山田雅人は話芸家として活躍中 キャリア40年の原点を激白
フォーク歌手になった山田青年は河島英五と同じステージに立つ
成瀬「そこからなぜミュージシャンへの道に進んだのでしょう?」
山田「騎手になりたかったけれど、背が高くてなれないとわかって。当時フォークブームでギターを弾くようになっていたので、馬の歌とかを作り始めたんですよ。それでライブハウスに出るようになって」
成瀬「山田さんが出ていたライブハウスに河島英五さんや憂歌団の木村充揮さんも出演されていたとお聞きしました」
山田「そうなんです。大阪に桃谷という場所があって、『酒と泪と男と女』のメロディーが流れるような駅なんですけど。そこに『BEE HOUSE』っていうライブハウスがあって、英五さん、木村さん、僕でね。僕はポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)の関西・四国大会に出て負けたんですよ。その時の全国優勝が『あみん』なんです」
成瀬「僕はポプコン落ちまくっていた側です(笑)。どんなライブをやっていたんですか?」
山田「当時はね、英五さんなんかは歌うだけでお客さんを惹きつけてましたけど、無名の僕なんかは、笑かさないと歌を聞いてくれなかったんですよ」
成瀬「それわかります。関西人がアコギを持ってステージに立ったら、やっぱり、しゃべりでも楽しませないと」
山田「聞いてくれないでしょ?」
成瀬「はい。ツンツンしてたら誰も聞いてくれませんから」
山田「そうなんですよ。そこで競馬実況やったり、野球の話を聞いてもらったりね」
成瀬「なるほど。山田さんの語りの原点はそこからなんですね。若い頃ってお客さんから『MCが面白かったです』って感想をもらうと、音楽は聞いてもらえなかったのかと傷付いたりしたこともありましたけど、振り返ると人柄を褒められることが、なによりも1番良かったんだなってあらためて思いますよね」
山田「そうそう。僕はそのままタレントになった(笑)。近鉄劇場で『BEE HOUSE』の10周年のイベントでも英五さんや木村さんと一緒のステージに立たせてもらって、英五さんには本当に可愛がってもらってました。でも1度だけえらい怒られたことがありました。あるステージで歌詞カードを見ながら歌っていたんですよ。そしたらライブを見に来てくれた英五さんが、楽屋に入るや否や『自分の歌ぐらい歌詞カードなんか見ないで歌いなさい。伝わらへんから!』って。そっから歌詞カードを一切見ないで歌うようになったんです。語りのステージにも受け継がれていて、カンペを一切見ませんから」