元JAYWALK中村耕一が覚せい剤に手を出した理由 再起を描く映画で初主演「いい意味で足かせに」
映画『はじまりの日』(日比遊一監督、10月11日公開)で映画初主演を果たした「JAYWALK」の元ボーカルでシンガーソングライターの中村耕一(73)。事件を起こし、音楽を封印し、清掃会社で働く元ロックスターの男の物語。初めての演技に、中村は何を思ったのか。
『はじまりの日』で映画初主演
映画『はじまりの日』(日比遊一監督、10月11日公開)で映画初主演を果たした「JAYWALK」の元ボーカルでシンガーソングライターの中村耕一(73)。事件を起こし、音楽を封印し、清掃会社で働く元ロックスターの男の物語。初めての演技に、中村は何を思ったのか。(取材・文=平辻哲也)
「僕は演技しているつもりはないんですよ。演技なんて、できないです。最初、監督からオファーをいただいて、言われたことが『中村さんに役者を求めていません』でした。『では、どうすれば、いいですか』と聞いたら、『カメラの前でそのままいてくれたらいいです。その都度、僕が指示しますから』とおっしゃってくれました」
撮影シーンはほぼ順撮り。裁判での判決シーンから、清掃会社で働き、歌が上手な「女」(遥海)との出会いをきっかけに、自身も歌での再起の思いを強くする。劇中では、かつての同僚だった音楽プロデューサー(竹中直人)から「お前は一体どれだけの人間に迷惑かけたんだ。お前はどこにも謝りにも行っていないだろう」と叱責されるシーンがある。
「実際の僕は、謝りにも行けない状況というのがあったんです。行けるところは行ったのですが、肝心なところからは遠回しに『来てくれるな』と拒絶されたところもあって、行きたくても、行けなかったんだけれどな、と思ったりもしました。当時のことを思い出しながら、常に演じていました。これは僕の中で忘れちゃいけないと思うんです」
音楽を封印した男が、ファンだったと話す同僚(山口智充)の葬儀で久しぶりに歌を披露する場面もあるが、中村自身、2011年の東日本大震災で被災者を前に歌を歌い、それがミュージシャンとしての復帰になっている。
「僕自身、事件以降、音楽から離れていたんです。歌をやめる覚悟でいたんです。ところが、東日本大震災があって、妻と一緒にボランティアとして参加していたら、宮城県の住職さんから『参列者もいないから、歌で送り出してくれ』と言われ、歌ったんです。震災ボランティアの経験は監督にもしたので、そんなことがヒントになっているのかもしれません」
劇中の弔いソングは13年の復帰ソロアルバム『かけがえのないもの』収録曲の『歌』だ。これは、ミュージシャン・三宅伸治(63)との出会いがきっかけになっている。
「周囲から半ば無理やり、三宅伸治のライブに連れて行かれ、見たんですが、伸ちゃんのライブは僕の理想とも言えるバンドだったんです。シンプルなトリオ編成だったんです。伸ちゃんは非常に穏やかな性格で、『2人で曲を作ってみませんか?』と誘ってくれた。そうして、出来上がった曲です」
映画は中村自身の再起と重なるように物語が進んでいくが、演じるという行為は、どうだったのか。
「僕が今まで音楽の勉強をしてきたのと同じぐらい演技の勉強をしないと、演技はできないとしみじみ感じました。ただ、周りのスタッフの方はすごくいい人ばかりで、緊張したということはなかったと思います。よく映画の撮影は、待ち時間が長くて大変だ、と言われますけど、1日1日あっという間でした。毎日、新しく体験したことばかりだったので、そう感じたのかもしれませんね」
撮影は昨年5~6月、名古屋近郊にて。デジタルではなく、フィルムで行った。
「それが一番怖かったです。最初に監督にも言われたんです。『フィルムはめっちゃ高いから、何度も撮り直しはできない』って。でも、撮り直しは結構ありましたよ。ただそれは仕方ないですよね。こちらはド素人なんですから(笑)」
70歳を超えての新たなチャレンジは、自身の人生にどんな影響をもたらしたのか。
「やってよかったと思います。自分が動いている姿を見ると、体がこわばっているなと感じたり、すごい恥ずかしかったんですけど、いい体験をさせてもらったなと思っています。もう僕は歌を辞める気はないので、映画主演したことは必ず歌にも返ってくると思っています」
家族に感謝「薬物には2度と手を出さない」
薬物に手を出したのは、59歳だった。
「なぜやってしまったのかは自分でもいまだに分からないです。当時、悩んでいたこともいっぱいあったし、行き詰まったことも確かなので、いろんなもののせいにはできてしまうんです。1つ言えるのは現実逃避です。だけど、スタジオに行かなくなったり、ほかのみんなと顔を合わせるのが怖くなったり、だんだん自分1人の世界に入っていきました」
判決後は名古屋で薬物治療のために入院し、その後は週1回クリニックに通院した。これも家族や周囲の支えが大きかったという。
インタビューに同席した妻の矢野きよ実(62)もこう語る。
「一緒に5年ほど行ったんです。3年ぐらい経ってからは、先生たちはライブにいらっしゃってくれた。今では、かつての過ちをオープンにも話せるようになりました。監督も、『(中村は)僧侶みたいだね』とおっしゃるんです」
中村は「2度と薬物には手を出さない」と誓う。
「警察でも検察の方からも『薬物は再犯率が非常に高い犯罪なので苦労するよ』と言われました。だけど、僕には、いい意味での足かせができたんだと思います。まずは家族だし、この映画もそう。いい意味で足かせになるものが増えています」。映画をきっかけに、中村は新たな『はじまりの日』を迎える。
□中村耕一(なかむら・こういち)1951年2月15日生まれ。北海道函館市出身。ボーカリストとしてJAYWALKに加入、アルバム『JAYWALK』(1981年)でメジャー・デビュー。『何も言えなくて…夏』(1991年)が180万枚を売り上げる大ヒットを記録した。同曲で日本有線大賞、日本レコード大賞など受賞。2011年3月JAYWALKを脱退。13年よりソロアーティストとしてライブ活動を開始。17年以降、さまざまなアーティストと共演し、全国でライブを行う。