「命を粗末にするな」 議論呼んだがんステージ4プロレスラーの復帰 「俺は逆の考え方」大仁田厚が語る真意

食道がん(扁平上皮がん)ステージ4闘病中のプロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修が24日の『川崎伝説2024』(神奈川・富士通スタジアム川崎)で5か月ぶりにリング復帰した。83歳のドリー・ファンク・ジュニアと組み、ダブルヘル電流爆破マッチで大仁田厚、雷神矢口組に勝利した試合は、戦前から多くの議論を呼び起こした。なぜ西村はリングに上がったのか。なぜ大仁田はゴーサインを出したのか。物議を醸したビッグマッチの舞台裏を追った。

5040人(主催者発表)の観客が見つめる中、入場した大仁田厚(右)は西村修と握手を交わした【写真:山口比佐夫】
5040人(主催者発表)の観客が見つめる中、入場した大仁田厚(右)は西村修と握手を交わした【写真:山口比佐夫】

大仁田が明かす西村出場の真意

 食道がん(扁平上皮がん)ステージ4闘病中のプロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修が24日の『川崎伝説2024』(神奈川・富士通スタジアム川崎)で5か月ぶりにリング復帰した。83歳のドリー・ファンク・ジュニアと組み、ダブルヘル電流爆破マッチで大仁田厚、雷神矢口組に勝利した試合は、戦前から多くの議論を呼び起こした。なぜ西村はリングに上がったのか。なぜ大仁田はゴーサインを出したのか。物議を醸したビッグマッチの舞台裏を追った。(取材・文=水沼一夫)

「俺は逆の考え方ですね。人間って目標意識を持たないとダメだから。生きる生命力とか、そういったのが強いとやっぱり生き残るし、これで弱ってしまって諦めちゃったらダメだから」

 大仁田に西村参戦の真意を聞くと、こう明かした。

 西村は4月にがんを公表。しかも手術困難なステージ4と明かしていた。治療の真っただ中で、西村の体調を考えれば、通常なら接触すらためらわれる状況だろう。

 だが、大仁田は前に踏み出した。

 4月の米国遠征でテキサス州アマリロを訪問。テリー・ファンクの墓前に手を合わせ、ドリーの参戦に目星がついていた。

「ドリーの隣は誰だろうなと考えたときやっぱり西村さんだった」

 大仁田自身もこれまで何度も逆境を突破。レスラーにとって、リングへの復帰が力を与えることを知っていた。

「やっぱり人間はモチベーションの問題だから。(弱気が)頭をもたげちゃって、よくほら、金なくなったやつがこうなる(首を垂れる)じゃないですか。もう俺はそうだと思っているんですよね」

 西村の症状が少しでも好転することを願っての判断があった。

 一方の西村も思いは同じだった。

「自分自身の治療のモチベーションになると思って」

 参戦が発表されたのは7月9日だったが、それ以前から両者は出場に合意していた。

 18歳のとき飛び込んだ大好きなプロレスの世界。師匠ドリーのパートナーという使命感もあった。試合という目標があれば、頑張れるかもしれない。必ず8月まで生き抜いて見せる。それは絶望の淵に立たされていた西村にとって、何よりの治療楽だった。

 入院中も病室にダンベルをしのばせ、スクワットを日課にしていた。体重を落とすまいと、腹が減っていなくても、無理やり胃袋を膨らませた。7月にはけいれんを起こして失神。ICU(集中治療室)で生死の境をさまよった。さらに脳腫瘍が発覚し、放射線治療を行った。けんたん感、吐き気、体のむくみ……毎日の服用薬は全11種類に上り、副作用との戦いも簡単ではなかった。

 プロレスラーは常人離れした存在であると言われている。

 しかし、西村の復帰には、世間の受け止めに戸惑いがあったのも事実だ。

有刺鉄線に地雷…電流爆破マッチのリングは地獄と化した【写真:山口比佐夫】
有刺鉄線に地雷…電流爆破マッチのリングは地獄と化した【写真:山口比佐夫】

あまりに現実離れした患者の希望

「命を粗末にするな」

 西村のリング復帰が発表されると、誰もが驚き、体調を案じた。

「今はリングに上がる資格はない」

 優先するべきは、大病としっかり向き合うこと。いくらトレーニングを続けていても、コンディション不安を指摘する声もあった。

 病院側はもちろん、試合を勧めなかった。

 リングの東西側に有刺鉄線電流爆破、南北側に地雷爆破が設置され、さらに電流爆破バットが4本凶器として用意。邪道スタイル全開の試合形式は文字通りのデスマッチだった。そこに這ってでも出るという西村。このあまりに現実離れした患者の希望をどうすればいいのか、頭を抱えた。

 妥協点は「念書」だった。「出場するのであれば自己責任」。文面は非情だが、西村の思いを尊重する心配りも込められているように感じた。

 試合が近づくにつれ、覚悟を決めた西村の言動に理解を示し、応援する声が増えていった。

 対戦相手の大仁田の心も動かされた。

「俺の中ではね、すごい感動するんだよ。ジーンと心に残るような試合ができたらいいな」

 自身のデビュー50周年記念大会だというのに、そのことなど忘れたかのような言葉が口を突いた。

 プロレスは人生の縮図と言われている。それがプロレス界から失われつつあることに、西村は危機意識を持っていた。

「時代とともにプロレスというものが近年(技術的に)とんでもなく進化を遂げている。しかしながら、決して忘れてはならないこと、失ってはならないことがある」。試合後にマイクを握ると、こう訴えた。

 賛否が起こるのは承知の上。プロレスラーとして文字通り、人生をかけた西村に後悔はない。がんに打ち勝つ日まで、戦いは続いていく。

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