梅沢富美男、紅白出場は「1回断った」 リハでスタッフにブチギレ「それ以来呼んでもらえない」

俳優の梅沢富美男が27日、MBS『ごぶごぶ』(土曜午後1時54分)に出演。『夢芝居』のヒットで1983年のNHK紅白歌合戦に出場したが、当時の歌手活動について秘話を明かした。

梅沢富美男【写真:ENCOUNT編集部】
梅沢富美男【写真:ENCOUNT編集部】

1983年のNHK紅白歌合戦に出場した梅沢富美男

 俳優の梅沢富美男が27日、MBS『ごぶごぶ』(土曜午後1時54分)に出演。『夢芝居』のヒットで1983年のNHK紅白歌合戦に出場したが、当時の歌手活動について秘話を明かした。

 梅沢は「当時、売れた俳優さんはみんな歌を歌うんですよ。決まってたんです。西田敏行さんも歌いましたし。なんか売れた人は必ず歌を歌うのね」と人気俳優の歌手活動は必須の環境だったとした。

「日本中のレコード会社がスカウトにきて『歌うたってくれませんか。レコード出しませんか』って」と自身もターゲットにされたとしたが、「全部断ったのよ。嫌じゃん。歌なんて歌ったことないから。舞台では歌ってましたよ。歌ってましたけど、本格的に歌なんてやったこともないし、どんな顔して歌うのかなんてわけわかんないしさ。めんどくさいからいいと思って、みんな断ってたんだ」と当初は拒否の姿勢を面浮いていたという。

「一番最後にキングレコードがきたのね。めんどくさいからさ、断ると。『どうしてですか』とか『何でですか』ってしつこいから。あっ、そうだ。芸能界である人から聞いたのは、『やりたくない仕事があったら、無理難題言え』って」と教えを思い出したという。梅沢は「オレ、小椋佳さんが好きだったんですよ。『あの人は他人に曲なんか書いてないから丁度いいな』と思って。『(小椋さんが)作ってくれたら歌ってやるよ』って言ったんです。ダメになるの分かってたから。そうしたら作ったのよ。それで歌うことになって」と目論見が外れて、歌手活動を行うことになったという。

 梅沢は「小椋さんは芝居見に来て、『歌うアーテイストを知らないと曲書けない』って。で、小椋さんが芝居見に来て、劇場であれ(夢芝居の)詞を書いたんです。帰って曲つけたんじゃない」とエピソードを披露。ダウンタウン・浜田雅功が「結果、いい歌やし」と言うと、梅沢も「昭和の名曲ですよ」と自賛した。同局・清水麻椰アナウンサーから「今となっては歌手活動して良かったっていう気持ちですか」と聞かれると、「まあ、そうだね」と肯定した。

 浜田から「紅白決まった時、どうやったんですか」と質問されつると、「いやいや、紅白なんて気にしてませんから。1回断ったんですけど、しつこいから『出ろ』って言われて、『じゃあ出ます』ってなってね」と回想。当時の出演者については村田英雄さん、三波春夫さん、北島三郎、研ナオコら豪華メンバーの名前を挙げた。

 リハーサルの多さが気に食わなかったという。「リハーサルあるっていうから、3日間リハーサルさせられてさ。1日目はしっかり歌って。2日目またリハーサル。オレ、踊りも踊んなきゃいけなかったから。出たら、昨日やってんだからもういいじゃん。1回歌えば。そうしたら『もう1回お願いします』って、もう1回歌ったのよ。そうしたらまた来て、『もう1回いきます』って言うから、『何回歌わせんだ、この野郎』って」と繰り返しの要請にキレたと告白。

 浜田が「出た」とあおると、梅沢は「失礼だろう。昨日、一晩中やってたのに。3回も歌わせんだよ」と怒りモードに。紅白経験者の浜田は「僕らもやりましたよ。しつこいんです」と同調した。

 梅沢は「場ミリ(立ち位置の指示場所)があるんだから、そこ立って歌ってんだからさ。1ミリも動かないんだからさ。『♪恋のか~らくり』って微動だにしないで歌ってるんだから。カメラワークがどうとか、踊ったりするんだったらね。カメラワークがどうのこうのっていうのは分かるけど、1ミリも動かないのに」と“無駄な作業”と捉えていた様子。

 結果、「頭にきてさ、『何回歌わせんだよ。オレの歌が悪いのか、バンドが悪いのか、どっちかだよ。お前よ』って。言うしかないじゃん」と詰め寄ったことを明かすと、浜田は「言うしかないって」とあきれた。梅沢が「それ以来、呼んでもらえない」とオチをつけて笑うと、清水アナは「絶対それじゃないですか」と指摘した。

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