「大物選手で月に70万円」女子プロレス界の金銭事情も告白 ジュリア自叙伝の制作秘話「やる時はやる女」

“狂気のカリスマ”と呼ばれるジュリアが8月末に初の自叙伝「My Dream」を上梓した。今現在、ジュリアは海を渡って世界最大のプロレス団体WWEに挑戦しているが、自叙伝の“仕掛け人”となったのが「週刊ゴング」編集長でもあった金沢克彦氏だ。今回は、金沢氏に自叙伝の制作秘話と、自叙伝に込めたジュリアの思いを聞いた。

表紙写真の全身撮影パターン。この写真をバストアップにしたものが表紙になっている【写真:須田卓馬】
表紙写真の全身撮影パターン。この写真をバストアップにしたものが表紙になっている【写真:須田卓馬】

出版社が見つかったことじたい奇跡的

“狂気のカリスマ”と呼ばれるジュリアが8月末に初の自叙伝「My Dream」を上梓した。今現在、ジュリアは海を渡って世界最大のプロレス団体WWEに挑戦しているが、自叙伝の“仕掛け人”となったのが「週刊ゴング」編集長でもあった金沢克彦氏だ。今回は、金沢氏に自叙伝の制作秘話と、自叙伝に込めたジュリアの思いを聞いた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

 発売からすでにひと月がたとうとしている本書だが、先月25日に東京・秋葉原の書泉ブックタワーで実施された刊行記念イベント(サイン本お渡し会・撮影会)では、400人以上のファンが集まって、計808冊を売り上げ、同書店におけるスポーツ・格闘技関連の1日の企画開催で、過去最高の売り上げを記録した。発売前には出版元である集英社の週刊誌『週刊プレイボーイ』のグラビアも飾り、駅貼りポスター広告も出されるなど、女子プロレスラーの自叙伝としては大きな話題を呼んだ。

 内容的な部分に関すると、金沢氏によれば、ジュリアは最初から「プロレスのことを書きたい」と口にしていたという。

 その際に金沢氏は「ジュリア自身のロンドンで生まれたという出自、19歳でイタリアンレストランの店長をやっていたことを含めた特異な育ち、キャバクラで働いていたことなんかは書かないの?」と質問したが、ジュリアは「それはいらないと思うんです。私はプロレスのことを書きたい。もっと女子プロレス界は、お金のことを含めて開示されるべき。私はそういうことを訴えたいんです」と打ち明けた。

 最終的に完成した本書を読むと、かなり突っ込んで金銭面に触れた場面も登場する。ジュリアが2017年10月にプロデビューを果たしたアイスリボンの話を例に出すと、以下のようになる。

「女子プロレスファンで誰でも知っている大物選手で、月に70万円くらい稼いでる」

「事務員になった。事務員として試合に出るので、試合給がなくなる代わりに、月給は8万円に増えた。寮の家賃と雑費で2万円引かれるから、手元に残るのは6万円くらい」

「(アイスリボンの)新人賞を取った私の給料は少し上がっていたが、それでも寮費をさっ引いたら10万円くらい」

 他にもケガをした場合の治療費は、選手によって会社に請求できる選手とできない選手がいることも書かれていた。

 年商15億円を弾き出すスターダムのような大きな団体なら、ファイトマネーの金額もまた変わってくるだろうが、それでも、ここまで金銭的な話が明かされたのは珍しい。

ジュリア初の自叙伝は、「週刊ゴング」編集長でもあった金沢克彦氏がプロデュース(撮影場所:闘道館)
ジュリア初の自叙伝は、「週刊ゴング」編集長でもあった金沢克彦氏がプロデュース(撮影場所:闘道館)

「私、やる時はやる女ですから」(ジュリア)

 完成してみれば、なかなか衝撃的な内容を含め、ジュリアの軌跡が一冊丸々、しかも本人の手によって書き下ろされた自叙伝になったし、おそらくジュリアもそうした金銭的な話を包み隠さず公にすることで、多少なりとも女子プロレス界に問題提起をしたかったのだろうと推察した。

