格闘技界のドーピング騒動、IOC認定薬剤師が解説する“筋肉増強”だけじゃないリアルな効果とリスク

格闘技界で選手のドーピング使用や疑惑が問題となっている。海外遠征を経験した選手のなかには実際にドーピングを勧められたケースもあるようだ。国内最大の格闘技イベントを開催する「RIZIN」は9月、看板選手へのドーピング疑惑の声を受け、会見を実施し検査結果を公表、意識改革を宣言した。ドーピングとは一体どういったものなのか。なぜ手を染めてしまう選手がいるのか。さまざまな疑問について国際オリンピック委員会(IOC)より、「IOC Certificate in Drugs in Sport」(※1)の認定を受け、国際検査機関(ITA)よりドーピング検査員の資格を得たスポーツファーマシスト・木村有里氏に話を聞いた。

格闘技イベント「RIZIN」は今年9月に会見を行いドーピングへの意識改革を宣言した【写真:ENCOUNT編集部】
格闘技イベント「RIZIN」は今年9月に会見を行いドーピングへの意識改革を宣言した【写真:ENCOUNT編集部】

スポーツファーマシスト・木村有里氏にインタビュー

 格闘技界で選手のドーピング使用や疑惑が問題となっている。海外経験のある選手のなかには実際にドーピングを勧められたケースもあるようだ。国内最大の格闘技イベントを開催する「RIZIN」は9月、看板選手へのドーピング疑惑の声を受け、会見を実施し検査結果を公表、意識改革を宣言した。ドーピングとは一体どういったものなのか。なぜ手を染めてしまう選手がいるのか。さまざまな疑問について国際オリンピック委員会(IOC)より、「IOC Certificate in Drugs in Sport」(※1)の認定を受け、国際検査機関(ITA)よりドーピング検査員の資格を得たスポーツファーマシスト・木村有里氏に話を聞いた。(取材・文=島田将斗)

 ◇ ◇ ◇

――スポーツファーマシストとはどんな職業なのでしょうか。

「スポーツを取り巻く環境の中で、アスリートやコーチ、家族に対してスポーツにおける適切な薬物使用をサポートし、アンチ・ドーピングに関する正しい情報を収集し、発信できる薬剤師です。スポーツファーマシストは日本特有の資格であり、日本アンチ・ドーピング機構が定める課程を修了した薬剤師にその資格が与えられます。インド、トルコなどにも独自のプログラムがあるようですが、スポーツファーマシストという資格ができたのは日本が初めてです」

――そもそもドーピングとはどんな行為なのでしょうか。

「ドーピングというのは競技力を高める薬を使用するだけでなく、不正な行為によって相手とは違うフェアでない条件で勝負をすることです。スポーツは世界共通であり、ドーピング違反は、スポーツの価値、文化、そのものの意義に反する行為に当たると言えるのではないでしょうか」

――国内でドーピング違反はあるのでしょうか。

「国内のドーピングは他国と比較して低い傾向にありますが、ゼロではありません。日本では、“うっかりドーピング”が多いと言われており、これは言葉の通り、気付かないうちに、意図せず禁止物質や禁止方法に触れてしまったというケースのことを言います。大会前に風邪をひいてしまい、家族が使っていた風邪薬を飲んだ。あるいは、他の選手に勧められたサプリメントを安易に使用してしまった。これはほんの一部分ですが、うっかりドーピングの例です」

――ドーピング使用による、健康面でのリスクはないのでしょうか。

「過去にツールドフランス(自転車競技)の大会中に亡くなった選手から興奮薬が検出されたケースがあります。日陰もなく気温40度という過酷な環境下でのレースということもあり、薬剤との直接的な因果関係は不明とされていますが、選手生命だけでなく自らの命にも影響を与える可能性があるということは知っていただきたいです。2022年より糖質コルチコイドは全ての注射経路に対して禁止になりましたが、このいわゆるステロイドと言われている薬剤は、短期間の場合は腱や関節症状が改善されますが、長期に渡る場合は、骨粗しょう症、筋力低下、体重増加/肥満、感染症リスクの増加等が起こることが挙げられています。薬のリスクについてアスリートに伝えていくのもスポーツファーマシストの仕事の一つですね」

