「プロレスを取るか命を取るか」 がんステージ4のプロレスラー・西村修が出した答え、主治医帯同で地獄のリングへ

食道がん(扁平上皮がん)ステージ4闘病中のプロレスラーで、東京・文京区議会議員の西村修が、病院側と「念書」を交わして5か月ぶりの復帰戦に臨むことを明かした。脳への転移も公表した西村のもとには、「試合はやめたほうがいい」「命が先なんじゃないか」といった心配のメールやLINEが殺到しているが、レスラー人生をかけた大一番であることを強調。“最悪の事態”に備えてリングサイドに主治医を帯同しつつ、地獄のリングから生還することを約束した。

5か月ぶりの復帰戦に向け、トレーニングに励む西村修【写真:ENCOUNT編集部】
5か月ぶりの復帰戦に向け、トレーニングに励む西村修【写真:ENCOUNT編集部】

ドクターストップはないのか? 主治医とのやり取り明かす

 食道がん(扁平上皮がん)ステージ4闘病中のプロレスラーで、東京・文京区議会議員の西村修が、病院側と「念書」を交わして5か月ぶりの復帰戦に臨むことを明かした。脳への転移も公表した西村のもとには、「試合はやめたほうがいい」「命が先なんじゃないか」といった心配のメールやLINEが殺到しているが、レスラー人生をかけた大一番であることを強調。“最悪の事態”に備えてリングサイドに主治医を帯同しつつ、地獄のリングから生還することを約束した。(取材・文=水沼一夫)

「いろんな方々から毎日毎日、何十件もお見舞いメールが来て、試合はやめたほうがいい、無理するなとかお気遣いの言葉をいただきますけど、コンディションがきっちり治るのを待っていたら、何か月、何年かかるか分からない。私のプロレス人生の中で、これだけ周波が重なり合って出ざるを得ないタイミングというのは経験したことがない。しっかり病気治したほうがいい、命が先なんじゃないかっていう声はありがたいんですけど、だからこそ、そこに向かって私は戦っている。それも私にとってはプロレスなんです」

 心配の声が届くのも当然だろう。西村は『川崎伝説2024』(8月24日、富士通スタジアム川崎)のメインイベントで、83歳になる師ドリー・ファンク・ジュニアと組み、大仁田厚、雷神矢口組と電流爆破マッチで激突する。

 危険なデスマッチに加えて、がんは全身に回りステージ4の状態。抗がん剤治療によって、がんは「7割消滅」したというものの、脳に転移が判明。7月5日には入院中にけいれんを起こして失神し、ICU(集中治療室)で九死に一生を得た。

 脳腫瘍への放射線治療はすでに終了しているが、効果を確認するまでは1か月ほど時間を要する見込みだ。順調にいけば、川崎大会後に、抗がん剤治療を再開させる予定を立てている。試合まではいわば“経過観察”の期間にあたり、治療スケジュールには大きな影響がない。

 しかし、西村の体は戦う前から満身創痍(そうい)だ。度重なる入院と科学療法により、体力は削られ、治療の副作用も出ている。

「24時間のけんたい感と手足のしびれ、あと2割ぐらいの難聴になっています」

 負荷をかけた運動もできず、「はぁはぁぜぇぜぇの運動が激しくできない分、体力が落ちるところまで落ちている。新弟子なんてもんじゃない。特にスクワットはすっごいしんどい」と現実を受け止めた。

 それでも試合をやめる気持ちはない。主治医からは、「本当は勧めたくないけど、やめる気もないでしょ?」と問われ、ドクターストップの言葉をなんとかのみ込ませている。

 代わりに書くのが念書だ。万一の時は自己責任という内容だが、「それは当然のこと。今の病院に責任を押しつけるつもりは全くないし、私は自分の意思で試合に出るわけですから」と西村は納得。試合には主治医を招待し、セコンドは新日本プロレスの三澤威トレーナーに依頼した。「その他にも今回お世話になっている3人の先生も来てくださる。“医者”だけで5人そろいます」と、サポート体制を敷いた。

 ただ、どんなに万全を期しても、絶対に安心ということはないのが今の西村の状態だ。けいれんはリングに限らず、いつ起こるのか分からず、自動車の運転は禁止されている。さらに「今一番心配しなきゃいけないのは大動脈。動脈の近くにべったり張り付いているがんがあるんですよ。それが悪さをして動脈をいじくったりすると即吐血。最悪の事態です」と告白した。

アントニオ猪木の代名詞「闘魂棒」を使って体を鍛えた【写真:ENCOUNT編集部】
アントニオ猪木の代名詞「闘魂棒」を使って体を鍛えた【写真:ENCOUNT編集部】

師ドリーのファイナルマッチ「地獄のリング」で弟子の恩返し

 試合はリングの2面に有刺鉄線電流爆破、もう2面に地雷が設置される「ダブルヘル」形式。電流爆破バットも4本用意され、逃げ場のない地獄のリングと化している。爆破のエジキにならずとも、ボディースラムやブレーンバスターの衝撃で大動脈への影響が危惧される。

「いくつも時限爆弾を抱えている。もちろんうちの親だって嫁だって大反対ですよ。じゃあ試合なんかやめりゃいいじゃないかって言うんでしょうけど、そこじゃないんですよね。だからこそ戦う。プロレスは生きる糧というか、モチベーション。ここまで上げてもらえるプロレスにはもう感謝しかないですよね。私には治るのを待ってから出ようなんていう気持ちはさらさらない。そのために一生懸命トレーニングするし、飯食うし、体も休めるときは休めるし、だからもう目いっぱい元気に闘病していますよ」

 復帰戦が控えていることが、逆に治療の励みになり、精神的にはかつてないほど充実しているという。

 ドリーとは2000年に知り合い、米フロリダ州オカラの道場でプロレスの帝王学を学んだ。年齢的に最後の来日と言われ、西村にとって、同じコーナーに立つことは弟子からの最後の恩返しの意味を持つ。

「2000年にお会いした時は、まだ60前後だったですよね。毎回毎回フロリダに行くたびに、時間無制限でスパーリングをつけてくれたんですよ。道場を締め切って、2人きりだけで、もう永遠に。私にとってあんな貴重なNWAのすごい人と、時間無制限のずっとプロレスの練習なんてのは、それを受けれること自体、フロリダにアパートを借りていく価値がありましたからね。それはもう、とんでもなく財産だったですよね」

 相棒のテリー・ファンクが逝き、川崎では日本で数々の名勝負を残した「ザ・ファンクス」の歴史にも終止符が打たれる。

「大仁田さんの熱い信者もいるし、本当に最後のラスト・ファンクスを見たいっていう人もいるでしょうし、いろんな見方がある大きな試合だと思います。何のテーマもない6人タッグマッチ、8人タッグマッチ、5分や10分で終わるような後楽園ホールの試合とは違いますからね。心して今コンディションを整えて、士気を上げていきたいと思います」

 1998年に26歳にして1回目のがんを患った西村。手術後はリング復帰を目指し、漢方や食事療法を取り入れるなどして懸命に治療してきた。

「プロレスを取るか、命を取るかって、私は第1回目の病気の時からプロレスを取っています。命を取っていたら、再発予防の化学療法をやっていたわけですから。もちろん、生きて帰ろうとは思っていますけども」

 何がなんでもリングにたどり着く。そして生還する。残り2週間、西村は病魔とにらみ合いながら、可能な限り体調を仕上げていく。

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