過去に患ったバセドウ病、現在も続く膠原病との闘い…それでも向後桃がプロレスラーになったワケ
彼女は、ペットボトルのキャップを開けづらそうにしていた。「膠原病の影響で、指が曲がらないんですよ」……その声の主は、向後桃。スターダム所属の女子プロレスラーである。2020年、彼女はバセドウ病を患っていることを公表した。そのバセドウ病は昨年寛解したものの、今は膠原病と戦っている。リングでの戦い、病気との闘い。向後桃は、どのように敵と戦っているのか。
「自分は怠けものだと思っていた」でも真実は…
彼女は、ペットボトルのキャップを開けづらそうにしていた。「膠原病の影響で、指が曲がらないんですよ」……その声の主は、向後桃。スターダム所属の女子プロレスラーである。2020年、彼女はバセドウ病を患っていることを公表した。そのバセドウ病は昨年寛解したものの、今は膠原病と戦っている。リングでの戦い、病気との闘い。向後桃は、どのように敵と戦っているのか。(取材・文=橋場了吾)
学生時代はバスケットボールで活躍し、2016年には「ミス湘南」グランプリを獲得している向後。傍から見ると順風満帆な人生だが、彼女の体には異変が起きていた。
「小さいころからずっとスポーツが大好きだったんですが、割と当時から平熱が37度くらいで高めでした。あと部分的な脱毛があったんですが、そのときもそれほど気にしていなくて。まだ病気に気づいていなかったときには『なんで私はこんなに頑張れないんだろう』と。病気だとも思っていないですし、体調が悪いという認識もなかったので、ただ自分が怠けているだけだと……」
その異変に病名がついたのは、あるときの健康診断時だった。
「2015年ですかね、健康診断のときに、(喉を指さしながら)ここが喉仏みたいに出ているよと言われまして。『一応検査しておきましょうか』ということで検査してみたら、甲状腺が肥大していて、バセドウ病ですよと。ああ、自分が怠けものだと思っていたけど、これは病気だったんだって。でも(症状が)酷いときは、信号を渡るのも精一杯で。しかもその前に休憩を取らないといけないくらい、息が上がっちゃいました。それだけ、体力がないんです」
バセドウ病は甲状腺臓器の特異性な自己免疫疾患のひとつで、1000人中2~6人いるといわれている病気だ。甲状腺ホルモンが常に刺激されるため、新陳代謝が活発になり常にジョギングしているような状態となる。脈拍が速まり、汗も多くなり、疲れやすくなるのが特徴だ。また、食欲が増しても体重が減ってしまうことも多く、男性よりも女性に発症しやすい。
「今は腹筋が戻っていますが、当時は肉が全体的になくなってしまって、今より10kg以上痩せていました。明らかにガリガリで。実はミス湘南のグランプリをいただいたときは、本当に酷かったんです。体力勝負の仕事も多かったので、同じ大会で受賞した子にフォローしてもらうことも多くて。でも、写真を撮られているときはアドレナリンが出て頑張れてしまう……これはプロレスのリングも同じなんです」
病気があったからこそ、後悔したくなかった
向後がプロレスデビューしたのは2019年。アクトレスガールズのリングにおよそ2年半在籍し、2022年1月からスターダムに参戦した。地道な治療の結果、バセドウ病は寛解した。
「スターダムに来る頃に、1回寛解したんですが、そのときは1か月で戻ってしまって。で、改めて先生と相談しながらお薬の量を決めて、少しずつ減らしていきました。今は常にジョギング状態になることも、もちろんないですよ」
とはいえこれだけつらい状況において、なぜ向後はプロレスラーになろうと思ったのか。
「プロレスを知ったのはデビューする直前です。年末に実家でテレビを見ていたときに、たまたま海外のプロレスが特集されていて、それで女性選手の戦いやハイフライヤーの選手たちの動きに魅了されて朝まで見続けました(笑)。でもそのときは自分がプロレスラーになるつもりはなかったんですが、とあるお芝居を見に行ったときに、プロデューサーさんに『この子、運動神経いいんですよ』とアクトレスガールズの方に紹介されたのがきっかけで、プロレスの世界に入ることになりました。プロレスを始めるときには体力が一番なかった時期から良くなっていたときで、今始めなかったら一生できないかもしれないと思って。今日の自分が、もしかしたら一生で一番元気かもしれないと。だからプロレスをやるという踏ん切りは、病気があったからこそつけられたと思います」
(28日掲載の後編へ続く)