やす子と並走した古原靖久が語った、苦しかった児童養護施設での思い出「飢えとも闘っていました」

お笑いタレント・やす子(25)が81キロを完走し、1日夜に終えた日本テレビ系『24時間テレビ47』。同日の夕刻、左足首を痛めて苦しむやす子のもとに、俳優・古原靖久(38)が応援に駆けつけた。古原はやす子と同じく18歳まで児童養護施設で生活。並走を終えて約5時間後、ENCOUNTの取材に応じ、やす子を応援できた思い、自身の歩み、施設で経験したことなどを語った。

24時間テレビのロゴ入りTシャツを着たまま取材に応じる古原靖久【写真:ENCOUNT編集部】
24時間テレビのロゴ入りTシャツを着たまま取材に応じる古原靖久【写真:ENCOUNT編集部】

終了5時間後、心境告白「発信を続けていきたい」

 お笑いタレント・やす子(25)が81キロを完走し、1日夜に終えた日本テレビ系『24時間テレビ47』。同日の夕刻、左足首を痛めて苦しむやす子のもとに、俳優・古原靖久(38)が応援に駆けつけた。古原はやす子と同じく18歳まで児童養護施設で生活。並走を終えて約5時間後、ENCOUNTの取材に応じ、やす子を応援できた思い、自身の歩み、施設で経験したことなどを語った。(取材・文=白川ちひろ)

 古原が都内のカフェに現れた。24時間テレビのロゴが入ったTシャツを着たままだ。記者が番組を見て、急なオファーをしたのだが、「記事に取り上げてもらえることで、少しでも多くの方に養護施設について知ってもらえたら」と快諾し、向かいの席に座って話し始めた。

「今回のことは、より多くの方に児童養護施設のことを知ってもらえるチャンスだと思っています。初めて施設のことを知った視聴者の方も多いでしょうし、『自分には何ができるだろうか』と考えてくださる方もいると思います。僕もこうして参加させていただいたことに心から感謝しています」

 そして、古原は両親の離婚により、母一人、子一人で生活が困窮。就学前から施設で暮らすことになった。

「母は16歳にして僕を産み、シングルマザーになったものの育てることができず、僕は児童養護施設に預けられました。施設は18歳で卒園の規定なので、『アルバイトをしながらやりたいことを探そうかな』と思っていました。しかし、卒園2週間前になって職員の方から『就職か進学が決まっていないと卒園できない』『進路が決まらなかったら、2年間住み込みで新聞配達をしなさい』と告げられました。僕は悩みました。言いなりになって新聞配達の仕事はしたくない。でも、進学をするお金もない。どうすればいいのか。頭をフル回転しているうちに、街中で芸能事務所からスカウトされていたことを思い出しました。当時は他人を信用できない人間だったので、『詐欺かも』と思い、いただいた名刺に連絡することはありませんでしたが、ここで『芸能界に入ると言えば卒園できる』とひらめきました。その後、祖父から紹介された芸能事務所に所属することで卒園できました」

 古原はその後、日本テレビ系『野ブタ。をプロデュース』、フジテレビ系『花ざかりの君たちへ~イケメン♂パラダイス~」に出演。戦隊シリーズのテレビ朝日系『炎神戦隊ゴーオンジャー』では主演に抜てきされた。

「実は卒園できたら、芸能界は辞める予定だったんです。だけど『野ブタ。』のオーディションに受かってしまい、右も左も分からないまま現場に行きました。演技は全く未経験。自覚はありましたが、ド下手でした。最初は多かった台詞もどんどん削られました。これが悔しくて、次に出演した『イケメンパラダイス』では、とにかく画面に映れるように頑張っていました。その経験が、『ゴーオンジャー』で生かされたなと思います」

