富田望生、小5で体験した東日本大震災を回想「1秒1秒生きるのに精いっぱいでした」

俳優の富田望生が27日、都内で行われた緊急災害水支援チーム「EWAT(イーワット)」設立発表会に出席し、小学5年生のときに被災した東日本大震災で感じたことを語った。

イベントに出席した富田望生【写真:ENCOUNT編集部】
イベントに出席した富田望生【写真:ENCOUNT編集部】

当時は「ろうそく一つで生活」

 俳優の富田望生が27日、都内で行われた緊急災害水支援チーム「EWAT(イーワット)」設立発表会に出席し、小学5年生のときに被災した東日本大震災で感じたことを語った。

 創業から100年を迎えた水道機工株式会社は「100年先も人と地球をつなぐ情熱で、笑顔あふれる環境を技術と製品で創造し、社会に貢献」を企業理念に、災害時の水供給体制を整え、緊急災害水支援チーム「Emergency Water Assistance Team(EWAT)」を発足した。

 EWAT特任隊長に就任した富田。「とても光栄で身が引き締まる思いです」と緊張気味に話すと「役柄でもこうした立場のものを演じたことがないので、ドキドキしていますが、さまざまな期待と大きな見守りを持って応援していきたいです」と抱負を述べる。

 富田は福島県いわき市出身で、小学生のときに東日本大震災で被災した経験を持つが「私が住んでいた地域は電気、ガス、水道がすべて止まってしまい、ろうそく一つで生活していました。余震が来るたびに、火事にならないように吹き消しては、またつけて……という生活。異様な光景でした。1秒1秒生きるのに精いっぱいでした」と振り返る。

 当時、母親がいわき市のホテルで支配人をしていたというと「市街から泊まりに来ていた方が自宅に帰れず、一緒に毛布にくるまって身を寄せあって過ごしていました。そしてその方々が無事帰宅したのを確認するまでホテルで過ごしていました」と語る。

 その経験から富田は「やっぱり水が大切。食事だけではなく、トイレも歯を磨くにも水が必要。これまで当たり前にあったものが、急になくなるのはとても大変」としみじみ語ると、しっかりとリュックの中には避難時に使えるような防災備蓄をしているという。

 またこの日は、「EWAT」特任隊長の初任務として、手動造水装置の実演に挑戦。レバーを前後するだけでも、濁った水から飲料水が出来る装置に富田は「どんどん水がきれいになっていく。すごい、欲しかったあの時」と感激していた。

 イベントには、水道機工代表取締役社長・古川徹、同機工取締役・鷹栖茂幸も参加した。

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