服部幸應さん、78歳で死去 料理と共に歩んだ人生…校長を務める専門学校で倒れて 木村拓哉らが追悼

服部栄養専門学校の校長で、フジテレビ系『料理の鉄人』、テレビ朝日系『愛のエプロン』などに出演していた料理評論家の服部幸應(はっとり・ゆきお、本名・染谷幸彦=そめや・ゆきひこ)さんが4日に死去していたことが6日、分かった。78歳だった。同日に東京・千駄ケ谷の同校で倒れ、程近い慶応大学病院に救急搬送された。病死とみられる。業務提携先の生島企画室に

服部幸應さん【写真:ENCOUNT編集部】
服部幸應さん【写真:ENCOUNT編集部】

『料理の鉄人』、『愛のエプロン』などに出演

 服部栄養専門学校の校長で、フジテレビ系『料理の鉄人』、テレビ朝日系『愛のエプロン』などに出演していた料理評論家の服部幸應(はっとり・ゆきお、本名・染谷幸彦=そめや・ゆきひこ)さんが4日に死去していたことが6日、分かった。78歳だった。同日に東京・千駄ケ谷の同校で倒れ、程近い慶応大学病院に救急搬送された。病死とみられる。業務提携先の生島企画室によると、服部さんは最近まで元気だったという。

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 突然の訃報。生島企画室の関係者はENCOUNTの取材に「急なことで驚いています」と言った。服部さんはこれまで通り、服部栄養専門学校の授業に顔を出し、メディア活動を続けていた。

 服部さんは、料理学校・服部学園の創業者である服部道政さんを父に持ち、幼少から料理に親しんできた。1970年に立教大社会学部を卒業。「女子学生における食品摂取と性格との関連に関する研究」と題した博士論文で昭和大から博士(医学)の学位を得ているが、文字通り、料理とともに歩んだ人生だった。77年には服部栄養専門学校の校長、服部学園の理事長に就任。80年代からメディア活動もスタート。『料理の鉄人』の解説、『愛のエプロン』のコメンテーター、フジテレビ系『SMAP×SMAP』でのコーナー・BISTRO SMAPでの調理監修など、数多くの料理バラエティー番組に携わった。9月26日放送のFM NACK5『服部幸應 WELL TASTE』(日曜正午)にも出演。アシスタントのタレント・保田圭とともに食に関するトークを展開し、本日の放送分も収録済みだった。

 訃報を受け、服部さんから料理指導を受けた俳優の木村拓哉はインスタグラムのストーリーズを更新し、「服部先生 心からご冥福をお祈り申し上げます」と追悼した。『愛のエプロン』でMCを務めた城島茂がリーダーのTOKIOも公式Xで「番組を超え、あらゆる面でもお力添えをいただき、料理の楽しさ、食事の大切さを教えていただきました」と感謝をつづった。

 また、今月1日には大相撲元大関の栃ノ心剛史氏がXで「服部学園の服部幸應理事長と津貴子先生、服部学園の先生方とお会いしました。ジョージアの食文化やワインについてお話させて頂きました」とつづり、服部さんとワインボトルを持つ笑顔のツーショットを投稿。訃報を受け、栃ノ心氏は「誠に残念でなりません。服部幸應校長とジョージアの食文化や相撲のお話を出来た事は私にとって宝物です。ご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げます」とコメントした。

『料理の鉄人』で共演した「和の鉄人」道場六三郎氏の9月29日に更新された公式YouTubeチャンネルには、服部さんがゲスト出演。服部栄養専門学校講師の西澤辰男氏が調理した天ぷらを実食し、「おいしい。ちょっと、甘いかな」などとコメントしていた。

 パティシエの鎧塚俊彦氏はインスタグラムを更新し、服部さんを追悼。9月30日に「食文化ルネサンス総会」の席で服部さんと対面したことを明かし、「『喉が痛く声が出ない』と仰(おっしゃ)りながらも立派に総会の議長を勤めあげられました。その際には『最近の料理業界は新しさを追求する余りに基本、軸が疎かになっている』と厳しい意見を堂々と述べて下さいました」と振り返った。その上で「服部先生は私が欧州から帰国したばかりの頃から可愛がって下さり様々な活動やメディアにも引き入れて下さいました」などと感謝し、「先生の志を仲間と共に引き継ぎ、料理業界の発展の為、より一層精進して参ります」と宣言した。

次のページへ (2/2) 【写真】9月30日、鎧塚俊彦氏らと記念写真に納まる服部幸應さん
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