【ズバリ!近況】「ゆうひが丘の総理大臣」優等生役の斉藤とも子さんは介護職で子供育て上げ孫2人
代表作「ゆうひが丘の総理大臣」では不良グループに共感
10代で出演した「青春ド真中!」「ゆうひが丘の総理大臣」、映画「悪魔が来りて笛を吹く」の斎藤光正監督(故人)に、女優として一番大事な基本を教えていただきました。女優になりたての頃は、学園ドラマに出るのが夢だったんですよ。でも、私はいつも優等生役で。オンエアを見ると、不良グループ役の人たちに共感できる感じでした(笑)。
撮影が終わった後やオフの日に食事に行ったり、遊びに行ったりしている人たちもいましたが、当時の事務所の「浮かれるな」という方針もあって、私は行ったことがなくて。ちょっと羨ましく思ったこともありました。実際、NHK教育テレビ「若い広場」の仕事で、本をたくさん読まなくてはいけなくて、遊べなかったんですけどね。
結婚前は自信がもてず「芸能界をやめてもいい」とまで思っていた
もともと私は地味なので、芸能界には向いてないなあと感じるようになりました。いつも自分に自信がもてず、望んで芸能界に入ったのに居心地が悪くて。結婚したときは、実は「もうやめてもいい」と思っていました。子供が幼稚園に入ったとき、幼稚園の先生たちに「お子さんは私たちがちゃんとみるから、自分の仕事を続けて」と背中を押していただいて、関西の朝の情報番組のMCで芸能活動を再開したんです。
当時は神戸に住んでいたので1995年に阪神・淡路大震災を経験し、その直後にドキュメンタリー番組のお仕事でタイのスラムの子どもたちや、山岳民族の人たちを取材しに行きました。貧しいなかでも懸命に生きている人たちの姿を目の当たりにして、人生観が変わったんです。その年の9月には沖縄米兵少女暴行事件もありました。「私は何も知らない」「何をやってきたのか」「何のために生きているのか」と考え、勉強したくなって大学を目指しました。
大学では社会福祉を学びました。私は小学校6年生のときに母をがんで亡くしたのですが、当時は友達のお母さんが母に代わってお弁当を作ってくれるなど、ずいぶん助けていただきました。女優を始めてからは、地方巡業へ行った先々でおじいちゃん、おばあちゃんたちと仲良くなって親切にしていただきました。なのに、ちゃんとお礼も恩返しもできずにいたので、年配の方たちに何かできたらな、と思ったんです。