25年前の「1・4事変」に新証言 “猪木らしき人物”が被ったマスクは本人が直々に出版社に取りに来ていた
最近は“暴走宅建士”として地上波の番組からも取材を受けるようになった“暴走王”小川直也が、ついにプロレス界で長らく語り継がれてきた「1・4事変」の新事実に触れた。師匠・アントニオ猪木があの日、被っていたとされるマスクに関する新証言をゲットしたのだ。
小林まこと氏「猪木さんが直に(編集部に)電話をかけてきた」
最近は“暴走宅建士”として地上波の番組からも取材を受けるようになった“暴走王”小川直也が、ついにプロレス界で長らく語り継がれてきた「1・4事変」の新事実に触れた。師匠・アントニオ猪木があの日、被っていたとされるマスクに関する新証言をゲットしたのだ。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
本題に入る前に「1・4事変」について記すと、時は1999年1月4日、東京ドームでのこと。当時、UFO(世界格闘技連盟)のエースだった小川と、新日本プロレスの橋本真也による一騎打ちで事件は起こった。試合中、小川は橋本を戦闘不能状態に追い込んだ(※結果は無効試合)が、それはプロレス界に存在する“暗黙の了解”を破って、小川が橋本に仕掛けたためとされており、試合後のリング上では両軍が入り乱れての大乱闘が繰り広げられた。
この一戦は、今から70年前に起こった、力道山 VS 木村政彦(1954年12月22日、蔵前国技館)と並び、長らくプロレス界で真相を追い求める声が未だに止まない“謎”とされてきた。
さらに小川を焚き付けた“首謀者”であり「1・4事変」の“黒幕”とされた、小川の師匠・A猪木がリング上に不在だったことも“謎”だった。その日、“猪木らしき人物”は人気漫画「1・2の三四郎」の主人公である三四郎マスクを被り、リングサイド最前列で観戦していたが、いつの間にか姿が見えなくなっていた。
ここで「“猪木らしき人物”」と書くのは、「1・4事変」を記載した「東京スポーツ」にも「猪木とも思われるナゾの覆面男は、小川戦の終了後、ひと言も話さず東京ドームを後にした」とあるためだが、実は数日後に「東京スポーツ」誌上で猪木が「あれは俺だった」と認めていた。
ともあれ、この一連の流れに関して、YouTubeチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」で、小川と対談中の漫画家で、自身の作品中にも時折、A猪木を登場させてきた猪木好きの小林まこと氏(「1・2の三四郎」原作者)が証言する。
「俺は事前に聞いてはいたんだけど。聞いていたっていうのは、猪木さんが直に『(週刊)ヤングマガジン』(編集部/講談社)に電話をかけてきたんだって。『あのマスクを貸してくれ』って。OKですよって(話したら)、猪木さんが直々にマスクを取りにここ(講談社)に来たんだって」(小林氏)
もちろん、小林氏も「(そのマスクを)何に使おうとしたのかは誰も知らない」「そしたら、あの1・4だったんですよ。ここで使ったのかって」と話していたが、猪木と講談社といえば、90年代前半、猪木が参議院議員だった際に、講談社が発行する「週刊現代」が、猪木の政治資金規制法違反をはじめとする政治スキャンダルを複数回に渡って報じ、猪木は議員として窮地に立たされたこともあった。
だが、時が過ぎればなんとやらで、猪木が自ら講談社に出向いたのだとすれば、その事実は非常に驚くべき新証言になる。
小川直也「(猪木は)どこが本気かどこがオチャラケか、全然境目がない」
動画によると、この話を小川が知ったのは「つい最近」だそうだが、「そんなことを知ってるのは小林先生くらいですね」「まさかね、小林先生から(新たな証言が)出てくると、ホント思わなかったもん。想像もしなかった」と話しており、小川自身は「もう1・4のことに触れたくない部分なんだけど」と言いつつ、「こういう話が出てくると、面白おかしく楽しく」話すのであれば、公にするのもやぶさかではないといった様子。
「みんなで一生懸命(大乱闘を)やっているのに、1人(村上和成/当時のリングネームは村上一成)は病院送りになっちゃったりとか大変な時にさ。『俺苦しくて……』ってさすがに言えねえぞ。(猪木は)大変だったらしいよ。『俺は俺で大変だったんだ』って。聞いたらさ、『苦しくて苦しくて……』」と、息をするための穴が空いていなかった三四郎マスクを被り続けるのは難しく、“猪木らしき人物”なのか、猪木本人なのかはともかく、当該人物は息苦しさから、いつの間にかリングサイドを離れてしまったようだ。
もちろん、今となってはこれが当該人物が消えてしまった真相なのかは特定できないが、新たな証言が加わったことだけは確か。
「だって、あの試合で、おふざけで来ているんだからね。すごいのはですね。(猪木と)バレないようにって(マスクを被って)、ホントにバレないところ」「身近にいると、バレるよって思うじゃないですか。猪木さんがまさか、そういうことをすることはないよねっていうのが大前提じゃないですか。猪木はどこだどこだって、ここにいるじゃんって思うんだけど、そこが楽しんだよ」「(あの時は会場に)猪木コールもあったでしょ。猪木コールをされてる時に『あー、苦しい。苦しい』ってやってるんだからさ」(小川)
ここまで話した小川は「(猪木は)どこが本気かどこがオチャラケか、全然境目がないんです」と口にした。この言葉は、まさに「虚実皮膜」の人生を歩んできた猪木そのものを現しているように思う。ちなみに「虚実皮膜」とは、江戸時代に近松門左衛門が唱えたとされる芸術論で、真の芸術とは現実と虚構の間にあるとするもの。
さらに小林氏は、「ちょうど『ヤンマガ』で、(1・4事変の)半年くらい前になるのかな。あのお面を使って猪木さんと写真を撮るグラビアの企画があったんですよ。たぶんその時に、このお面がいいなって目を付けてたんだと思うんですよね」「たぶん、1・4の直前くらいに、あのお面いいなって思い出したんじゃないですかね?」と、当該人物が三四郎マスクを被るに至ったきっかけを推測する。
なお、小林氏は、当該人物が自身の作品のキャラクターのマスクを被って現れたことに関して、「(力道山VS)木村政彦戦に匹敵する、あれにちょびっと関われたっていうのは自慢」「俺はもう、うれしくてしょうがない。こんなうれしいことないじゃない」と、プロレス界の事件史の一端に関われたことを喜んでおり、猪木好き漫画家の第一人者ぶりを爆発させていた。(一部敬称略)