 だが、そこに至るまでの話を金沢氏から聞くにつけ、当初は未知数すぎるジュリアの提案が、腑に落ちる出版社が見つかったこと自体、奇跡的だと思えた。それほど、最初にジュリアから「本を出したい」と相談された際の周りの反応は厳しいものだった。

 結局、考え抜いた末に金沢氏はジュリアがすでに書きはじめていた「序章」に当たる導入部分、それをいくつかの出版社に持ち込もうと考えた。

「それを読んでみたら驚いたんですよ。これ、イケるじゃん、と思ったから」(金沢氏)

 実際、いくつかの出版社にその「序章」を見せると、一様に「これ、本当にジュリアさんが書いたんですか?」との返答だった。

「そのなかの一人に(『週刊ゴング』を出版していた)日本スポーツ出版社時代の後輩がいて、彼は集英社グループのホーム社に在籍していて単行本の担当をしていた。毎月一冊、本を出していたんですね。彼は昔、『ゴング格闘技』に所属していたんだけど、彼にもそれを送って、『どうかな?』って聞いたら、彼は『やってみましょうか』じゃなくて『やりたいです。やらせてください!』って言ってくれたんです。なかなかそんな言葉は聞かないじゃないですか。だから、『ありがとう。一緒にやりましょう!』ってことになったんです」(金沢氏)

 ただし、その時の話では「発売は10月末、早くても9月末」だった。その段階で、ジュリアが3月末でスターダムを退団することは決まっていたが、WWE行きがいつになるのかはまだハッキリしなかった。

 ジュリアからは「たぶん渡米は10月か11月くらい。でも急きょ早まって、9月になる可能性もあるかもしれません」と打ち明けられたことから、金沢氏は書籍の発売を前倒しし、「9月でも遅い。なんとか8月末にしてくれないですか?」と出版社側に提案すると、逆に「できるんですか?」との問いを突きつけられた。

「無理もない話なんですよ。ジュリアには試合がある。書き手としては素人。出版する側としては不安がある。必ずジュリアに書いてもらえるか分からない。実際、スケジュールはハードになりました。それと僕自身、過去に取材した女子選手はけっこういるけど、書籍が出版されるまでの半年間も女子プロレスラーと密に連絡を取り合って、どこまで踏み込んでいいものか……それが分からないんですよね。彼女には『俺はこんな感じで普段はヘラヘラふざけているけど、仕事になったら厳しいよ。人が変わるから。まして時間の制約のなかでプロのライターでも地獄を見るような思いを味わう。本当に、できる!?』なんて、彼女の覚悟を確認するようなことも何度か言っているんですよ」(金沢氏)

ジュリアが渡米しWWE入団直前に発売された自叙伝「My Dream」
ジュリアが渡米しWWE入団直前に発売された自叙伝「My Dream」

WWE『レッスルマニア』視察の前日夜に…

 金沢氏から覚悟を問いただされる言動を耳にしたジュリアは、金沢氏いわく「多少は考えたとは思うんですけど」としながら、以下の言葉を発した。

「私、やる時はやる女ですから」(ジュリア)

「そこまで言われたら、その言葉を信じようって感じでしたね」(金沢氏)。とはいえ、進行はかなりキツいものだった。正式にジュリアが出版元と顔を突き合わせて話をしたのが2月半ば。

 そしてジュリアが「プロレスのことを書きたい」のであれば、最初の転機としてスターダムに移籍するためプロデビューしたアイスリボンを退団したこと。その稿を3月末までに書き上げる。2度目の転機としてスターダムのトップ戦線で活躍しながらも新天地を求めて、退団したこと。そこまでを4月末までに書き上げる。それを一応の基本ラインと決めて、それ以降の話題は後送原稿でいくことも決めた。

