鄭義信氏「大切なことは飲み屋で決まる」 劇団ヒトハダの誕生秘話と第2回公演
劇作家、脚本家、演出家、映画監督とマルチに活躍する鄭義信(チョン・ウィシン)氏が劇団「ヒトハダ」の第2回公演『旅芸人の記録』(9月5~22日、東京・下北沢のザ・スズナリ、大阪公演=9月26~29日、扇町ミュージアムキューブCUBE01)を作・演出する。関西を舞台にした大衆演劇の家族の物語。鄭氏が込めた思いとは……。
笑いも取り込んだ理由とは「じゃないと、息が詰まっちゃうんで」
劇作家、脚本家、演出家、映画監督とマルチに活躍する鄭義信(チョン・ウィシン)氏が劇団「ヒトハダ」の第2回公演『旅芸人の記録』(9月5~22日、東京・下北沢のザ・スズナリ、大阪公演=9月26~29日、扇町ミュージアムキューブCUBE01)を作・演出する。関西を舞台にした大衆演劇の家族の物語。鄭氏が込めた思いとは……。(取材・文=平辻哲也)
「大切なことは飲み屋で決まるんです」と鄭氏は話す。
劇団ヒトハダも飲みの席で誕生した。2018年に新国立劇場で『赤道の下のマクベス』を演出した時に、浅野雅博(52)、尾上寛之(39)からユニットでの演出を依頼されたのがきっかけ。俳優5人が集まり、22年4月に旗揚げ公演『僕は歌う、青空とコーラと君のために』を行った。メンバーは最年少の座長、大鶴佐助(30)を始め、浅野、尾上、櫻井章喜(54)、梅沢昌代(71)、座付き作家の鄭氏。
「20数年前に劇団(1995年「新宿梁山泊」退団)はもういいやと思ってやめたんです。あれから、ずっと劇団に所属をせずにやってきたので、これからもそうだろうと思っていたんですけど、ある日、飲み屋で劇団を作ろうかという話になっちゃったんです。座長は佐助だし、役者たちは事務所に入っているので、気負わずに済むし、ダメなら解散すればいいって。高校の部活みたいなものかなと思ったわけです」
第2回公演『旅芸人の記録』は人情、笑い、涙、歌、踊り、殺陣ありのエンターテインメント。太平洋戦争下の1944年、関西の地方都市を舞台に、大衆演劇の一家の物語。一座は家族で芝居を見せているが、戦争の激化とともに、息子は川西飛行機工場で働きたいと言い出すなど一人ずつ消えて行ってしまう……。
「姫路に、川西飛行機工場という軍事工場が実際にあったんです。工場のまわりには韓国人・朝鮮人含め、何千人も工場で働く人たちが住んでいました。飛行機の工場は全国に12あったんですが、姫路の工場は最後に徹底攻撃を受けて、跡形もなくなってしまうんです。それはすさまじい光景だと思いました。この史実と大衆演劇の話を絡めた話ですが、笑いも入れています。じゃないと、息が詰まっちゃうんで」
鄭氏は新宿梁山泊の座付き作家として活躍する一方、映画『月はどっちに出ている』『愛を乞うひと』『OUT』『血と骨』などの脚本を手掛け、退団後は舞台『焼肉ドラゴン』などが代表作。『焼肉ドラゴン』は2018年に映画化され、自身で初メガホンも取った。
「舞台の演出も映画の演出も、物を作るという意味では同じです。ただ、映画はスタッフがものすごく多いので、それを背負ってどこまでできるかということはありますし、撮影後は『これをやっておけば』という後悔もあります。舞台は千秋楽までずっと付き合います。出演者には半分、家族のような思いを持って、演出しているので、終わってからどっと疲れますし、寂しくもあるんです」
鄭氏は兵庫県姫路市出身の在日コリアン。高校時代まで、世界遺産の姫路城近くのバラックで過ごした。
「今は公園になっていますが、姫路城の石垣外堀のところに、貧しい日本人や在日コリアンがバラックを建てて生活をしていたんです。200世帯くらいが生活していたでしょう。駅が近く、繁華街もあって便利でしたが、ろくでもないおじさんたちがたくさんいました。実家は廃品回収を営んでいて、おじさんたちはダンボールや空き缶を集めてお金に替えると、昼間から飲んだくれていました。今ではそれも、愛すべき人生だなとも思いますけれども。僕はマイノリティーで、生活環境が違ったところの出身だったからこそ、違った視点でモノが書けるんだと思います」
年を追うごとに悪くなる在日コリアンをめぐる状況
在日コリアンをめぐる状況については、年を追うごとに悪くなっていると感じるという。
「僕たち永住許可者には指紋登録はなくなりましたが、日本人と同じ権利を付与されていると思えません。僕たちを取り巻く状況は、ますます厳しくなってきています。日本の労働状況は外国人を受け入れないと立ち行かないのに、受け入れ体制ができていない。かえって排外しているように思えます」
それでも、鄭氏は日本が好きなんだろう。
「僕は日本で生まれて日本で育ち、日本の教育を受けてきたから、日本的倫理観が染み付いているんですよね。だから、韓国に行くとギャップを感じます。自分のアイデンティティに悩んだりもしましたが、今はダブル・カルチャーを享受できるから、それはそれで楽しいことかもしれない、と思えるようになりました」
稽古、公演中の楽しみの一つは劇団員との飲みニケーション。稽古場近くの居酒屋でよもやま話に花が咲く。
「うちの劇団員は飲む人ばかり。芝居と関係のない話をしています。僕は生ビールを飲んで、後は焼酎ですけど、すぐに眠くなるので、シンデレラと呼ばれています(笑)。最近はカボチャの馬車のお迎えが早くなって、10時くらいには帰っています」と笑い。次回公演の構想も、飲みの席から生まれるのかもしれない。
■鄭義信(チョン・ウィシン)1957年7月11日生まれ。兵庫県出身。1993年に『ザ・寺山』で第38回岸田國士戯曲賞を受賞。その一方、映画に進出して、同年、『月はどっちに出ている』の脚本で、毎日映画コンクール脚本賞、キネマ旬報脚本賞などを受賞。1998年には、『愛を乞うひと』でキネマ旬報脚本賞、日本アカデミー賞最優秀脚本賞、第一回菊島隆三賞、アジア太平洋映画祭最優秀脚本賞など数々の賞を受賞した。2008年には『焼肉ドラゴン』で第8回朝日舞台芸術賞 グランプリ、第12回鶴屋南北戯曲賞、第16回読売演劇大賞 大賞・最優秀作品賞、第59回芸術選奨 文部科学大臣賞、韓国演劇評論家協会の選ぶ2008年 今年の演劇ベスト3、韓国演劇協会が選ぶ今年の演劇ベスト7など数々の演劇賞を総なめにした。2014年春の紫綬褒章受章。近年の主な作品に『泣くロミオと怒るジュリエット』(2020・作・演出)、舞台『パラサイト』(2023・台本・演出)、『欲望という名の電車』(2024・演出)、音楽劇『A BETTER TOMORROW -男たちの挽歌-』(2024・脚本・演出)など。また、2022年に自身の劇団「ヒトハダ」を立ち上げ旗揚げ公演『僕は歌う、青空とコーラと君のために』(2022・作・演出)を上演。