澤村國矢、国立劇場養成所を2か月で退所した過去 師匠・藤十郎は激怒「顔も見たくない」
歌舞伎俳優の澤村國矢が25日、東京・中央区の歌舞伎座で行われた歌舞伎座『十二月大歌舞伎』の取材会に出席。師匠の澤村藤十郎(紀伊国屋)について語った。
履き物のそろえ方から注意する師匠の教え「そういったところが舞台に出るんだよ」
歌舞伎俳優の澤村國矢が25日、東京・中央区の歌舞伎座で行われた歌舞伎座『十二月大歌舞伎』の取材会に出席。師匠の澤村藤十郎(紀伊国屋)について語った。
國矢は一般家庭の出身で、9歳から劇団東俳や音羽グループに所属。子役として舞台や映像作品に出演し、12歳から世家真流家元・世家真ますみに師事し、日本舞踊を学んだ。歌舞伎は1988年、10歳の時に7月歌舞伎『義経千本桜』の子狐役で初舞台を踏んだ。その後、1995年に二代目澤村藤十郎に入門。同年に初代澤村國矢を名乗った。歌舞伎俳優・中村獅童が『超歌舞伎』で國矢に主役の機会を与えるなど引き立て、幹部にも推薦した。
國矢は今回の『十二月大歌舞伎』第一部『あらしのよるに』で、師匠・藤十郎の芸養子となり、藤十郎の前名「澤村精四郎(さわむらきよしろう)」を二代目として襲名する。
藤十郎とは歌舞伎公演に出演した10歳の頃に初めて出会った。「すごくかわいがってくださって、毎日話しかけてくださって。『歌舞伎好きかい?』とおっしゃって。当時は10歳なのでなんて返事していいかわからなかったですが、歌舞伎に出ることは好きでしたので、『好きです』と答えたのがきっかけです」と振り返った。「いろいろなお稽古をして、『うちの所に来なさい』と声をかけてくださった。歌舞伎が深く生業(なりわい)となったきっかけでございます」と明かした。
しかし13歳まで歌舞伎の舞台を踏んだものの、思春期に入り歌舞伎出演からは遠ざかるように。それでも踊りの稽古は続けていたという。その後、国立劇場の養成所に入ったが、「実はわたくし、素行が悪くてですね、辞めちゃったんですよね、2か月で」と、すぐに退所したことを告白。「師匠が口きいて入れてくださったけれども辞めてしまい、怒られまして。『顔も見たくない。お前はうちにはいらない』と。そこでハッとして、自分にとって歌舞伎ができなくなるのは嫌なことだと。覚悟を決めて、その進路に進んでいかなかったことを反省しました」と語った。その後、藤十郎のもとに通い詰めて許しを乞い、入門したという。
「自分が子役の頃は、師匠はすっごく優しい方でした。楽屋に遊びに行くとお茶菓子を出して、『食べなさい~』って優しくしてくれた印象で、あんなに怒ることはなかった(笑)。それくらい、『コイツは活を入れないと変わらないんだろうな』と思われた。自分が師匠に言われてしまったことは、相当落ち込みましたけどね」と語った。
入門後は「毎日ずっと怒られていた」という。「『お前は0からのスタートじゃなんだ。レッテルを貼られて入って来たんだから』と。そういったところ、ひとつひとつ全然わかってないことだらけでした。履き物のそろえ方など、『そういったところが舞台に出るんだよ』と。師匠は女方ですから、(芝居では)旦那や主人のために世話をしたり、草履をそろえて出したりする。そういったことを私生活から気を付けている。『それが修行だ』と教わりました」と、師匠の教えを明かした。
今回の襲名で國矢が名乗るのは、師匠が藤十郎になる前に名乗っていた精四郎。“兄貴”と慕う獅童からは、「これはすごいことだよ」と言われたという。「『がんばりなさい。名前をいただいて、さらにがんばれるね。紀伊国屋という名前を意識してさらにがんばるように』と言われました」と明かした。