ハライチ岩井が明かす転機 「イヤだった」とんねるずに丸刈りにされた過去も「今思えば良かった」

3冊目のエッセー集『この平坦な道を僕はまっすぐ歩けない』(新潮社、税込1430円)を発売したお笑いコンビ・ハライチの岩井勇気(38)。2006年にデビューし、M-1グランプリ準決勝進出をきっかけに、売れっ子に。18年の芸歴のターニングポイントを振り返った。

芸歴18年を迎えたハライチの岩井勇気【写真:山口比佐夫】
芸歴18年を迎えたハライチの岩井勇気【写真:山口比佐夫】

お笑いタレントになっていなかったら「設計図を書くような仕事もよかったかも」

 3冊目のエッセー集『この平坦な道を僕はまっすぐ歩けない』(新潮社、税込1430円)を発売したお笑いコンビ・ハライチの岩井勇気(38)。2006年にデビューし、M-1グランプリ準決勝進出をきっかけに、売れっ子に。18年の芸歴のターニングポイントを振り返った。(取材・文=平辻哲也)

 テレビを見ずに育ち、芸能人には憧れがほとんどなかったという岩井。06年に幼稚園からの幼なじみだった澤部佑(38)とハライチを組み、“ノリボケ漫才”というスタイルで注目を集めた。現在はフジテレビ系バラエティー番組『ぽかぽか』(月~金曜午前11時50分)、TBSラジオ『ハライチのターン!』(木曜深夜24時)などレギュラー番組を抱える。

「(08年の)M-1グランプリの準決勝に行った後にテレビに出られたのがきっかけでした。とんねるずさんの『みなさんのおかげでした』に出たときに、頭を丸刈りにされたことが印象に残っています。その時は(芸人として)おいしいとかではなく、普通にイヤだなと思っていましたけど、今思えば、それが良かったのかもしれない。とにかく全力でやってみようと思えたのが、あの時でした」

 ハライチの芸風は体当たり型ではなかったが、とんねるずは、いじりまくった。

「とんねるずさんのお2人は、ハライチが本気で頑張りたいやつなのかを見ていたんだと思います。やられたことはメチャクチャだったんですけど、そのおかげで腹をくくれるようになった気がします」

 16年からTBSラジオ『ハライチのターン!』でレギュラー番組を持てたことで、フィールドも広がった。

「ラジオが始まって、自分の時間を与えてもらった感じがしたんです。普段はテレビに出ても、しゃべる時間というのは5秒ぐらいしかないじゃないですか。それが毎週、話すことができたのは大きかった」

 相方の澤部の方がテレビ露出が多かったが、テレビ東京『ゴッドタン』では、お笑いコンビの“じゃない芸人”として、腐りぶりの面白さが浸透し、“腐り芸人”としての地位を確立した。

「ラジオを聴いてくれる人が面白がってくれたことで、『ゴッドタン』にも呼んでもらって、テレビでの使われ方を見出してもらえた。それが今の『ぽかぽか』にもつながってくる。この4つは自分にとって、大きかったと思います」

 芸能界への憧れのなさを吐露する岩井だが、お笑いタレントになっていなかったら、何をしていたのだろうか。

「体育(サッカー)推薦で高校に入ったのに、サッカーは好きじゃなかった。ずっと美術を専攻していたんです。多分、美大に行っていたかもしれない。油絵とかを描いているときが、一番やりたいことをやっている感じがしたんですよね」

 最新エッセーでも文才を発揮しただけでなく、挿絵のイラストも担当している。

「今も油絵も、たまに描いているんですけど、違うわ~と思います。色彩感覚があんまなくて、いい感じに色付けできないんです。後は図形を描いているときが好きなので、設計図を書くような仕事もよかったかもしれない。建築士とか、設計士かな」

 多彩な才能を見せているが、今後やりたいことは何か。

「コンスタントに漫才ライブをやりたいんです。お笑いタレントって、テレビの仕事が忙しくなると、みんな漫才をやらなくなるじゃないですか、今こそ、ちゃんとネタを作って、ワンクールに1回、新ネタを書き下ろして、ライフワークのようにしたいんですよね」。腐っているどころか、真剣にお笑いのことを考え続けている。

□岩井勇気(いわい・ゆうき)1986年7月31日、埼玉県生まれ。幼稚園からの幼なじみだった澤部佑とハライチを結成、2006年にデビュー。すぐに注目を浴びる。ボケ担当でネタも作っている。アニメと猫が大好き。特技はピアノ。ベストセラーになったエッセー集『僕の人生には事件が起きない』、『どうやら僕の日常生活はまちがっている』に続き、『この平坦な道を僕はまっすぐ歩けない』は3冊目の著書になる。

トップページに戻る

あなたの“気になる”を教えてください