年収300万円独身OLがセミリタイアまでの資産を築くまで…「勝手に貯まっていった」過程を公開、驚異の質素生活

ごみ屋敷のような部屋に住んでいた年収300万円の事務職OLが、“ノリ”で始めた株式投資で、運命が大きく変わった。28歳で資産1000万円に達すると、33歳で3000万円の資産形成に成功。会社員生活を“卒業”し、結婚。現在は個人事業の仕事を続けながら、資産運用で生計を立てる「ゆるFIRE」、言わばセミリタイアの生活を送っている。物であふれていた生活空間は一変し、現在はミニマリストに。しかも、個人資産約9000万円の億万長者であるのに物欲がなく、自分のために使うお金は年間40万円ほどというから驚きだ。投資のシンデレラストーリーを歩む30代女性の半生に迫った。

「ゆるFIRE」生活を送るちーさんは仰天の投資ストーリーを歩む【写真:本人提供】
「ゆるFIRE」生活を送るちーさんは仰天の投資ストーリーを歩む【写真:本人提供】

投資デビューは20歳 33歳で3000万円の資産形成に成功して会社員生活を“卒業”

 ごみ屋敷のような部屋に住んでいた年収300万円の事務職OLが、“ノリ”で始めた株式投資で、運命が大きく変わった。28歳で資産1000万円に達すると、33歳で3000万円の資産形成に成功。会社員生活を“卒業”し、結婚。現在は個人事業の仕事を続けながら、資産運用で生計を立てる「ゆるFIRE」、言わばセミリタイアの生活を送っている。物であふれていた生活空間は一変し、現在はミニマリストに。しかも、個人資産約9000万円の億万長者であるのに物欲がなく、自分のために使うお金は年間40万円ほどというから驚きだ。投資のシンデレラストーリーを歩む30代女性の半生に迫った。(取材・文=吉原知也)

「『ネット証券』という文字を広告で見て、なんの知識もないのに、軽いノリで、かっこいいなと思って口座を開設したんです」

 女性は、ちーさん。投資デビューは20歳。ホリエモン(堀江貴文氏)の登場で、世間が沸いていた頃のことだ。両親が貯めていたお年玉貯金100万円の通帳を成人の記念にもらうと、そのまま投入。知識ゼロでもビギナーズラックでいきなりプラスになった。

 だが、世の中はそんなに甘くない。ライブドアショック(2006年)とリーマンショック(08年)の暴落を受け、元本割れとなり、保有銘柄の倒産もあって資産は半分以下になってしまった。一方で、就活から就職、新入社員として働き始めた時期で、資産の目減りは確認していたが、就職や仕事の忙しさでそのまま放置していた。

 本格的に投資運用に取り組んだのは、貯蓄ができるようになった2010年頃から。最初に投入した大切なお年玉分だけでも「プラスにして取り返したい」。リベンジの思いが原動力となった。給料から生活費を差し引き、余剰資金を株式投資に回した。その後の日経平均株価の上昇に伴い、「本当にタイミング的にめちゃめちゃよくて、そこからバンと増えていきました」。国内の個別株をメインにREIT(不動産投資信託)、米国株にも手を伸ばし、着実に資産を築いていった。3000万円に到達した30代前半でセミリタイア。インデックスの投資信託にも乗り出し、現在は1億円にあと一歩のところまできている。

 独学で駆け上がったサクセスストーリーには、実は会社員生活が深く関係している。ちーさんは入社こそ事務職採用だったが、大学時代に建築・デザインを学び、入社したのは建設会社。資格を取得し、自ら異動希望を声に出し続け、建築デザイン系の専門職への社内異動を実現させたのだ。休日出勤もいとわず、バリバリ仕事にまい進した。

「子どもの頃からやりたかった仕事だったので、本当に仕事が楽しくて楽しくて。キャリアを積んで収入は増えるけど、忙しくて使う暇もない。生活もミニマリスト志向になっていったので、支出はそんなに増えない。余剰資金を投資に回して利益が出てまた投資に、というサイクルができていました。20代の頃は仕事に意識を傾けていたので、投資は二の次と言いますか、正直なところ“勝手にお金が貯まっていった”という感覚です。1000万円まではいろいろ工夫して取り組みましたが、3000万円までは利益がどんどん乗っかっていく形になりました」と、“資産爆増”の秘話を明かす。

