「まさか自分が…」学習院大卒のグラビアアイドルがプロレスデビューするまでの道のり

学習院大学を卒業後、「南ゆうき」名義でグラビアアイドルとして活動し、プロレスラーになった勇気みなみ。2023年にデビューした彼女は、一時期の練習生期間を経てマリーゴールドで改めて再デビューを果たした。異色の経歴を持つ彼女に、プロレスラーになるまでの話を聴いた。

高い打点のドロップキックを放つ勇気みなみ【写真:(C)マリーゴールド】
高い打点のドロップキックを放つ勇気みなみ【写真:(C)マリーゴールド】

本当は教員免許を取得して故郷に戻ろうと思っていた

 学習院大学を卒業後、「南ゆうき」名義でグラビアアイドルとして活動し、プロレスラーになった勇気みなみ。2023年にデビューした彼女は、一時期の練習生期間を経てマリーゴールドで改めて再デビューを果たした。異色の経歴を持つ彼女に、プロレスラーになるまでの話を聴いた。(取材・文=橋場了吾)

 勇気みなみは、故郷の新潟から学習院大学へ進学するために上京した。

「学習院にしたのは、こだわりの学部や学科があったわけではなく、『お嬢様っぽい』というイメージで選んでしまいました(笑)。当時は私大のMARCH(明治・青山学院・立教・中央・法政)が何を意味するのかも分からないレベルで……実は家系でも初めて大学に行く、高校も進学校ではない、というような環境だったので。結果、文学部へ進んだので教員免許を取得して、故郷に戻ろうと思っていました」

 しかし、東京には勇気が求めていた刺激があった。

「小さいころに少しだけキッズモデルをしていたことがあるんです。上京したときには辞めていたんですが、やっぱり東京だとそういう活動の場はたくさんあって。芸能というよりは、イベントコンパニオンやラウンドガールをアルバイトで始めた感じでした。その中で、第二のお母さんと呼べるようなグラビアの先生と出会って、グラビアもやるようになりました。私、ファッションそのものにはあまり興味がないんですが、水着や下着のモデルにはなってみたいと思っていたんです。そもそも、自分を見てもらうのは好きなので(笑)」

プロレスデビューまでの道のりを語った勇気みなみ【写真:橋場了吾】
プロレスデビューまでの道のりを語った勇気みなみ【写真:橋場了吾】

「私はこの1年間何をやってきたんだろう」…一念発起して練習生へ

 勇気がプロレスを初めて見たのは2019年、FREEDOMSと勇気が参加していたプロジェクトとのコラボイベントだった。いきなりデスマッチの洗礼を受けたことになる。

「いきなり凶器は出るし流血はするし……そして大きな身体のレスラーがぶつかり合って、すごい世界があるんだなと感じました。受け身の音もすごいですし。実は親戚でプロボクサーだった人がいて、後楽園ホールにはよく行っていたんです。その中でもラウンドガールには目が行ってしまいましたね。当時はまさか自分がプロレスをすることになるとは思っていませんでしたが(笑)」

 23年、アイスリボンで映画撮影のプロジェクトが進み、アイドルがプロレスに挑戦するオーディションが行われた。合格者6人の中に、勇気の名前はあった。

「当時はグラビアの芸名である南ゆうき名義だったのですが、マット運動すら上手にできずでした。バレーボールをやっていたので体力には自信はあったんですが、繰り返し繰り返し練習して、なんとかできるようになったという感じでした」

 同年8月、無事デビューにこぎつけるも、プロジェクト自体が終了し契約も満了。今年4月にアイスリボンを退団する。

「オーディションに合格してから1年ほどプロレスの練習や試合をしてきたのですが、そのタイミングで契約が終わってしまったので『私はこの1年何をしてきたんだろう』と。プロレスがもっと続けていきたい、と思っていたところでマリーゴールドの旗揚げのお話を聴いて、チャレンジしたいと思って練習生になりました」

(30日掲載の後編へ続く)

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