 その後も俳優としてキャリアを積む中、約3年前から、施設の存在を知ってもらおうとYouTubeや講演活動で発信を重ねていた。24時間テレビでも「やす子さんの頑張る姿を見て、同じような境遇の子どもたちに自分もできるんだ。明るい未来がある。1人じゃない。気にかけてくれる人がこんなにいるんだということを感じてほしい」とコメントしていた。

「僕自身、養護施設にいたことを隠したことはありませんでした。バラエティー番組でも、子どもの頃の話を振られたら、『児童養護施設出身なんです』って普通に話していました。前に所属していた事務所からは『施設にいたことを表立っていうのは止めよう』と反対されていましたが、僕は施設出身であることはマイナスではないと思ってきましたから」

テレビ朝日系『炎神戦隊ゴーオンジャー』でゴーオンレッドを演じた頃の古原靖久
テレビ朝日系『炎神戦隊ゴーオンジャー』でゴーオンレッドを演じた頃の古原靖久

パンにつけるジャムは薄っすら

 児童養護施設では、物干しざおに吊るされるなど壮絶ないじめも経験したという。話の途中、古原はオーダーしたパンケーキにたっぷりとシロップをかけた。その上に、追加でホイップクリームをのせながらこう言った。

「施設では、パンにジャムなんて薄っすら色がつくくらいしか食べさせてもらえなかったんです。ハンバーグやカレーなど自分の食べる分は上級生に取られたり、先に食べ尽くされてしまうので、あの頃は常に飢えとも闘っていました。今でも、食事中に誰かの手が伸びてくると、『取られるんじゃないか』とドキっとしてしまいます。その反動なのか、シロップやクリームがあるとたくさんかけるのがクセになってしまったみたいです。当時は施設から何度も逃げ出しては、警察に保護されて連れ戻されていましたね」

 今回の24時間テレビ出演が決まり、やす子と初対面。すぐにシンパシーを感じたという。

「出演のオファーをいただくまで、僕はやす子さんが施設にいたことを知らなかったですが、会ってすぐに『児童養護施設あるある話』で盛り上がりました。やす子さんも、パチンコ屋か自衛隊か2つしか選択肢がなく、自衛隊を選ばれたと聞き、自身の経験とも重なりました。『今の施設の子供たちには何が必要でしょうか』との問いには、『走ることで元気を与えたい』とおっしゃっていましたね」

 やす子は81キロを走り切り、無事にゴールの東京・両国国技館にたどり着いた。事前から、「児童養護施設向け」に限定された募金総額は4億円3801万4800円に達した。やす子の影響力はすさまじいが、古原も今回のことを機に発信力をつけるつもりだ。

「まずは自分のYouTubeチャンネルを大きくしていきたいですね。ありがたいことに今、5万人の方が登録してくださっていますが、直近の目標は10万人。いずれは100万人を超えたいと思います。自分の発信力をつけることで、さらに多くの方に児童養護施設について知ってもらいたい。あの時の自分には、相談できる人や頼れる人がいなかったので、今は自分が困っている子どもたちを助けられるようになりたいです。これからも、講演会を通してさらに施設のことを多くの方に伝えていきたいですね」

 発信する側も1人じゃない。古原はやす子と同様に発信を続け、恩返しを重ねていく。

□古原靖久(ふるはら・やすひさ) 1986年8月13日、京都府生まれ。両親の離婚で母子家庭になり、困窮の末に5歳から18歳まで児童養護施設で過ごす。卒園2週間前、職員から紹介された新聞配達の仕事を断り、芸能事務所と契約。デビュー直後の2005年、日本テレビ系『野ブタ。をプロデュース』に出演。その後も、フジテレビ系『花ざかりの君たちへ?イケメン♂パラダイス?』をはじめとした連続ドラマに出演し、08年2月スタートのテレビ朝日系『炎神戦隊ゴーオンジャー』では主演を務めた。現在はNHK『あさイチ』でレポーターを担当。YouTubeチャンネル、講演などで児童養護施設に関する情報を発信している。180センチ。血液型O。

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