代理人・武藤敬司が語る、猪木VSムタ戦“毒霧”秘話「猪木さん、流血したらヤバい体調だった」
昨年2月21日に東京ドームで引退した“プロレスリングマスター”武藤敬司が23日、東京・新宿の京王百貨店で開催されていた「超 燃える闘魂 アントニオ猪木展」(20日~26日)に合わせ、別フロアで限定復活した「猪木酒場」でのトークイベントに出席した。今回はイベント前の武藤を直撃し、師匠であるアントニオ猪木の話を聞いた。
倍賞美津子さんの手料理をいただく
昨年2月21日に東京ドームで引退した“プロレスリングマスター”武藤敬司が23日、東京・新宿の京王百貨店で開催されていた「超 燃える闘魂 アントニオ猪木展」(20日~26日)に合わせ、別フロアで限定復活した「猪木酒場」でのトークイベントに出席した。今回はイベント前の武藤を直撃し、師匠であるアントニオ猪木の話を聞いた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
武藤が師匠・猪木について語ることは珍しい。「闘魂三銃士」と呼ばれた3人のなかでは、猪木の付き人だった蝶野正洋や、猪木に憧れてプロレスラーになった橋本真也と比べると、武藤は適度な距離感を持って猪木と接してきたからだ。
しかも「最近は何が一番困るっていったら、もう物忘れがヒドくて困ってるよ」と話す武藤だが、それでも当然、猪木との接点はそれなりに存在する。猪木に関する最初の記憶はデビューするかしないかの頃のこと。
「まだね、めちゃくちゃ入ったばっかりの頃さ。俺が道場にいたら猪木さんがぶらっとトレーニングをしに来て。その頃は猪木さん、リムジンに乗っていてさ。その時は、猪木さんが自分で運転して来たんだよ。それで練習が終わって、猪木さんが運転する車の助手席に乗って、その当時、通っていた接骨院に行って、拷問みたいなキツい治療を受けてさ。その後、猪木さんの家に行ったんですよ」
当時の猪木は、愛妻だった倍賞美津子さんと一緒に住んでいた。
「だから美津子さんの手料理をごちそうになって。美津子さんと猪木さんと俺の3人で食べましたよ。そしたら『プロレスとは……』みたいな話をしてくれてさ。美津子さんもいろいろ語ってくれて。なんの話をされたのかは覚えていないけど、こんなスターの二人と一緒に食事ができるなんてすごいなと思って。あれは幸せの瞬間だったよ」
ちなみに武藤はどんな手料理をごちそうになったのかはもちろん、場所がどこだったのかも覚えてはいない。
「田舎から東京に来たばっかだったからさ。場所も何も分かんないよ」
武藤の猪木話は他にもある。武藤がまだ若手の頃、新日本プロレスでは毎年2月に開催される雪まつりに合わせて札幌大会を開催していた。
「北海道で大会があって、ホテルに泊まってさ。翌日の朝、ランニングすることになったんだよ。何キロぐらい走ったか覚えてないけど、基本的には全選手参加だったんじゃないかな。そしたら、猪木さんが『ついてこい、泳ぐぞ』っていう感じでさ。近くの川だか海に、猪木さんが先頭に立って泳いで行ったね」
猪木VSムタ戦秘話
2月の北海道である。想像しただけで極寒であることが伝わってくる。
「溺れ死ぬかと思うよ。だけど猪木さんからすればなんのことはない。だって猪木さん、その当時から糖尿病だったから、(治療の一環で)毎日ホテルで氷風呂に入っているんだよ。だから、俺ら全員がそれに付き合わされてるっていうかさ(苦笑)。いや、水に入ったのは全員じゃなかったけど、若手は10人とかそのくらい水のなかに入ったよ」
そんな話しているうちに、徐々に武藤の記憶の扉が開いてきた。
「俺が米国のテキサスで働いてる時に、三銃士で新日本のタッグリーグ(イリミネーションタッグリーグ?)だったかに出てくれって話があったんだけど、俺は断ったの。その後すぐ、WCWからスカウトされたんだよ。だから新日本を辞めてWCWと契約したいと思ってさ。坂口征二さんに連絡してそう伝えたら、『お前は新日本の人間だろ』って言われたけど、契約も切れていたしさ。そしたら、ちょうど坂口さんの近くに猪木さんがいたらしくて。猪木さんに電話を変わったから、同じことを伝えたら、その時はガチャッてそのまま切られたよ(苦笑)。今、思い出した」
