歌舞伎俳優・澤村國矢、一般家庭出身から幹部に昇進 “兄貴”中村獅童に感謝「尊敬しております」

歌舞伎俳優の澤村國矢が25日、東京・中央区の歌舞伎座で行われた歌舞伎座『十二月大歌舞伎』の取材会に出席した。同公演の第一部『あらしのよるに』で、師匠である澤村藤十郎(紀伊国屋)の芸養子となり、藤十郎の前名「澤村精四郎(さわむらきよしろう)」を二代目として襲名する。

取材会に出席した澤村國矢
取材会に出席した澤村國矢

亡き両親も応援「いずれ幹部にきっとなる」

 歌舞伎俳優の澤村國矢が25日、東京・中央区の歌舞伎座で行われた歌舞伎座『十二月大歌舞伎』の取材会に出席した。同公演の第一部『あらしのよるに』で、師匠である澤村藤十郎(紀伊国屋)の芸養子となり、藤十郎の前名「澤村精四郎(さわむらきよしろう)」を二代目として襲名する。

 國矢は一般家庭の出身で、9歳から劇団東俳や音羽グループに所属。子役として舞台や映像作品に出演し、12歳から世家真流家元・世家真ますみに師事し、日本舞踊を学んだ。歌舞伎は1988年、10歳の時に7月歌舞伎『義経千本桜』の子狐役で初舞台を踏んだ。その後、1995年に二代目澤村藤十郎に入門。同年に初代澤村國矢を名乗った。

 歌舞伎俳優の中村獅童が2016年に主演し誕生させた『超歌舞伎』では、第一作『今昔響宴千本桜(はなくらべせんぼんざくら)』で、獅童の演じる佐藤四郎兵衛忠信の敵役・青龍の精を務め、以降は『超歌舞伎』の主要メンバーとして出演。19年に京都南座で再演された超歌舞伎『今昔響宴千本桜』のリミテッドバージョンでは、主役として佐藤四郎役に抜てきされた。22年の超歌舞伎『永遠花誉功(とわのはなほまれのいさおし)』でも、リミテッドバーションで主役を勤めている。

 國矢は、「師匠が以前名乗っておりました澤村精四郎を襲名します。このようなうれしいことはございません。また歌舞伎には芸事の中での養子扱いがありますが、師匠・藤十郎の芸養子という形になりました。本当にうれしいことでございます」とあいさつ。「『超歌舞伎』がご縁で獅童さんと一緒に舞台に出させていただきました。獅童さんはとても良くしてくださる方」と語り、「獅童さんが2年前に、松竹の方に『國矢を幹部にしてくれないか』と頼みに行ってくださり、このような形になりました」と明かした。

 歌舞伎には大部屋役者の「三階」、修行後に名題試験に合格しセリフがもらえる「名題」などの制度がある。名題役者の中でさらに認められると「幹部」となり「役」がつくが、一般家庭から入門する俳優は名題昇進までが多い。國矢も「幹部というところに、一般家庭からなるのは稀なこと。数少ないことでございます」と語り、「自分もその責任というか、歌舞伎界においての『幹部』という立場をしっかりと思いながら、舞台に立たなければいけない」と気を引き締めた。また「自分が子どもの頃から憧れてきた歌舞伎の舞台で、幹部の方たちがなさってきたお役ができるのは、楽しみしかないです」と喜んだ。

藤十郎の前名「澤村精四郎」を二代目として襲名する
藤十郎の前名「澤村精四郎」を二代目として襲名する

 自身にとっては『超歌舞伎』で主演を勤めたリミテッドバージョンが転機になったという。「いやもう本当に、(主演なので)歩くとライトがついてくる感覚で。その時、やっと気づきました。本当に『スポットライト』って言うんだと。(主演の獅童の姿を見て)、あそこの景色ってどんな風に見えるのかなって思っていたので、(リミテッドバージョンで見た)その景色は未だに忘れられない」と振り返った。

 チャンスを与えてくれた獅童については、「僕は勝手に『兄貴』と呼んでおりますけど、尊敬する『上』の存在でもあるし、ものすごく近く、親身になってくださる」と語り、「獅童さん自身も、『自分は歌舞伎の中で恵まれない時期があった』ということで、もどかしさや、舞台の真ん中に立てない悔しさを汲んでくれる。私たちのような者にも光を当てる舞台を作ってくださっている。家族といいますか、尊敬しております」と感謝した。

「一般家庭から歌舞伎を目指してきて、名題を目指してがんばってきたけれど、その先が暗い。人間、がんばってきたけど、がんばる目標がなくなっていくと、芝居をやっていく上でモチベーションが失われてしまうと思う」と語り、「最近は、歌舞伎座でも我々のような名題であっても、いい役をくださる回が増えていますし、それが一過性にならないようになればいいなと思います。こういうふうに、一般家庭から幹部になる道があるんだと思ってもらえたらいいですね」と語った。

 すでに両親は他界しているが、幹部になることは応援してくれていたという。「名題になった時は喜んでおりました。父は『超歌舞伎』とリミテッドは見ておりますし、今回の幹部についても、喜んでいると思います」と語った。「『いずれ幹部にきっとなる』と。親バカでしたからね」と目に涙をためて父の言葉を思い出し、「小さい頃から応援してくださっていましたが、言っていた通り、幹部になれた」と声を震わせた。

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