「どうしても日本に住みたかった」28歳イタリア人、なぜ福岡で起業? 独特な日本語を巧みに操るワケ
日本で現在暮らしている外国人は、どのような経緯で母国を離れて遠い異国の地にやってきたのか。福岡県福岡市に住む28歳のイタリア人、ボ・ヴァルテルさんは同市の起業サポート施設である「スタートアップカフェ」の支援を受けながら、2021年にゲーム開発を行う会社を起業。来日当初は日本語もほとんど話せなかったというヴァルテルさんに、日本での生活を決断した経緯や背景などを聞いた。
「福岡在住イタリア人社長を直撃」第1回、高校卒業後に初来日し高知に滞在
日本で現在暮らしている外国人は、どのような経緯で母国を離れて遠い異国の地にやってきたのか。福岡県福岡市に住む28歳のイタリア人、ボ・ヴァルテルさんは同市の起業サポート施設である「スタートアップカフェ」の支援を受けながら、2021年にゲーム開発を行う会社を起業。来日当初は日本語もほとんど話せなかったというヴァルテルさんに、日本での生活を決断した経緯や背景などを聞いた。(取材・文=白石倖介)
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ヴァルテルさんが日本に初めて来たのは2015年のこと。中学時代にアニメやマンガから多大な影響を受け、「絶対に日本に行ってみたい」という気持ちを胸に、高校を卒業後すぐに3か月間の日本旅行を敢行した。当時のヴァルテルさんは日本語がまったく話せないながらも、西日本のさまざまな場所を訪れ、多くの刺激を受けたという。
「幼い頃から日本が気になっていて、2015年に初めて来日したんよ。高知に滞在して、そこから京都、大阪にも行ったんやけど、なんだか人が多いき、高知が一番落ち着いたんよね」
ヴァルテルさんは現在、福岡でゲーム開発を行う会社、株式会社Asobiholicを経営しており、博多弁と土佐弁をベースにした独特のなまりのある日本語を話す。この日本語も、高知に滞在していた頃に習得したものがベースだという。
中でも高知市内の名所「ひろめ市場」には思い出があるそうだ。
「『ひろめ市場』はとっても面白い! いろんなお店があって、ご飯も食べられて、当時僕は日本語が全然話せなかったんやけど、いろんな人が話しかけてくれて、それで日本語も結構覚えたんよ。一番好きな“たこ焼きショップ”も『ひろめ市場』にあるんや」
3か月の旅行を終えてイタリアに帰国したヴァルテルさんだったが、日本への思いは止むことがなかった。なんとかして日本に滞在したい……。そんな時に出合ったのが、福岡市が運営する「スタートアップカフェ」だった。
「どうしても日本に住みたかったんだけど、まずビザが必要で。どうやって取るのが良いのか考えたんよ。高校も卒業しちゃったから学生ビザでもないし、日本に行ってまた学校に入って勉強するのも嫌だったし(笑)。そこで『経営・管理ビザ』っていうものがあることを知って、福岡にある『スタートアップカフェ』のことも知ったんよね。外国人の起業もサポートしてくれる施設で、『日本に住むには、会社を立ち上げるしかない』って思ったんよ」
福岡のシェアハウスに暮らして始めた起業準備
そんな経緯で2017年末、福岡に再来日を果たしたヴァルテルさん。シェアハウスで暮らしながらスタートアップカフェに通い、起業準備を進める生活が始まった。
日本語も不自由な状況で起業準備をすることの苦労は、どのようなものだったのだろうか。
「当時はシェアハウスに住んでいたんだけど、その住人の5人ぐらいしか知り合いもおらんかったし、すごく大変だった。イタリアの高校でプログラミングを学んでいたから、最初はITの会社を立ち上げて、WEBサイトの制作とかPOSレジの開発とかを始めたんよ。そういう技術を持っていたことは良かったよね。その後、いろんなうれしい出会いがあって、ゲームを開発することになったんよ。僕が学生時代から持っていたアイデアを面白がってくれる人がいて、それをプロジェクト化することができたの」
日本語を学びながら異国の地で起業。忙しい日々を送るなかで生まれた出会いがヴァルテルさんの人生を大きく変え、福岡の街で生活をしていくことになった。
(第2回へ続く)