ホームレス生活→高層マンション在住、謎の“金持ち社長”の正体 LINE友達は8000人「人間関係で損得は考えない」

ある時はYouTuber・ヒカルのチャンネルに「金持ち社長」として出演。またある時は、宮迫博之の動画で「マジシャン」として出演するなど、数々の有名人とコラボする謎の男がいる。名前はYOSHI。TikTokでは手品を披露し、60万人ものフォロワーを獲得。彼は一体何者なのか。ENCOUNTがその素顔に迫った。

経営するBar44で取材に応じるYOSHI【写真:ENCOUNT編集部】
経営するBar44で取材に応じるYOSHI【写真:ENCOUNT編集部】

芸能プロ、不動産会社、美容サロン経営のタレント・YOSHI

 ある時はYouTuber・ヒカルのチャンネルに「金持ち社長」として出演。またある時は、宮迫博之の動画で「マジシャ ン」として出演するなど、数々の有名人とコラボする謎の男がいる。名前はYOSHI。TikTokでは手品を披露し、60万人ものフォロワーを獲得。彼は一体何者なのか。ENCOUNTがその素顔に迫った。(取材・文=白川ちひろ)

 自身が経営するBar44(東京・恵比寿)に現れたYOSHIは、物腰が柔らかく、人懐っこい印象だ。ただ、腕にはロレックスの時計、指にはダイヤのリングが輝いていた。記者が単刀直入に「職業は」と問うと、YOSHIはこう返した。

「本業はマジシャンとタレントなんですが、今は芸能事務所と不動産会社と美容サロンを経営しています」

 金持ち社長は作られたキャラではなく、そのものだった。気になってその経歴を聞いてみると、文字通り、「型破り」だった。

「実は僕、代々木公園でホームレスをしていたんですよ。地元の北海道で大学を卒業する前、タレントになる夢を叶えるため、上京することを決めました。親も賛成してくれ、餞別(せんべつ)で20万円をくれたんです。その後、友人をたくさん集めて自分のお別れ会を開いたら、そこで友人の1人から20万円が入った財布を盗まれる事態に。不憫に思った親がもう10万円をくれたのですが、それも東京に着いてすぐ電車の中で取られてしまったんです。『この先どうしよう』ってことなんですが、僕は笑っちゃっていました。その状況がおかしくなって」

 窮地に立ったYOSHIは、すぐに「稼ぐ」ことを考えた。

「迷うことなく渋谷の路上でマジックを始めました。そこから日銭を稼いで、夜は代々木公園で過ごしました。するとある日、マジックを見てくれたおじさんが『面白かったよ。これから飲みに行こう』と声をかけてくれ、六本木のバーに連れて行ってくれました。そこに、たまたま志村けんさんがいらしていたんです。東京に出てきて4日目で芸能界のトップに会えるとは『なんてラッキーなんだろう』と思いました。その場でもマジックを披露したら、志村さんも気にいってくださり、直接連絡をいただくようになりました。そのバーにも呼んでくださって、いつも多額のギャラをくださいました。でも、住むところがないので、僕はそのまま代々木公園で野宿していましたけど(笑)」

 以降も持ち前のコミュニケーション能力を生かし、芸能界にパイプを広げた。一方で、父親は東京でのホームレス生活を反対。「半年以内に大手の芸能事務所に所属できなければこっちに帰ってきなさい」と言い渡されていたという。その活動は簡単なものではなかったが、突然に転機が訪れた。

「仲良くしていただいていた俳優の塚本高史さんから、ドラマの打ち上げに呼んでもらったんです。僕は有名芸能人の方々と一緒にドラマのVTRを見ていたんですが、機械トラブルで映像がストップ。その時に塚本さんから『この場をつないでよ』と言われて、僕がステージに上げられました。そこでマジックを披露すると、陣内孝則さんが『こいつ、面白いな。サンミュージックに入れなよ』と言ってくださったんです。サンミュージック所属の塚本さんもすぐに動いてくださり、当時の相沢秀禎会長にお会いできました。そのまま役員の方々と一緒に面接していただいたところ、最後に会長が『いいよな。今日からうちのタレントってことで』と言ってくださいました。僕は信じられなくて、うれしくて、その場でボロ泣きしました」

