富士山登山、軽視できない心臓の持病 山岳ドクター「絶対に頑張ってはいけない」

富士山の山開きが1日、山梨側で行われた。10日には静岡側でも開山を控え、インバウンドを含めた多くの人出が予想されている。一方、6月26日には登山客計4人が死亡するという痛ましい事故が起こった。うち1人は心臓に持病があったことが分かっている。心臓疾患を抱えながら、登山するリスクについて専門家に聞いた。

登山中に気をつけたい心臓突然死【写真:写真AC】
登山中に気をつけたい心臓突然死【写真:写真AC】

プロクライマー死亡 「既往歴がない場合でも心臓突然死のリスク」

 富士山の山開きが1日、山梨側で行われた。10日には静岡側でも開山を控え、インバウンドを含めた多くの人出が予想されている。一方、6月26日には登山客計4人が死亡するという痛ましい事故が起こった。うち1人は心臓に持病があったことが分かっている。心臓疾患を抱えながら、登山するリスクについて専門家に聞いた。

 富士山で死亡した4人のうち1人は30代のプロクライマーの男性で、8合目で意識を失い、病院に搬送されたものの、帰らぬ人になった。男性は2021年に、虚血性心不全で倒れたことをSNSで報告しており、その際、「もう以前のようなクライミングは厳しい」と告げられたことを明かしていた。

 標高3776メートルの富士山登山では、事前に心臓に持病がある登山客への注意喚起を行っているツアー会社も多い。実は「心臓突然死」は登山における3大死因の一つとして知られる。ただ、心臓病と言っても、種類はさまざま。どのような持病や症状があると、控えたほうがいいのだろうか。

「警察庁統計によると2023年度夏季(7~8月)の山岳遭難は合計809件発生しています。その主な原因は転滑落(40%)ですが、『病気』も遭難理由の第4位を占めており、そのほとんどが心疾患といわれています。そして、そのほとんどは登山前の一般的な健康診断では心機能に異常がないとされていた人たちです」

 こう話すのは、日本山岳ガイド協会認定登山ガイドで「AI MOUNTAINEERING CLINIC」代表の三井愛さんだ。無雪期、積雪期問わず、日本の名だたる名峰に登はん歴があり、日本で一番山に登っているドクターの肩書を持つ。

「病気の種別は具体的には公開されていませんが、山の低酸素環境や登山の強い運動負荷によって、普通に発症する一般的な心臓発作が山では発症しやすくなっていると考えられます。山では、例えば標高3000メートルでは酸素の量は地上の3分の1となります」と三井さんは説明した。

 これまで心臓に異常がなくても、発症するというのだから怖い。運動強度を表わす単位に「METs」(メッツ)という指標がある。

「日本での一般的な登山の運動強度は7METsです。他の運動でいうとジョギングやテニスと同じ程度の強度で、登山とは、そのような負荷の高い運動を何時間も続けるという特殊なスポーツになります。そして、7METs以上の運動は、心臓に問題を抱えている人は、既往歴がない場合でも心臓突然死のリスクが大きくなります」

 空気が薄い分、心臓にかかる負担は大きくなり、長時間の疲労蓄積により、予期せぬ体調不良を引き起こすというわけだ。

「心疾患には一般に冠動脈疾患(狭心症・心筋梗塞)、心臓弁膜症、不整脈、心筋症、肺高血圧症などがありますが、これらは山に来て突然罹患するものではなく長い年月をかけて進行する疾患のため、ご自身では気が付かないうちにベースに抱えていたものと考えられます」と三井さんは付け加えた。

山岳ドクターの三井愛さん【写真提供:三井愛さん】
山岳ドクターの三井愛さん【写真提供:三井愛さん】

心不全の兆候やコントロールされていない不整脈は「登山禁止」

 では、もともと心臓に持病のある人はどうしたらいいのだろうか。

 三井さんは絶対の基準ではないと前置きしつつ、「一般論としては、心疾患を抱えていていると即登山禁止というわけではなく、普段の生活で無症状の場合は、標高3500メートルまでの登山を行ってよいと言われています」と指摘する。

 ただし、条件がある。「300-500メートル/日ずつ、ゆっくりと標高を上げていくこと、『きつい』と感じないペースで歩くことが重要です。つまり登山が『7METs』の強度とならない体の使い方をすることです。絶対に頑張ってはいけません」

