プロ野球選手引退→スカウト転身、激変した生活リズム 大嫌いだったスーツを毎日着用

プロ野球という舞台に立つことができるのは、ほんの一握りの選ばれた選手たちだ。そんな原石を掘り出すのがスカウトという職業。西武の十亀剣アマチュアスカウトは、11年間の現役生活を終えた後、セカンドキャリアとしてスカウトの道を選択した。仕事着もユニホームからスーツへと変えたが、どのような心境で日々仕事に臨んでいるのだろうか。

西武の十亀剣スカウト【写真:球団提供】
西武の十亀剣スカウト【写真:球団提供】

引退後の初仕事は「名刺を持ってあいさつ周り」

 プロ野球という舞台に立つことができるのは、ほんの一握りの選ばれた選手たちだ。そんな原石を掘り出すのがスカウトという職業。西武の十亀剣アマチュアスカウトは、11年間の現役生活を終えた後、セカンドキャリアとしてスカウトの道を選択した。仕事着もユニホームからスーツへと変えたが、どのような心境で日々仕事に臨んでいるのだろうか。

 JR東日本での2年間の社会人野球を経験した後、2011年のドラフトで西武から1位指名を受けて入団。ルーキーイヤーから1軍で主力として活躍し、22年の引退まで計259試合に登板した。

 プロ野球選手にとってのセカンドキャリアの選択肢は多岐にわたるが、現役時代にFA残留を選択した十亀氏は「お世話になったチームに恩返しをしたい」との思いで、引退後も声を掛けてくれた球団に残ることを選択した。

 一方で、球団内でどのような役職に就くことになるか分からないままでの決断だった。引退後、球団事務所を訪れた際にスカウトというポジションが用意されていた。

「最初は驚きました」。とはいえ、前任の大島裕行氏がスカウトからファーム打撃コーチに就任したことで、空席が生まれるため、多少の予想はついていたという。

 西武のスカウト陣はどんな時でもスーツ着用が伝統。「今は笑い話なんですけど、1番やりたくなかったことがスーツを着る仕事だったんです。汗っかきなので、襟がない仕事をしたいと思っていたんですけどね。でも、慣れてしまえば、私服で何着るかを迷うよりも楽になっちゃいました」と笑う。

 選手時代は無縁だったビジネスマナー。研修などはなく“ぶっつけ本番”ではあったものの、JR東日本での2年間の社会人経験が生きた。

「ビジネスマナーはある程度は把握していましたが、しっかりしたところまでは分からなかったです。徐々に学びながらのスタートでしたね。前任の携帯電話を引き継がないので、イチから学校や企業に電話して、名刺を持ってあいさつ周り。顔を覚えてもらうところからスタートしました」

スカウトといえども球団職員の1人…人事は「会社が決めること」

 スカウトというと、特殊な職業のようにも思えてしまうが、その実情は営業マンのように、地道な作業の積み重ねだった。

 選手時代とはまったく異なる境遇となったが、中でも戸惑ったのがスケジューリングだったという。選手時代は、遠征先への移動や宿泊先などはマネジャーが準備してくれていた。しかし、今ではすべてを自分自身で管理する必要がある。

「選手時代は自分のことをやっていれば良かったので、戸惑いましたね。特にスカウトは移動も多いですし、相手あってこそ初めて仕事ができる職業です。学校や企業さんに連絡して、自分の予定と照らし合わせて、レンタカー予約して、電車の時刻を調べて、ホテルはここを取って……とか、そんなことばかりやっています(笑)」

 スカウト生活も2年目に入り、徐々に新たな生活リズムにも慣れてきた。「スケジュールを組むのが上手になりました」とニヤリと笑う。

 昨年との大きな違いは初めての担当選手が活躍しているという点だ。ドラ1左腕・武内夏暉は1軍でローテーションを守り、新人ながら9月16日には完封勝利を果たすなど、新人王の有力候補。「自分の仕事をしながらも、武内の1軍での活躍を見られることが何よりもうれしいし、やりがいです」と“我が子”の成長を見届けている。

 スカウトといえども球団職員の1人。今後、どういう人事が待っているかは神のみぞ知る。「今はやりがいを感じていますし、長くやれればいいですね。あとは会社が決めることなので、僕は自分の仕事を全うするだけです」。

 仕事着をユニホームから大嫌いだったはずのスーツに変えて、お世話になった球団のために十亀氏は今日も汗を流し続ける。

次のページへ (2/2) 【写真】十亀剣スカウト&ドラ1左腕・武内夏暉の2ショット
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