――ドーピングにあたる薬物にはどんな効果があるのでしょうか。

「筋肉を増強させる効果、疲労感の軽減により持久力を向上させるような効果があります。同様に、エリスロポエチン製剤は、腎性貧血という病気の治療薬として使われているのですが、この製剤は酸素運搬能力を高め、持久力を向上させる効果があります。また、競技能力をあげるだけではなく、ドーピング違反薬の使用を隠してしまうような薬もあります。手先の繊細な操作が試合に影響が出るような競技、例えば、射撃やアーチェリー、ゴルフ等、競技種目に限定されて禁止されている薬もあります。

 興奮薬は中枢神経系に働き、交感神経系を活性化させる作用があります。中枢と末梢に作用するため、精神を高揚させ、不安を取り除き、瞬発力を増やすとも言われています。その結果、血圧や心拍数、発汗の増加が見られます。多量摂取や併用摂取により過剰な体温上昇、心停止、脳卒中の危険もありますので、注意が必要です。交感神経活性化作用により、知覚神経→脳→筋肉への反応の流れが早くなる可能性があります」

――漢方薬でのうっかりドーピングについても教えてください。

「漢方は天然由来の成分でできている医薬品です。生薬成分ってたくさんあるのですが、必ず『この成分しか入っていない』というのは確実にいうことが難しく、漢方はアスリートには勧めてはいないのが現状です。風邪を引いた時に処方される葛根湯にも禁止物質が含まれていますし、食品にも含まれていることも……」

――サプリメントも気を付けた方がいいということですね。

「サプリメントには約20%の確率で禁止薬物が含まれている可能性があるという報告があります。対象が薬のみに限らず、食品、サプリメント、化粧品……身の回りに思わぬ落とし穴があります。サプリメントは、医薬品と比べて多くのアスリートが比較的手に取りやすい環境にあり、SNS等でサプリメントの使用を勧めるような投稿も見かけます。これらの情報に信ぴょう性はありませんので、鵜呑みにしないようにしましょう。アスリートの皆さんは、使用しているサプリメントの管理方法も重要になってきます」

――飲んだサプリや薬の管理方法について教えてください。

「サプリメントを使用するのであれば、使用したサプリメントのロット番号を控えてもらい、商品名、何個飲んだか等の記録を取っていただくようお伝えしています。アスリートの責務として、自分を守るためにもお願いしています」

(※1)国際オリンピック委員会(IOC)医療科学委員会による、スポーツにおける薬物に関する医療専門家のための国際的プログラムであり、このプログラムを修了した者にIOCより認定証が授与される。

IOC drugs in sportのgraduation ceremonyに登壇した木村有里氏(右)【写真:提供写真】
IOC drugs in sportのgraduation ceremonyに登壇した木村有里氏(右)【写真:提供写真】

検査の目的は「違反者を探すのではなくフェアなアスリートを証明し守ること」

――ドーピングの効果はどの程度の期間続くのでしょうか。

「薬は体内に取り入れられて、吸収、代謝、排泄するという過程を経ています。禁止薬物を摂取した場合の排泄の目安として、ウォッシュアウト期間という言葉があります。しかしながら、禁止薬物を摂取してから排泄されるまでの期間を想定すれば使用してもいい、という考えは、危険だと考えます。ウォッシュアウト期間は必ずしも安全性を保証するものではありませんので、治療等でやむを得ず、禁止薬物を使用する場合は、TUE申請(※2)を準備しておく必要があります」

――ちょっとした薬を飲むのにも注意が必要ですね。

「アスリートは、自分の体の中に入れるもの全てに責任を取る必要があります。これを、私たちはアスリートの責務と言っています。アスリートとしてプライドを持ち、日頃の行動を意識して欲しいと思っています」

――ドーピング検査は“抜き打ち”でないと意味がない、という意見もあります。

「アスリートは、ドーピング検査に協力することが義務付けられています。ドーピング検査の目的は、違反者を探し当てるのではなく、フェアなアスリートを証明し、守ることにあります」

