43歳売れない芸人が映画監督デビュー、2歳で生き別れたカメルーン人の父探す旅路 きっかけはコロナ禍

お笑い芸人「ぶらっくさむらい」こと武内剛(43)がドキュメンタリー映画『パドレ・プロジェクト/父の影を追って』(東京・新宿K'sシネマで8月31日公開)で映画監督デビューした。武内がコロナ禍の真っただ中、2歳の時に生き別れたカメルーン人の父を探しにイタリアに渡る旅をつづる。武内監督が映画を製作した理由とは?

映画監督デビューを果たした武内剛【写真:ENCOUNT編集部】
映画監督デビューを果たした武内剛【写真:ENCOUNT編集部】

ぶらっくさむらいこと武内剛インタビュー「いい素材だと思ったので、映画にしようと」

 お笑い芸人「ぶらっくさむらい」こと武内剛(43)がドキュメンタリー映画『パドレ・プロジェクト/父の影を追って』(東京・新宿K’sシネマで8月31日公開)で映画監督デビューした。武内がコロナ禍の真っただ中、2歳の時に生き別れたカメルーン人の父を探しにイタリアに渡る旅をつづる。武内監督が映画を製作した理由とは?(取材・文=平辻哲也)

 武内監督は日本人の母とカメルーン人の父のミックス。2004~12年まで米ニューヨークで暮らし、名門演劇学校「HB studio」で3年間演技を学び、卒業後は演劇、ミュージカル、映画、シンガーソングライターとして活動。帰国後はお笑い芸人・ぶらっくさむらいとして『エンタの神様』『おはスタ』などに出演。R-1ぐらんぷり2017準決勝、第1、2回歌ネタ王準決勝に進出した。

 映画のきっかけになったのは4年前のコロナ禍だった。

「40歳になって、あまり売れてなかったら、違う道を考えないとまずいとぼんやりと思っていたんですけど、コロナ禍になって、仕事もなくなり、よくも悪くも、いい踏ん切りがついたんです。コロナでいろんな人が亡くなっているニュースを聞いて、ずっと頭の片隅にあった父に会いに行こうと思いました」

 この内容をSNSに投稿すると、フジテレビのプロデューサーから「番組になるかも」と声もかかったが、「コロナ禍では海外ロケは無理」と流れてしまった。映画にしようと思った背景には母と父の出会いもあった。父は映画を学びにイタリアへの留学中に母と出会ったのだ。

「YouTubeでやる手もありましたが、自分でいうのもあれですが、いい素材だと思ったので、映画にしようと思ったんです」

 YouTube製作の経験はあるが、映画は未経験。クラウドファンディングサイト『CAMPIRE』で渡航費、滞在費など約135万円を調達したが、SNSでは「お父さんは生きているのか」「会えなかったら、どうするのか」といったネガティブなコメントも届いた。

「そういうコメントは一切シカトです(笑)。会えるもんだと思って行きました。今思えば、運命の糸に手繰り寄せられているようでした。全部終わってみて、あのタイミングしかなかったなと思います」

 しかし、父の手がかりは40年前の写真と手紙だけ。母は認知症を患い、名古屋の施設に入っていて、聞き出せた情報はほとんどない。

 渡航禁止明けに格安航空券、民泊サービス『Airbnb』などを利用し、撮影監督と2人で人口130万人都市のミラノに渡り、イタリア人の通訳とともに、人探し番組に出演の可能性を探ったり、カメルーン・コミュニティーを頼って、父親探しをしていく。渡航期間わずか10日間で、40年間音信不通の父にたどりつけるのか。そこには、思わぬ展開が待っていた……。

 編集もプロのサポートを受けながら武内自身が担当。完成した作品には英語字幕を入れ、海外映画祭にエントリーした。

 映画は昨年6月にニューアーク国際映画祭2023ドキュメンタリー部門にノミネートされ、ワールドプレミア。デトロイト・トリニティ国際映画祭2023最優秀国際映画賞、ボルティモア国際黒人映画祭 2023オスカー・ミショー賞&最優秀国際映画賞などを受賞している。

 そんな製作の過程はメディアプラットフォーム『note』などでも発信している。

「10~20代でクリエイティブ系の活動をしている方に裏側を伝えたいという思いがありました。昔だったら、プロに頼まないとできなかったことも多いと思いますが、今はネットにいろんな情報が落ちているので、独学でここまでできました。言語がわからなかったら、Google翻訳もありますので、いい時代になりました」

 劇場公開に当たっては、クラウドファンディングで配給宣伝費約264万円を集めた。映画のキャンペーン活動では、出資者の名前をプリントしたTシャツを着て、感謝の思いを伝えている。

「総額500万円くらいでしょうか。クラウドファンディングだけでは足りなくて、自分が別の仕事で得たお金も使っています。これがどれくらい広がるか、分からないですが、今後の活動の名刺代わりにもなればいいと思っています」

 父親探しがどんな結末を迎えたのかは「映画で確かめて欲しい」という武内監督。この映画を通じて得た経験は何か。

「イタリアでは見ず知らずの外国人のために現地の方々が協力してくれ、すごく温かみを感じました。自分が逆の立場だったら、怪しいなと思ったはず。これは、映画の結末で思ったことですが、人生は何が起こるか、分からない。もっと人に優しく、生きていかないとダメだと感じました」。映画は、武内の自分探しの旅の物語だが、観客がそれを追体験する作りで、ラストシーンが胸を打つ。

■武内剛(たけうち・ごう)1980年11月16日、愛知県・名古屋市生まれ。株式会社ぶらっくかんぱにー代表取締役。日本人の母とカメルーン人の父のミックスとして日本で育つ。 2004~2012年まで米ニューヨークで暮らす。名門演劇学校「HB studio」で3年間演技を学び、卒業後は演劇、ミュージカル、映画等に出演、シンガーソングライターとしても活動する。日本帰国後はお笑い芸人・ぶらっくさむらいとして、SMA よりピン芸人デビュー。『エンタの神様』『おはスタ』などに出演。R-1ぐらんぷり2017準決勝、第1、2回歌ネタ王準決勝進出。18年、サンミュージックに移籍し20年に独立。講演活動など活躍の幅を広げる中、23年に映画『パドレ・プロジェクト』で監督デビューを果たした。

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