学の日本一になるメンバーだったんです。決勝では、7点取られて、ピンチになったりしましたが、『おもろなってきた』という感覚で、『最終的にはきっと勝つやろ』と思っていたら、案の定勝ちました。でも自分の力で勝った感覚がゼロ。成功体験というほどでもなかったんです」
自分たちのスタイルを「正統派漫才とは思っていない」
高校に入ってからは帰宅部で、テレビ三昧の日々。そこから、お笑いに興味を持ち、吉本興業の養成所「NSC大阪校」に25期として入校した。
「芸人として成功するなんて無理と思ってたんですけど、挑戦したという事実があれば、『お笑い芸人になりたい』という気持ちを自分の中で消化できるかなと思っていたんです。きっと、色々な物事に対してどこかで達観しすぎちゃっているんです。小さい頃から俯瞰でなんか物事を見透かして、かわいくない子どもでした」
2005年8月にNSCの同期だった鰻和弘と「銀シャリ」を結成し、『THE MANZAI』2011、2013、『キングオブコント』2012ではファイナリスト、『M-1グランプリ2016』では王者に輝く。M-1グランプリは3度目の挑戦だった。
「M-1グランプリは途中、中断もあって、僕らが王者になったのは再開して2回目のとき。いまとはだいぶ空気感が違いますよね。2017年から拠点を東京に移すのですが、その前からも東京で仕事していましたし、大阪でもレギュラーがあったので、劇的に生活が変わったというわけでもなかった気がします。アルバイト生活が長い下積み時代もそれほどなかったし、とりあえず、お笑いの神様から『君たちは漫才をやっていいよ』と言われたようで、ホッとしたなという感じでした」
2016年の「M-1グランプリ」は緊張もなく、楽しかったという。
「決勝の時は、スーパーマラドーナ、和牛がウケていたんで、パワーがいるなと思ったのを覚えています。僕らは、自分たちが正統派漫才とは思っていないんですけども、正統派でやっている人たちが少なくなったから、そう呼ばれたんでしょうね。それに、青ジャケットを着てるから、“正統派”に見られやすい感じはありました。僕らの漫才は、ボクサーで言うと、ジャブとストレートのコンビネーション。体に染み込まれたものを愚直に繰り出して、最後に倒すみたいな感じなんです」
トレードマークになっている青ジャケットは、どうやって決まっていたのか。
「最初の1年ぐらいは普通にジャケットとネクタイを着ていました。その1年後ぐらいに青ジャケットにしました。当時は私服で舞台に出る人が多くて、スーツを着ている芸人があまりいなかった。僕らは僕らなりに、衣装用の奇麗なシャツを着てたんですけど、劇場の支配人から、『お前たち、出番だから早く着替えろ』と言われ、それだったらそろいの青ジャケットを着ようと、僕が相方の鰻にいいました。漫才ブームの頃に見た青ジャケットがかっこいいなと思ったんです。この衣装がインパクトがあって、目に留まることも多くなった感じはします」
M-1の賞金1000万円は婚活資金にすると言っていたが、実際はほとんど貯金したという。
「引っ越し費用に使い、親とおばあちゃんに上げましたかね。自分のために残るものを買った記憶はないです。僕は、昭和のオモチャ、サッカーが好きなので、ユニフォームなどを買ったかもしれない」と橋本。漫才で培った「観察力」と「洞察力」で描かれるエッセイ集は、笑いだけでなく人柄や日常へのこだわりも垣間見ることができる。
□橋本直(はしもと・なお)1980年9月27日生まれ。兵庫県尼崎市出身。関西学院大卒業。2005年に相方・鰻和弘と銀シャリを結成し、独特の軽妙な言葉遊びと緻密なボケとツッコミで注目を集める。2016年にはM-1グランプリで優勝し、その名を全国に広める。ツッコミの名手として知られ、シンプルで正統派のスタイルを貫きながらも、観察力と洞察力を駆使した鋭い指摘で笑いを生み出す。また、コンビとしてのバランスはもちろん、個人でも多方面で活躍。漫才だけでなく、バラエティー番組やラジオ番組への出演も多い。
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