大手機内食を支えた“食のプロ” マッチングアプリで運命のミドルエイジ再婚、50歳過ぎてもう1つの決断

有名大学を卒業した文系青年が研究職を諦め、料理の道へ。大手航空会社の機内食を開発するプロとして実績を示し、転職先の外食大手でも活躍。50歳を過ぎて決意の独立、夢を詰め込んだキッチンカーで新たな挑戦を始める。シングルファザーとして奮闘した2人の息子の子育て。50代ミドルエイジでの再婚。「お父さんの人生なんだから」と理解をしてくれた息子たち。「人生やりたいことはやるべき」と背中を押してくれた再婚相手の妻の言葉。何度も人生の転機を迎え、周囲の支えもあって困難を乗り越え、今がある。いくつになっても「やりたいことを貫き通す」、全力投球の人生とは。

51歳の料理人で全力投球の人生を歩む曽我部貴司さん
51歳の料理人で全力投球の人生を歩む曽我部貴司さん

限界を知った離婚、息子たちとの家族会議で子育て全力の誓い

 有名大学を卒業した文系青年が研究職を諦め、料理の道へ。大手航空会社の機内食を開発するプロとして実績を示し、転職先の外食大手でも活躍。50歳を過ぎて決意の独立、夢を詰め込んだキッチンカーで新たな挑戦を始める。シングルファザーとして奮闘した2人の息子の子育て。50代ミドルエイジでの再婚。「お父さんの人生なんだから」と理解をしてくれた息子たち。「人生やりたいことはやるべき」と背中を押してくれた再婚相手の妻の言葉。何度も人生の転機を迎え、周囲の支えもあって困難を乗り越え、今がある。いくつになっても「やりたいことを貫き通す」、全力投球の人生とは。(取材・文=吉原知也)

 フレンチ料理人で51歳の曽我部貴司さんは、今年4月に再婚したばかりの47歳の麻衣子さんと一緒に、二人三脚の新たなライフステージを歩み出す。

 遅咲きのシェフだ。慶応大を卒業後、「認知言語学」を究めようと東大の大学院を目指したが、秀才たちの集まる学問の世界を断念。この先をどう歩むか。思い浮かんだのが、1人暮らしで日々作っていた料理だった。

「航空関係の仕事をしていた両親から、『自分のやりたいことを大事に』と育てられてきました。興味を抱いたのが、料理でした。どうせ回り道の人生なんだから挑戦しよう、と」。昼は料理学校に通い、夜は予備校講師として勤務。料理のいろはを学んだあと、フレンチの個人店で3年半の下積みを経験。腕を磨いた。

 最初の転機は29歳の時。当時の妻と結婚して子どもが生まれ、子育てを考えて、当時の妻の故郷である千葉に引っ越した。安定した生計を立てるために、料理人として会社に就職する道を探した。ホテルのレストランに電話で売り込みをかけまくり、ANA系列のホテルで機内食部門での採用枠を見つけ、面接を受けて就職が決まった。

 しかし、新しい職場環境の壁にぶち当たった。機内食を受け持つ料理人たちは分業制で役割が決まっており、個々が専門の技術力を持っている。一方で、個人店で働いてきた曽我部さんはオールマイティーになんでもこなせるが、1つ1つの精度は平均レベル。入社当初はなかなか受け入れてもらえなかった。

 もともとコミュニケーションが得意の曽我部さんは、全体を見通す力とマネジメント力の才覚を発揮。英語とフランス語を操る語学力も力強い武器となった。

 世界に誇れるANAの機内食。ファーストクラスとビジネスクラスは自社で仕上げる。「いかにシステマティックに、時間と安全性を考慮して、高いレベルで同じ品質で作れるか。足りないのもダメで、余らせてもいけない。メニュー作りの奥深さを知りました。手順の標準化、作業工程の見える化に注力し、誰でも分かりやすく正確に作業を行うことのできるフォーマットを整備しました」。再現性の高いメニュー設計と人を生かすマネジメント力で、社内評価が上昇。海外法人の技術指導で世界を飛び回った。「精神論はやめませんか?」をテーマに、グローバルな価値観を持ち、ロジカルに教え込むシステムを確立させた。

 一方で、家庭内は困難を抱えていた。当時の妻が心身に不調をきたしていた。曽我部さんも海外出張が多く、完璧にケアすることができなかった。全力を傾けていた仕事のほうも、人事異動も相まって思い悩むようになった。

 ここで決断をする。それは、父親としてだ。「常日頃から、子どもたちには挑戦することの大切さを説いてきました。今ここで挑戦する父の姿を見せることで、家庭内の空気がよくなっていけばと考えました」。

 41歳。知人からの誘いもあり、外食大手に転職した。ブランド・商品の開発と店舗管理に携わることになった。最初の配属先として東京駅の百貨店の料理長を任された。現場勤務のあとは、海外事業部の得意分野で職務にまい進した。当時小学3年の次男が「ウチの父ちゃんは料理長なんだよ!」と学校で自慢げに話していることを知り、胸が熱くなった。

 40代からの転職は成功を収めたが、家庭内は最悪の事態を迎えた。妻が3度目の家出。もう帰ってくることはなかった。曽我部さんは離婚だけはしないと心に決めていた。だが、限界を知った。

