西武なのに職場は九州 激変した生活リズム、スカウト転身で湧き出た“感謝の思い”

1人のプロ野球選手が誕生するその瞬間、喜びで天を仰ぐのは選手だけではない。数年にもわたり動向を注視し続け、原石を探し出すのがスカウトという存在だ。西武の岳野竜也アマチュアスカウトは、スカウト4年目のシーズンを終えようとしている。5年間の現役生活に別れを告げ、ブルペン捕手を7年間務めた後にスカウトへと転身。自身のセカンドキャリアについてどのように考えているのだろうか。

西武・岳野竜也スカウト【写真:徳原隆元】
西武・岳野竜也スカウト【写真:徳原隆元】

戸惑いの連続だった新生活「逃げ道を作ることができた」

 1人のプロ野球選手が誕生するその瞬間、喜びで天を仰ぐのは選手だけではない。数年にもわたり動向を注視し続け、原石を探し出すのがスカウトという存在だ。西武の岳野竜也アマチュアスカウトは、スカウト4年目のシーズンを終えようとしている。5年間の現役生活に別れを告げ、ブルペン捕手を7年間務めた後にスカウトへと転身。自身のセカンドキャリアについてどのように考えているのだろうか。

 2008年ドラフト5位で西武に入団した岳野氏。13年に戦力外通告を受けるまでの5年間での1軍出場はわずか4試合だった。「もうちょっと現役を続けたい」という思いを抱いていたものの、当時はケガをしていたこともあり、トライアウト参加の選択肢はなく、声を掛けてくれた球団にブルペン捕手として残ることを決めた。

 その後、ブルペン捕手としてチームを支え続けること7年。前任の高山久氏のコーチ就任を機に、スカウトの話が巡ってきた。担当地区は九州・沖縄。球団から異動の打診を受け、単身赴任のような形となるため、家族とも相談の上で21年にスカウトへ転身した。

「各地区の担当スカウトは1人しかいないので、責任感やプレッシャーをすごく感じました」。生活のほとんどを九州で過ごすことになったが、九州産業高から福岡大へと歩んだ岳野氏は「地元に帰った感じで違和感なく生活できています」と笑顔を見せる。

 西武の球団職員という立場でありながらも1年の半分以上は九州で生活を送る。シーズン中は本拠地の埼玉・所沢に1か月半に1度程度のペースで戻っているが、孤独を感じることもあるという。「たまに不安になることもありますが、上司が来てくれたり、他地区のスカウトが来てくれたり、ライオンズの方と顔を合わせると、正直ホッとします」。

人見知りで苦労した1年目「どうしても自分の中で壁を」

 現役時代とブルペン捕手時代を通算して12年もの間、グラウンドを職場としてきたが、スカウト就任以降は生活が激変した。

「野球をしていた頃は、マネジャーさんや用具係の方々が全て管理してくれていました。やりやすい環境を準備してくれる中で、現場仕事をしていましたが、スカウトになってからは全てが自分発信です。身の回りのことはもちろん、ホテルの手配や移動手段の確保、相手とのアポ取りだったり、1つの仕事の予定を組むためにもいろんなことがあるんだなと再認識しました。改めて、これまで周りのサポートをしてくれていた方たちのすごさが身にしみて、感謝の気持ちが湧いてきました」

 選手時代から「人見知りだった」という岳野氏にとって、スカウト1年目は苦労の連続だった。会う人の大半が初対面のため、「どうしても自分の中で壁を作ってしまうところがあった」と振り返る。

 生活リズムの変化に対応するのにも時間がかかったというが、自分のリズムを作れるようになってからは、仕事とプライベートのバランスを保てるようになった。

「プロ野球は大体月曜日が休みだったこともあって、月曜以外は毎日ちゃんと仕事をしなければいけないと思い込んでいました。でも、よくよく考えたらスカウトは相手があっての仕事です。こちら主導ではないので、相手に合わせていくことが必要なんです。そういった意味で、ちゃんと休んでいいんだと良い意味で自分に逃げ道を作ることができました」

 スカウトになってから4年目のシーズンを終えようとしているが、選手やブルペン捕手の頃とは異なる楽しさを感じている。

「ブルペンキャッチャーの時は、ファームの選手たちが頑張って1軍で投げて、勝利をつかむ喜びみたいなものがありました。スカウトでは1年間動き、その成果が出て選手を獲得して、頑張っている姿を見ることがうれしいです。まだまだ知らないことがいっぱいあると思うので、もっと経験していきたいです」

 立場は変われど、目指す先には「優勝」の2文字が待っている。チームの勝利のために所沢から遠く離れた地で奮闘を続ける。

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