 しかしその段階で、あらかじめ決められていたジュリアのスターダムでのスケジュールは、彼女の執筆時間を極度に制限するものだった。

「3月のスケジュールが11大会、地方大会前日に撮影会とサイン会が2か所入っていたから、実質は13大会と言っていいほどタイトなスケジュールでしたね。だから3月末の時点で、プロデビューするどころか藤本つかさにスカウトされた段階で止まっていたわけだから、まだアイスリボンの練習生にもなっていない(苦笑)。3月のスターダムのスケジュールがそれこそ“ジュリアさよならツアー“の様相でタイトだったのは重々分かっているんだけど、『これ、間に合わないよ。厳しいよ!』って伝えたんです。実際、このペースでは絶対に間に合わない進行状況だったから。だけど4月に入って彼女が『レッスルマニア』の視察のためWWEに招待されて渡米したじゃないですか。実はその前日の夜に、すさまじい量の原稿を送ってきたんですよ」(金沢氏)

 しかも金沢氏は、その原稿の内容を読んで驚いた。

「何が驚いたって、私はロンドンで生まれた。小学校、中学校でイジメに遭った話、メイク専門学校に通うためにキャバクラで働いていた話……、僕が書いてほしい、読みたいと思っていたことが書かれてあったんです」(金沢氏)

 読めば分かるが、そこにはジュリアがどんな男性にときめいて、どんな別れ方をしたのかまで書かれてあった。

 しかしながら、なぜジュリアは心変わりをしたのか。金沢氏の疑問に対し、ジュリアはこう答えた。

「考えたんですけど、私はお金に苦労してアイスリボンを出ることを決意したわけだし、お金のことは大事だと思う。19歳でイタリアンレストランの店長をやって、店が儲からないのに従業員にお金を払わないといけない。そういうことを全て含めて、生い立ちも書かないと説得力がないんじゃないかって思いました」(ジュリア)

ジュリアならではの表現方法「うぐううぅっぅあーぁあ!」

な 金沢氏はそれを聞いて驚き、うれしかったと同時に、危機感を覚えた。

「現実問題として間に合うのかって思いましたね。正直言ったら、もう7対3ぐらいで無理じゃないかって。でも、そのあと日付が変わっても原稿を送ってくれて。『今日、もう空港に行かないといけないんじゃないの?』って電話して聞いたら、『夕方出るから大丈夫です』って。だから彼女は大変だったと思うけど、よく我慢してやり遂げた。その後も結構、僕は厳しくケツをたたいたんですよね」(金沢氏)

 最終的にジュリアは、原稿の締め切りを8日間遅れはしたが、5月8日までに約束された原稿をすべて送ってきた。これで、なんとか間に合わせることができそうな目処がついた。

「だから僕からしたら奇跡の連続なんです。ジュリアの人生にふさわしく波瀾(はらん)万丈で。しかも大きな直しはなくて。ていうのは、プロの書き手が書くような文体に修正してしまうと、ジュリアらしさが消えるんです。だから多少荒っぽい部分でもあえて生かしたり。あとは一般の人に読んでもらうために分かりやすくすること。プロレスファンには分かっても一般の人には伝わらない、では意味がないから。だから『ここはもう少し説明を入れてくれる?』って伝えたりね。基本的には親切に書く、読みやすくする、テンポよく、の3つを伝えた感じでしたね」(金沢氏)

 読んでいくと「イテテテテ」「うぐううぅっぅあーぁあ!」といった、ジュリアならではの表現方法が小気味よく伝わってくる。

 冒頭に書き記したように、ジュリアはすでにアメリカに渡り、世界最大のプロレス団体WWEへの昇格を果たすため、登竜門であるNXTのリングに立っている。実際、連日その模様は海を越え日本にも伝わってきているが、来たる10月1日には、早くもNXT女子王座への挑戦も決まった。次なる大きな吉報が届く可能性も高いだろう。

 そんな状況をどこまで予測していたのか、金沢氏は本書への思いを以下のように定義した。

「僕からしたら、彼女に対しては餞別のつもりでしたよね。アメリカに行く前に、日本のプロレスにひと区切りをつけましょう。いま30歳、プロレスラーになって7年になる自分のすべてをここで書きましょう。この先どうなるか分からないけど、5年後、10年後になって、ああ、この本を書いておいて良かったなあと思えるようなものをつくってあげたいと思っていましたから」

 そして金沢氏は最後にこう続けた。

「ジュリアが現役を引退したら小説家になってほしい。単なるライターじゃなく、小説家。それだけの才能は持っていると思いますよ」

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