さて、猪木と武藤の絡みといえば、最も印象深いのはグレート・ムタ戦(1994年5月1日、福岡ドーム)になるだろう。
猪木VSムタに関しては、最近、ムタの代理人・武藤が「試合の勝ち負けよりもムタの毒霧を猪木さんに吹きかけてやりたかった」旨のコメントを公にしていたことがあった。その話を武藤にぶつけると、「そうそうそう。だって芸術じゃない。(毒霧の)緑と(鮮血の)赤って。猪木さん、その当時から糖尿がヒドかったから流血したらヤバい体調だったんだよ。だから強引にやったらしい」とのこと。
しかもムタ戦を振り返り、「本当はムタはA猪木との動きを、ミュージカルじゃないけど、スポットライトだけで追いかけてほしかったそう。実際、そういう場面も2人は作ったけど、ドーム全体が明るくてそこまでうまくできなかったんだよね。結果だけど、淡い色の光に見えてよかったけどな」と話した。
また、最近の話になると、武藤がプロデュースしていた「プロレスリングマスターズ」という大会に話が及んだが、結果的に武藤が猪木をこの大会に呼ぼうと決めることになるのは、話の様子から、おそらく2019年頃、ある人から聞いた「猪木はガンか何かで長いことないぞ」という話が発端だった。
A猪木との最後の遭遇
「その頃、俺、年に2回、『マスターズ』って大会をやっていてさ。本当は2020年の8月の大会に猪木さんを呼ぼうとしてたんだけど、早めに呼んだほうがいいってことになって、2月の『マスターズ』に呼んだんだよ。そこまで俺、猪木さんと15年とかそのくらいは疎遠にしていてさ。だけどその時は猪木さんがよくいるホテルオークラに行って、『会長、お願いします』って言ったら、すぐにOKをもらって」
そう話した武藤は、「だけどその後の1時間くらいは『プラスチックはこうやって消えるんだ』とかって話をずーっと聞かされたよ」と猪木にありがちなエピソードを紹介した。
それでも猪木が登場した『マスターズ』は猪木のデビュー60周年メモリアルとして、予定通り2020年2月28日に後楽園ホールで開催された。
「発表したらすぐにソールドアウトになったんだよ。だけど緊急事態宣言ではないんだけど、その時に小池百合子都知事が『コロナなので外出は控えてくれ』って発表したら、500枚のキャンセルが来たの。それでも大会自体はやって。猪木さんも来てくれたんだけど、猪木さんが亡くなった時に、その時の『マスターズ』の時に、みんなで『1、2、3、ダー!』をやっているところの写真がメディアの至るところで使われてましたよ」
どうやら武藤は、そこが猪木との最後の遭遇になってしまったようだ。
そんな武藤に「猪木さんにこれを言っとけばよかったな」と思うことはありますか? と聞くと、「別にないよ。お疲れ様でしたってことかな」と答えた後に、「これもまた若手の頃の話だけど……」と以下の話を披露した。
「これもまだデビューする前ね。その時にやっぱり道場にいたら、猪木さんが練習しに来たんですよ。その時はタクシーかなんかで来られて。練習をして、帰るってことになってタクシーに乗るって話でさ。道場にタクシーが着いた時に、『武藤、ちょっと1万円貸してくれ』って貸したけど、いまだに返してもらってないことかな(笑)」
それが本当だとすると、かなりのいい利子がついているが、この話は猪木から、貸した1万円を返してもらえなかったからこそ、こうしてネタ的に語れる話になっている。もしかしたらそれを見越して猪木があえてそうしたとは思えないが、いずれにしろ、「最近は物忘れがヒドい」と嘆く武藤が、この話を懐かしそうに話し、かつそうやって猪木を忘れずにいることがすべてを物語っている気がした。
(敬称略)