役者志すもコロナ禍で劇団解散→救われたプロレスの道へ HIMAWARIが目指すレスラー像「お芝居が生きている」

多彩な選手が揃っていることで定評のある東京女子プロレスの中にあって、常に会場内に響き渡る大きな声の元気印の選手がいる。それがHIMAWARI。本名も漢字で“向日葵”で、「名は体を表す」を地でいっている。そのHIMAWARI、学生時代は演劇にのめりこみ役者の道を志すが運悪くコロナ禍に。そんな失意の彼女を救ったのは「明るいプロレス」だった。

得意のハーフボストンクラブを決めるHIMAWARI【写真:(C)東京女子プロレス】
得意のハーフボストンクラブを決めるHIMAWARI【写真:(C)東京女子プロレス】

コロナ禍にプロレスと運命的に出会う

 多彩な選手が揃っていることで定評のある東京女子プロレスの中にあって、常に会場内に響き渡る大きな声の元気印の選手がいる。それがHIMAWARI。本名も漢字で“向日葵”で、「名は体を表す」を地でいっている。そのHIMAWARI、学生時代は演劇にのめりこみ役者の道を志すが運悪くコロナ禍に。そんな失意の彼女を救ったのは「明るいプロレス」だった。(取材・文=橋場了吾)

 HIMAWARIがプロレスを見始めたのは、2020年。コロナ禍でマスクは必須、歓声もなく観客席にも制限がかかっているときだった。

「小さい頃はプロレスのことは全然知らなかったんですが、家族の影響で見に行くようになりました。母親がDDTのことが好きで、最初に見に行ったのもDDTでした。私はもともとお芝居をやっていたので、黙って見るという習慣があったからか、(歓声がない会場も)すんなり入っていけました。しかもDDTは楽しませる要素が多い試合もあって、怖い戦いばかりではなかったのも見やすかったですね」

 実はこの頃のHIMAWARIは失意の底にいた。というのも演劇系の大学を卒業し劇団に所属したものの、コロナの影響ですぐ解散してしまったのだ。

「大学を卒業していざ舞台をやろうってなったときに、ちょうど家にいなくてはならなくなって……そのまま資金繰りが難しくなって、劇団は解散してしまったんです。そこからぼちぼちフリーで舞台を続けていたんですが、プロレスに出会い、そのあとにプロレスをベースにしたお芝居があるよと声をかけられたのがアクトレスガールズでした」

 2022年にアクトレスに入る前にすでにWRESTLE UNIVERSEでプロレスをチェックしていたHIMAWARIは、すんなりとリングの上に立つようになった。しかし、より本格的にプロレスをしたくなり、東京女子プロレスで練習生として再スタートを切ることになる。

名前の通り明るさ抜群のHIMAWARI【写真:橋場了吾】
名前の通り明るさ抜群のHIMAWARI【写真:橋場了吾】

戦いも、コミカルも…欲張りだから両方譲れない

 2023年1月4日、HIMAWARIは後楽園ホールでプロレスラーとしてデビューした。アクトレスで数試合経験していたとはいえ、デビュー戦とは思えない動きを見せた。

「お芝居をしていた経験はすごく生きていますね。やっぱり、お客さんの前に立って自分を表現するという部分では、舞台もプロレスも同じだなと思います。その中で自分がどういうキャラクターになりたいというのが出てくるんですが、そのキャラクターがプロレスから入る若い選手と違って、すでに作り終えているのかもしれません。お芝居のときもそうですが、プロレスでも『こういう風に見てもらいたい』ということを考えながら試合に臨んでいます」

 HIMAWARIが表現したいキャラクターとは、何なのか。

「(少し考えて)絶対にハッピーが好きなんです。お芝居をはじめたときから、ハッピーじゃない舞台は嫌だなあって(笑)。最終的にハッピーエンドにならない作品だとしても、途中まではすごく幸せにいられる時間があると思うんです。なので、そのハッピーを表現できる役者のキャラクターが好きですし、プロレスをやる上でもハッピーなものにしたい。舞台ができなくてすごく落ち込んでいた時期に、母親が気分転換に連れて行ってくれたDDTのプロレスを見て、そこからですね。今の私につながるのは。東京女子のプロレスは、楽しいです! 戦いもあれば、コミカルもある。私は欲張りなので、どっちも譲れないんです」

(27日掲載の後編へ続く)

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