年間TV出演370本だった芹那「バラエティーは合ってなかった」 たどり着いた芸能界にこだわらない生き方

「元SDN48の芹那って知ってる?」。突然、メールを送ってきた友人はタレント・芹那と親友の関係だった。私は彼女に「あざといキャラでブレイクして、バラエティーにいっぱい出ていた人だよね」と返信した。2009年、AKB48のお姉さんグループ・SDN48でセンターを務めていた芹那には、多くの人々が同じようなイメージを持っていることだろう。彼女も39歳。8月には所属事務所から独立した。このタイミングで私は友人を介して、芹那と会った。約1時間半の単独取材。素顔に迫ったインタビュー前編のテーマは「芸能界にこだわらない生き方」。

インタビューに応じた芹那【写真:北野翔也】
インタビューに応じた芹那【写真:北野翔也】

インタビュー前編

「元SDN48の芹那って知ってる?」。突然、メールを送ってきた友人はタレント・芹那と親友の関係だった。私は彼女に「あざといキャラでブレイクして、バラエティーにいっぱい出ていた人だよね」と返信した。2009年、AKB48のお姉さんグループ・SDN48でセンターを務めていた芹那には、多くの人々が同じようなイメージを持っていることだろう。彼女も39歳。8月には所属事務所から独立した。このタイミングで私は友人を介して、芹那と会った。約1時間半の単独取材。素顔に迫ったインタビュー前編のテーマは「芸能界にこだわらない生き方」。(取材・文=白川ちひろ)

 午後9時30分。待ち合わせ場所に、芹那は大きな紙袋を両手に持ちながら現れた。個性的なハイトーンボイスで「初めまして。芹那です」。ペコリと頭を下げた後、かけていたメガネを外した。目の下には大粒のラメ。直前までファンイベントが行われていたようで、「目立ちますよね。これ、ファンの女の子が塗ってくれたんですよ」と声を弾ませた。紙袋も女性ファンからのプレゼントだという。昨今、テレビ出演は少なくなったが、今でもファンに愛されているようだ。そんな彼女は大学の在学中に芸能界入り。まず、当時のことから聞いた。

「実は小学生の頃から芸能人になりたかったんです。将来の夢を書くプリントにも、『芸能人』と書いて、クラスの男子に笑われていました。ただ、高校(函館白百合学園高)だけでなく、当時は大学(白百合女子大)も芸能活動は禁止。それでも、通っていた美容サロンでタレント事務所を経営されている方と出会い、スカウトしていただいたので内緒で活動を始めました。当時の私は金髪にピンクのキャミソール、フリフリのミニスカが好きなギャルでしたが、タレントになってからは髪を黒く染めて、洋服もお姉さん風に変えました。ただ、私は教職課程も取っていましたし、3年生になると就活を考えることが当たり前と思っていました。それでも、どうしても芸能活動を続けたくなり、『夢をあきらめたくない』と親に相談したところ、『本当にやりたいこと1つを頑張って』と背中を押してくれました」

 卒業後、芹那はテレビ番組やグラビア雑誌など、数々のオーディションを受けるも不合格続き。唯一受かったのが、SDN48のオーディションだった。

「周りがダンス経験者や元アイドルの中、ダンス、歌とも未経験の私は悔しい思いばかりでした。デビュー前のレッスン時には、ポジションを端にされ、出演曲の他のメンバーの半分に減らされてました。涙をこぼす日々でしたが、『どうしてもセンターになりたい』と思い、スタジオの鍵を借りて、毎日、始発から終電まで一人でダンスの練習をしていました」

 その努力が実り、3枚目シングル『MIN MIN MIN』でセンターをゲット。だが、芹那が本当になりたかったのは、「アイドル」ではなかったという。

「演技の仕事がしたいと思っていました。グループは2012年3月で全員が卒業となって活動が終了。『ここからだ演技の勉強を』と思っていたら、いただく出演オファーはバラエティー番組ばかりでした」

 事務所に言われるがままに出演。同年、芹那の年間テレビ出演本数は370本以上になった。その大半がバラエティー番組だった。

「あの頃は忙しすぎて、いつどんな番組に出ていたとかを何も覚えていないんです。自分ではバラエティーが合っているとは思わなかったし、周りから求められるままにこなしていましたし、番組で本音をしゃべったこともありませんでした。当時は優木まおみさん、眞鍋かをりさんをはじめ、きれいで頭のいい人が多く出演されていたので、正直、私は圧倒されている感じもありました」

 結局、バラエティータレントとして突き抜けることはできず、メディア露出は徐々に少なくなった。2020年には、出演したテレビ朝日系『伯山カレンの反省だ!!』で、芸能とは別の仕事をしていることを明かしていた。

「お洋服のブランドのデザイナーをやっていました。だけど、芸能の仕事以外では芹那って名前を出したくないので、自分のSNSに投稿することもないですし、これから他の仕事も含めてひっそりとやっていきます」

芸能活動には心残りはないと語る【写真:北野翔也】
芸能活動には心残りはないと語る【写真:北野翔也】

事務所から独立「芸能活動には心残りはないです」

 そして、今年8月21日、インスタグラムで15年間在籍したA-PLUSからの独立を発表した。同事務所のグループが芸能事業から撤退したこともあるが、実は2年前から個人事務所を設立。A-PLUSとは業務提携の契約だったという。

「一緒に頑張ってくれていたマネジャーさんは10年ほど前に辞めてしまいました。私は『2度と同じくらいの熱量のマネジャーさんには会えない』と思い、仕事へのモチベーションをなくした時期もありました。その後、事務所に所属をしている意味を考え出し、業務提携に変更してもらいました。今はTikTokの配信をしたり、YouTubeを投稿したり、マイペースに活動しています。仕事や金銭面での不安はあまりないですね」

 その上で芹那は言った。

「前の事務所でいろいろお仕事をさせていただいたので、正直、芸能活動には心残りはないです。逆に芸能界にいたことで、できなかったことにチャレンジしてみたいなと思っています。新しく始めるのに年齢は関係ないですから」

 引退をするわけではないが、芹那は既に芸能界にこだわらない生き方はしていた。続くインタビュー後編では、さまざまな恋愛情報が浮かんでは消えた芹那が「ウワサの真相」を語っている。

□芹那(せりな) 1985年5月19日、北海道生まれ。白百合女子大卒。2009年、SDN48でアイドルデビュー。センターにも選ばれた。独特な声とキャラクターでブレイクし、12年の年間テレビ番組出演本数は370本を超えた。今年8月、所属事務所からの独立を発表。161センチ。血液型A。

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