 息子2人と開いた家族会議。中2になったばかりの長男から「お父さん、離婚したほうがいいよ」と声をかけられた。長男は「俺は大丈夫。弟のケアをしてくれれば大丈夫だから」と続けた。曽我部さんは自分自身にも限界が近付いていることを明かし、「離婚をすることになっても、お前たちからお母さんを取り上げることはしない」と誠実な思いを語った。小4の次男は「俺は平気だから気にしないで。けんかを続けているよりはずっといいから」と言葉を返した。その目からは大粒の涙がこぼれていた。曽我部さんは次男を抱きしめ、「ごめんな。お父さんがしっかりしてないからこんなふうになっちゃった」と謝った。そして、こう誓った。「これからは子どもたちを育てることに全力を注ぐ」と。

 仕事一徹から、育児最優先の生き方への転換。勤務先の役員に正直に相談すると、「協力できることはみんなで協力する」と理解を得られた。職場の同僚たちは最大限に曽我部さんを支えてくれた。毎日、定時退社。海外出張は極力効率化を図り、1週間ほどに調整。不在時は自身の母親の助けを借り、シングルファザーとして奮闘した。子どもたちのお弁当には料理人の魂を込めた。事前に計算してリスト化した食材を土日で購入し、1週間分をすべて下準備。毎朝お米をたいて完成。絶品の味わいは、機内食の経験が生きた。

 長男は大学生になり、次男は高校生を迎えると、子育てのゴールが見えてくるようになった。新型コロナウイルス禍もあり、自分の生き方を見つめ直す時間も増えた。「これまでシングルファザーに燃えてきたけれど、子どもたちが自分の手を離れたら、自立しないと」。友人からの強い後押しもあり、起業へと思いが傾いた。

曽我部貴司さんは再婚したばかりの麻衣子さんキッチンカーの新たなスタートを切る
曽我部貴司さんは再婚したばかりの麻衣子さんキッチンカーの新たなスタートを切る

再婚相手の妻も大きな存在、春から新しい家族生活

 大事な人との別れが重なった。2年前に母が急死。末期がんだった。「母は78歳で亡くなりました。僕は50歳になったばかりのタイミングで、人生はあと30年もないかもしれない。そう考えると、スイッチが入ったんです。やりたいことをやろうって」。

 これまでの人生、職場を含めて多くの人に支えられてきた。子育ては地域の人たちに力を貸してもらった。もともと、生産者とつながり、携わるみんなが幸せになれるような料理作りの理想を持っていた。社会貢献を、自分の得意の料理から始めたい。千葉の食材の銘柄豚と名産のショウガを組み合わせた「進化版の豚の生姜焼き」を提供する、千葉県と茨城県鹿行エリア限定で展開するキッチンカー『みみのすけ』を立ち上げるプランを描いた。店舗を構えると、固定費がかかってリスクも高くなる。キッチンカーの利益率などを踏まえ、生産者と一体となって名物を生み出すことに商機を見いだした。

 ちょうどその頃、もう一つの青春が訪れた。「もし人生のパートナーを見つけられれば」。とりあえず登録したミドルエイジ中心の婚活マッチングアプリ。たまたまメッセージが届いた。現在の妻の麻衣子さんからだった。昨年の春のことだ。麻衣子さんも3年前に離婚を経験。友人に勧められ、まずはアプリを始めてみたばかりだった。互いのプロフィールから「誠実さ」を感じ取り、実際に会ってみて、信頼できる人間性を確認した。

 運命を感じた曽我部さんは、早い段階で麻衣子さんに“第二の人生の夢”を熱く語っていた。離婚の経験に傷付きながらも自分を信じることの大切さをかみしめていた麻衣子さん。未来を切り開こうとする曽我部さんの思いに触れ、「面白そう」と直感したという。その時点では再婚の意識はなかった。それでも、自分の道に進むことを応援したいと1人の人間として賛同し、「やりたい気持ちがあるのなら、やったほうがいいと思う」とエールの言葉をかけた。このひと言で曽我部さんは心を決め、再婚のプロポーズへとつながっていく。

 曽我部さんは昨夏、父の大きな決断について2人の息子に伝えた。自宅で食卓を囲みながら、切り出した。「僕としては、息子たちは食べる手を止めて目を丸くすると思っていました。まず、1つ目の決断として『来年に独立する』と伝えました。息子たちは食事しながら、長男からは『いいんじゃない。お父さんの自己責任でね』だけでした。次男は『俺の大学の費用はあるんだよね?』と聞いただけでした。気を取り直して、再婚することも伝えました。その反応もあっけらかんと『いいんじゃない』でした。長男は就職して家を出ることが決まっていたので、次男が『どこに住むの? ここ?』と。そこは驚いていました(笑)。でも2人が『お父さんが好きなことをやるんだから、お父さんの人生なんだから』と受け入れてくれたことは、きちんと育ったなとうれしかったです」。冷静に受け止める息子たちを見て、父として肩の荷が下りたという。

 今春から、曽我部さんの家に、麻衣子さんと中学生になった麻衣子さんの長女が引っ越し、家族の新たな生活がスタート。10月のキッチンカー開業に向けた準備を進めている。飲食コンサル業も並行しており、子育て支援にも取り組みたいという夢が膨らむ。接客が大好きな麻衣子さんと2人で、笑顔とおいしさを届けるつもりだ。曽我部さんは「お皿の中のことだけを考えるのではなく、その料理を誰とどんな空間で食べるか。トータルでプロデュースして、材料を作った人ともども料理を通じてハッピーになってもらいたい。これが僕の理想です」と力強く語った。

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