 さて、気になるのが“汚部屋生活”だ。20代の独身時代はどんな生活だったのか。

「本当にごみ屋敷でした(笑)。忙しく働いて、疲れて帰ってきたらすぐ寝るといった暮らしだったので、掃除もせずに物が散乱していって……。床が見えていたのは1割ぐらいで、ひどい時はコバエが発生したことも(笑)。安く大量に買う服を平積みしていたので、着たい服を探すのにも時間がかかる。信じられない状況でした」

 転機が訪れたのは「彼氏ができたからです。家に呼ぶのに片付けなきゃ、と整理し始めて。家の中にあふれていた物の半分以上を捨てました」。そして、あることに気付いた。「物が少なくなって、快適に過ごせると実感したんです。私はもともと家事や掃除が苦手なタイプ。家の中の物、自分が使う物を厳選していかないと、ちゃんとした暮らしができない。お掃除ロボットの機械に掃除を任せるのなら、床に物を置かないようにしないと。考え方が変わっていき、必然と物が減っていきました」。こうしてミニマリストの境地にたどり着いた。

 一方で、質素倹約を貫く暮らしぶり。「今自由に使える年間の自分の予算は40万円ぐらいで、そこまでいかない年もあります。高い買い物ですか? この間新しく買ったiPhoneかな」。資産家の言葉とは思えない。

 ちーさんは、資産運用などの情報を発信するブログ、YouTubeチャンネル『ちーのゆるFIREな日々』の運営だけでなく、『自由に生きるためにお金にも働いてもらうことにしました。』(かんき出版、著者名:アラサーdeリタイア管理人ちー)などの著作も発表。自分のペースで働き続けている。

ごみ屋敷生活が一変で現在はミニマリストに【写真:本人提供】
ごみ屋敷生活が一変で現在はミニマリストに【写真:本人提供】

両親の姿も見て「やっぱり仕事は生きがい」

 17年から運営をスタートしたこのブログが、会社員卒業のきっかけになった。「30歳を過ぎて、私の経験やノウハウを、多くの人に知ってもらいたいと思って書き始めました。これがどんどん楽しくなっていきました」。

 ここでぶつかったのが、会社員の身分であるがゆえの「時間拘束」の壁だ。「どんどん書いていきたいのに、執筆の時間が取れない。1日12時間ぐらいは仕事に費やしてしまう。この悩みに直面しました。自分の生き方を見つめ直すようになり、会社員のデメリットとして、時間の拘束が長いということに気付きました。今やっている仕事の内容は楽しいけど、会社員でいると自由が利かない。ジレンマでした」。深く考え抜いた。

「ブログを通して、投資成功者でセミリタイア生活をしている方々の存在を見聞きし、『こんな生き方もあるんだ』ということを知りました。建築デザインの仕事は業務委託としても続けていける。資産に働いてもらい、自分は自由に動く。それができるかもしれない」。人生の大きな決断をした。18年末に会社を退職。新たな選択肢の人生が始まった。

 一般的にFIREは「経済的自立と早期リタイア」を意味するが、ちーさんの場合は、完全にリタイアをしているわけではなく、投資の利益と事業の稼ぎの両方から捻出している。ブログやYouTubeはしっかり収益化に成功。ゆるFIRE生活に入る前に、会社員の夫と結婚。浪費家だった夫は投資に目覚めている。

“億り人”は目前で、投資運用は順調なのだから、悠々自適に暮らしてみては? ちーさんにとって、答えはNO。「働く楽しさ」を選ぶという。

「ゆるFIREというのは、裏を返せば“ゆる起業”なんです。好きな仕事を安心して長くやるために、投資で資産を増やす。これが私の考え方です。もちろん完全リタイアも素晴らしい生き方だと思いますが、私にとっては働いている方が、喜びが大きいです。私の両親はもう70歳を過ぎていますが、年金だけで暮らせていけるのに、いまだに働いています。働くことで誰かの役に立ちたい、社会貢献をしたい。そう思っているそうです。やっぱり仕事は生きがい。私も働くことはずっと続けていくんじゃないかなと思っています」。力強く語った。

『自由に生きるためにお金にも働いてもらうことにしました。』(かんき出版)
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