ダバディ氏が見たパリ五輪開会式…斬首の演出は「死刑廃止論者・マクロン大統領の意向か」

サッカー元日本代表監督フィリップ・トルシエ氏の通訳だったフローラン・ダバディ氏が28日、ENCOUNTの取材に応じ、型破りだったパリ五輪の開会式ついて解説した。そして、同式がフランス代表の選手たちにもたらす効果も語った。パリで生まれ育った同氏は現在も日本を拠点にしており、地元での祭典を興味深く見ている。

開会式での“斬首演出”が話題に【写真:ロイター】
開会式での“斬首演出”が話題に【写真:ロイター】

狙いは「汚れた歴史への反省」

 サッカー元日本代表監督フィリップ・トルシエ氏の通訳だったフローラン・ダバディ氏が28日、ENCOUNTの取材に応じ、型破りだったパリ五輪の開会式ついて解説した。そして、同式がフランス代表の選手たちにもたらす効果も語った。パリで生まれ育った同氏は現在も日本を拠点にしており、地元での祭典を興味深く見ている。(取材・構成=柳田通斉)

 私は先日まで、テニスの全仏オープン、ツール・ド・フランスを現地で取材していました。そのままパリ五輪も取材したかったのですが、円安の影響もあり、これ以上の長期滞在は難しくなって東京に戻ってきました。なので、期間中はフランスのメディアに日本でどのようにパリ五輪が報じられているかをレポートすることになりました。

 さて、現地時間26日の開会式ですが、まさに型破りでした。セーヌ川で船を使った行進は伝えられていましたが、演出の内容は想像以上でした。まず、首を切り落とされたマリー・アントワネットが、メタルロックを歌うというパフォーマンスから、私の見方をお伝えします。

 場所はセーヌ川沿いのコンシェルジュリ。王妃が処刑までの日を過ごしたかつての監獄で、現在は観光名所になっています。真っ赤なドレスを着て自らの首を手にした女性がベランダにたたずみ、革命時代に流行した歌『サ・イラ』(フランス語で「うまくいく」の意味)が、ヘビーメタル調で流れる演出。演奏の終盤には建物の窓から流血を思わせるような真っ赤な紙テープが舞い、赤い煙が噴き出しました。

 私自身も驚きましたが、日本ではネット上で「理解できない」「引いた」など声も多くあったようです。もちろん、フランスでも賛否両論でした。ただ、暴力に満ちたフランス革命の結果、アントワネットがギロチン処刑をされたのは「汚れた歴史の1つ」という見方はあります。それを想起させるパフォーマンスを世界が注目するパリ五輪の開会式でやってみせた。私は間違いなく、エマニュエル・マクロン大統領の意向が働いたと思っています。狙いは「汚れた歴史への反省」です。マクロン大統領は1981年にフランスで定められた「死刑廃止」の維持を推進しています。だからこそ、敢えてあのパフォーマンスを見せつけ、死刑がもたらす残酷さを示したと感じています。

 私にとってもう1つの衝撃は、アヤ・ナカムラのパフォーマンスでした。彼女は西アフリカ・マリ生まれでフランスとの二重国籍を持つ黒人の人気歌手です。以前から開会式への出演が取りざたされ、フランスの極右団体が差別的な批判を行ったことが物議にもなりました。その中でナカムラは「平等」をテーマとするセクションに出演し、アメリカの黒人DJから生まれたラップを歌ったのです。

フローラン・ダバディ氏【写真:本人提供】
フローラン・ダバディ氏【写真:本人提供】

前例のない式はフランス代表選手を後押し

 場所はアカデミー・フランセーゼ。ここはフランス語の辞書と文法書の編さんする重要な任務を担う団体の本部です(私の父はその団体の1人でした)。文字通り、正統派フランスの象徴的な場所ですが、ここで移民の彼女がラップを歌い、エリゼ宮殿の憲兵隊たちが演奏を務めた。これについても、マクロン大統領の「多民族国家 フランス」を世界に示す意向があったと感じています。歴史的にも、時の政権が自国開催の五輪開会式に「思い」や「意向」を入れることは珍しくありませんし、私もそれは「あり」だと思いました。

 今回の演出全体を見ると、イエス・キリストの「最後の晩餐」をLGBTQのパロディーにしたものに多くの批判が集まるなど、決して「パーフェクト」とは言えなかったかもしれません。ただ、私はこの開会式がフランスの選手たち、特に若い選手たちの後押しになったと考えています。理由は「前例を真似る必要はない」「やりたいことをやっていい」と意識を高めたと思うからです。

 振り返ると、3年前の東京五輪は1964年東京五輪へのオマージュと感じた部分もあり、パリ五輪は近未来への玄関口になると信じたいです。いずれにしても、前衛的なコンセプトを超える演出もあったパリ五輪開会式。人々の記憶に長く残ることは間違いない。私も誇りに感じています。

□フローラン・ダバディ 1974年11月1日,パリ生まれ。パリのINALCO(国立東洋言語文化学院)日本語学科で学び、在学中に静岡大に留学。卒業後の98年秋に来日し、映画雑誌「プレミア」の編集部で勤務。W杯フランス大会で出会ったスポーツ新聞記者の紹介で、サッカー日本代表フィリップ・トルシエ監督の通訳およびパーソナル・アシスタントに就任。フランス語、日本語、韓国語、英語、スペイン語などを操り、2002年W杯日韓共催大会後も日本を拠点に、スポーツ番組のキャスター、レポーター、フランス大使館のスポーツ・文化イベントの制作などに関わっている。父親はフランスの劇作家、脚本家、作詞家だった故ジャン=ルー・ダバディ氏。

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