――禁止薬物を購入する行為もドーピング違反になるのでしょうか。

「はい、ドーピング違反になります。薬を使ってはいないけれど、購入するという行動をしている。これもアンチ・ドーピングルール規則違反の一つに当たります」

――木村さんはアスリートらに対しアンチ・ドーピングの意識をどのように浸透させてきたのでしょうか。

「きっかけは、サポートが必要な競技団体の専属スポーツファーマシストとして、ブラインドマラソン協会とパラアーチェリー競技(当時)の活動をサポートすることに始まりました。アンチ・ドーピングの講習会を開き、選手と接する機会を増やしました。競技団体側も教育を受ける機会がなく、どのようにアプローチしていいか分からないという言葉を頂いた時は、素直にうれしかったです。これからもアスリートやサポートスタッフから相談しやすい環境を作れるよう、コミュニケーションを取り、信頼関係を作り、アンチ・ドーピングの啓発活動に貢献していきたいです」

――日本全国どこでも教育は可能なのでしょうか。

「順天堂医院はアスリートに関わる専門外来がいくつかありますので、アスリートが訪れる環境が整っているかと思います。そこで、一部のスポーツドクターと薬剤部のスポーツファーマシストが連携して、アスリートをサポートするネットワークを構築しています。院内に限らず、院外においても私たち順大薬剤部スポーツファーマシストチームで競技団体をまんべんなくサポートできるような体制を作れば、より良い形でアスリートをサポートできるのではないかと考えています。障害者スポーツはまだまだサポートが必要な団体があるとうかがっていますので、その辺りも団体の方と話し合いの上で、介入していきたいです。

 あとは、オリンピック・パラリンピック大会や国際大会での日本人アスリートの活躍により、若い世代の子たちもさまざまなスポーツに興味が湧いているのではないでしょうか。スポーツを通して経験を積む中で、小・中学校、高校でもアンチ・ドーピングについてお話しできる機会があればいいなと思います」

――ドーピング問題において選手はどんなことに気を付けなければならないのでしょうか。

「皆さんに伝えたいことは、アスリートの自覚を持つことによって、自分がクリアであることを証明できるような行動を日頃から心がけてほしいということです。例えば、オリンピック競技と比較して、パラリンピック競技は種目数や競技人口が少なく、場合によっては初出場で世界のトップに躍り出るアスリートもいらっしゃいます。仮にそうなったとして、ドーピング検査で薬物陽性反応が出た時に、『自分は関係ないと思っていた』『ドーピング検査の対象にならないと思った』等の言い訳は通用しないですよね。

 我々は選手がベストパフォーマンスを発揮できるように、アンチ・ドーピングに関する情報を国内外から収集し、アスリートやサポートスタッフに還元できればと思っています。世界には私たちと同じくしてスポーツに対する情熱を持ち、アンチ・ドーピングの啓発活動を行う仲間が多く存在します。そういった仲間の存在が、今の活動をしていく上でのモチベーションにつながっています」

(※2)禁止物質・禁止方法を治療目的で使用したい競技者が、申請・承認を受けると、その禁止物質・禁止方法が使用できるという特例措置。

□木村有里(きむら・ゆり) 小学生時に兄が野球をしていたことがきっかけで野球を始め、完全試合の経験を持つ。高校時代は陸上競技のやり投げでインターハイ、国体に出場。スポーツ賞、スポーツ奨励賞の受賞歴あり。神戸薬科大卒業後、順天堂医院薬剤師レジデントを経て同院薬剤部に所属。2019年スポーツファーマシスト取得。21年より日本ブラインドマラソン協会医学委員(アンチ・ドーピング教育)。東京オリンピック・パラリンピック大会の選手村総合診療所にて医療活動に従事。現在は順天堂大学大学院スポーツ健康科学部協力研究員としてアンチ・ドーピング研究に携わる。スポーツに関わる資格として、JADA承認Educator、IOC certificate Drugs in Sport、ITA certified DCO を取得。

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