マジシャン兼タレントとして駆け出しだった頃のYOSHI【写真:本人提供】
マジシャン兼タレントとして駆け出しだった頃のYOSHI【写真:本人提供】

サンミュージックと所属契約、3年で独立

 晴れてサンミュージックプロダクション所属となったYOSHIは、マジシャン兼タレントとして数々のバラエティー番組やドラマに出演。だが、次第に「独立」を考えるようになったという。

「営業が得意だからか、3年目になると自分で仕事を取ってくることが増えたんです。そしてある日、会長とお茶をしながら『自分で芸能事務所をやろうかな』と話したら、会長は『いいじゃん。YOSHIくんならできるよ。絶対、やりなよ』と賛成。背中を押された僕は、芸能事務所を立ち上げました」

 社名はYOSHIの名を文字って44プロダクション。最初の所属者は、かつてTBS系連続ドラマ『キッズ・ウォー』に出演していた斉藤祥太で、双子の弟・斉藤慶太も所属となった。そして、YOSHIと同じ高校の一学上の元ZONEのMAIKOが入り、MAIKOの紹介でMIZUHOが同事務所と契約。彼女は19年ぶりに芸能活動を再開した。その他、歌手・井上あずみ、声優・松本梨香らも所属。たちまち存在感のある事務所に成長した。そのキャラクターとバイタリティーから、芸能界の他にも人脈を広げたYOSHIは不動産業、美容サロンを含めて、多角的にビジネスを展開するに至った。

「僕、LINEの友達が8000人を超えているんですよ。LINEの友達の上限は5000人だからスマホは2台持ちしています。子どもの頃から親に『周りにいる人を大切にしろ』と言われてきて、それを今でも忠実に守っています。基本的に人間関係では損得を考えては動かないようにています。この前もテレビ局勤務の友人が退職した後に飲みに誘ったら、『もう、自分はメディアから離れたから、YOSHIさんの力になれないのに』って言うんですよ。僕からしたら、『オレら友達じゃん』なんですよ。現場ではADの方ともすぐに友達になるんですが、何年後、その人が偉くなって仕事くれたりするケースも確かにあります。ただ、僕は100人に何かプラスになることをしても、恩返してくれるのは2、3人。僕は『それでもいいや』のスタンスで生きてますね」

 取材中もLINEには頻繁に連絡が入っていたYOSHIは「可能な限り、すぐに返信します」と言った。信じた人物に裏切られ、大きな損をした経験もあるという。だが、「周りにいる人を大切にする」「人間関係で損得は考えない」の基本姿勢を変えるつもりはない。結果、それで人が集まり、ビジネスも成功してきたからだ。記者からの取材が終わったタイミングで、YOSHIはスマホに届いた恩人からのメッセージに反応した。

「偶然なんですが、ホームレスだった頃、渋谷で僕に声を掛けてくださり、バーに連れて行ってくださった社長さんからです。西麻布にいらっしゃるそうなので、すぐに行ってきます」

 聞くと、YOSHIは今、その社長と同じ高層マンションに住んでいるという。芸は身を助ける。その言葉をマジックで体現した36歳は、今後もそのフットワークと人間力で関わる世界を広げていく。

□YOSHI(よし) 1988年2月9日、大阪・吹田市生まれ。北海道の大学在学中、タレントになるために上京するも、全財産を盗まれホームレスに。その後、知り合った俳優・塚本高史に呼ばれた打ち上げの席をきっかけに、大手芸能事務所のサンミュージックプロダクションと所属契約。その後、独立し芸能事務所を経営。現在は不動会社、美容サロンなど多角的にビジネスを展開している。172センチ。血液型A。

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