 登山には“クライマーズハイ”という言葉があるように、調子がいいと一時的な興奮状態になってどんどんと登りがち。もし持病があるなら、余裕を持った山行を心がけたい。

「また、ルートの選び方も重要です。整備された登山道で山小屋が比較的多くあるような山であれば、自分の好きなペースで歩けて休みたいときにすぐに休むことが可能なので、心肺能力が弱くても登り方を守れば比較的安全に登ることが可能でしょう。その他、登山の強度は天気、気温、風速、ルートのアップダウンや技術的な難しさなどさまざまな山岳環境要因が関係しますので、山のことをよく知っている方の助言を受けてご自身の身体能力に適した登山計画を事前に入念に練ることがとても大切です」

 どのくらいの山を登れるかは、個人差がある。「人によって心肺機能は異なるため、ここまでなら絶対に大丈夫という標高はありません。患者様がどのくらいの登山が可能なのかは個別に評価する必要があります」と三井さんは語った。

 心疾患でドクターストップになる事例については、「心筋梗塞後、不整脈、心臓弁膜症などさまざまな心疾患は加齢と共に進行し、心臓の機能を徐々に弱めていき『心不全』に至ります。心不全では呼吸困難や浮腫(むくみ)を生じますが、日常生活でも心不全の兆候があるならば通常登山は禁止です。コントロールされていない不整脈がある場合も登山は禁止です」とした。

 また、仮に心臓の持病がなくても、発症を引き起こす可能性のある持病もある。

「高血圧症は3人に1人が罹患する日本人の国民病といわれていますが、高血圧症も心臓突然死のリスクとなります。血圧が正常化するまでは低山ウオーキング程度なら行ってよいと考えられますが、『登山』は勧められません。今現在、血圧が160/100mmHg(水銀柱ミリメートル)以上の方については登山以前に運動をすること自体がリスクとなります」

酸素の量が薄くなる富士山9合目【写真:写真AC】
酸素の量が薄くなる富士山9合目【写真:写真AC】

登山時に見逃したくない心臓からのSOS 救助要請の手順とは?

 もし心臓に少しでも不安があるなら、登山に行く前にチェックを行いたい。

「中高年でハイキング以上の登山を行っていくのであれば、登山前に一般的な健康診断で施行される血液検査、心電図検査、胸部単純X線検査、血圧測定だけでなく、実際に心臓の動きや強さを確認できる心臓超音波検査、不整脈を確認するホルター心電図(24時間心電図)、どのくらいの強度の運動を行うと実際に不整脈や虚血症状が起きるのかを確認する運動負荷試験を受けることをお勧めします。それにより、自身の登山における心臓突然死のリスクをまずは知りましょう。医療機関によってはそのような検査を専門に行う『登山者検診』を実施している場合もあります」

 もちろん、いくら備えていても、油断は禁物だ。装備も入念に確認にしたい。

「万全の検査・治療と準備をしても不測の事態が避けられないのが、自然を相手とした登山です。山では無理をしないペースで歩き、十分な水分補給で脱水を防ぎ、エネルギー不足とならならないようこまめに糖質を補充しなければなりません。特に体力の弱い方は、初心者であれば決して単独で山に入らず、経験者の方や山岳ガイドさんのアドバイスを受けながら山での行動様式を身につけていってください」

 万一、登山中に異変を感じたら、心臓からのサインは見逃さないことだ。

「労作性狭心症や心筋梗塞であったら肩や腕に放散する胸痛や胸部圧迫感、不整脈であったら、動悸や胸部不快感、めまい、意識消失がその症状です。また、心不全に至った場合は息切れや呼吸困難、食思不振、寒気、浮腫という、心臓とは分かりにくい症状を呈します。『山で疲れているのかな』『頑張りすぎたかな』と見過ごしてしまうかもしれません。これらの症状がある場合は一刻も早く医療機関に搬送する必要がありますが、山岳環境ではそれが難しいのが現実です。原則自力下山を避けて安静を保ち、すぐに110番をして山岳救助隊に救助要請を行いましょう」と三井さんは呼びかけた。

□三井愛(みつい・あい) Ai Mountaineering Clinic代表。聖マリアンナ医科大学卒業。普段は地域密着型病院である総合高津中央病院の救急医療を担う外科専門医。その傍ら、患者からの依頼を受けて健康に不安のある方、体力の弱い方の夢をかなえる山登りをサポートする国際認定山岳医・日本山岳ガイド協会認定登山ガイドでもある(Monte Guide Union所属)。自分自身も限界に挑戦する現役のアルパインクライマー。

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