平泉成、44歳で改名した理由 1年後に年号「平成」に…「大きな時代は来なかったけどね」
映画『明日を綴る写真館』(6月7日公開、秋山純監督)で初主演を果たした俳優・平泉成(80)。父親役、おじいさん役、警察幹部役、コミカルな役まで幅広くこなす名バイプレーヤーだが、若い頃は時代劇と悪役がイヤだったと語る。60年のキャリアと転機を振り返った。
名古屋のホテルのベルボーイから転身した過去
映画『明日を綴る写真館』(6月7日公開、秋山純監督)で初主演を果たした俳優・平泉成(80)。父親役、おじいさん役、警察幹部役、コミカルな役まで幅広くこなす名バイプレーヤーだが、若い頃は時代劇と悪役がイヤだったと語る。60年のキャリアと転機を振り返った。(取材・文=平辻哲也)
俳優としてのキャリアは60年。前職は名古屋のホテルのベルボーイだった。
「商業高校を卒業して、どこに就職しようかなと思っていたら、近鉄系の名古屋都ホテル(1963~2000年)が新たに開業するというので、人を募集していたんだ。開業までの半年間、英語の勉強から皿の持ち方まで勉強させられた」
ホテル開業後は客室にゲストの荷物を運ぶのが主な仕事だった。
「社会に出て、いろいろと思うこともあり、同時に若いころから憧れもあった映画への想いもあり、周りに相談していたら、寮の同じ部屋の先輩に、市川雷蔵さんを知っている人がいると聞いて、『紹介してほしい』と飛びついたんです。先輩の仲間で京都に住んでいる人の家に泊めてもらって、大映フレッシュフェイスの試験を受けに行きました」
市川雷蔵さん(1931~69年)は三代目市川九團次の養子で、歌舞伎界から映画俳優に転身した大映を代表する大スター。58年に三島由紀夫原作の『金閣寺』を映画化した『炎上』(市川崑監督)で高く評価され、63年から始まった『眠狂四郎』シリーズが大ヒットしていた。
「大映には雷蔵さんが入れてくれたんだと思っているんですよ。芝居の勉強は何もしてなかったから。お礼に行ったけれども、『オレが入れてやったよ』なんてことは一言もおっしゃらなかった。そういうタイプの人だったんだろうと思います」
当時の大映は時代劇を量産していたが、時代劇はあまり好きではなかったのだという。
「日活はいいなと思っていました。現代劇で、さわやかな感じがしました。大映映画は着物を着て、ちょんまげをつけなきゃダメだったから。セリフも『おめぇさん』とか『おいら』とか言わないといけなくて、『芝居が上手くなったなぁ』と言われるんですけど、内心は変だなと思っていました。でも、何もできないのに文句ばかり言っているわけにもいかないと思っていました」
悪役も多かったが、「楽しくなかった」と正直に明かす。
「よく『悪役が楽しいですね』という人がいるけど、普段はやっていなくて、たまにやるから、楽しいと思えるんですよ。いつもやっていると、悪役をやりたいとは思わなかった。何かと言えば、蹴飛ばしたり、唾を吐いたり……。でも、生活もあったので、出ることによって、ちょっとでもチャンスが広がれば、と思っていた。うちにいるより、役者をやっている方がいいという発想がありましたので」
「平泉征」から「平泉成」に改名
転機になったのは、44歳の時だった。旧芸名の「平泉征」から現在の「平泉成」に改名した。
「日活の川地民夫さん(1938~2018年)から『飲みに来いよ』と電話かかってきたんです。『お前の占いを見てもらったんだけど、このままだと病気になるぞ』と言われたんです。いっぱいお酒を飲ませてもらいながら、『平泉征の“征”がよくない。平らな泉に“成”るだったら、病気にならない』と。家に帰って、よく考えたら、40を過ぎていたので、平らな泉になって、静かにのし上がっていけた方がいいなと思い、改名することにしました。それで、そうしたら1年後、偶然年号が『平成』になった。特に大きな時代は来ませんでしたけどね」と笑う。
その後はテレビドラマでは欠かせないバイプレーヤーに。
「一時はレギュラードラマが欠けたことがないくらい忙しくさせてもらった時期はありました。今の売れている若い子を見ると、オレもあんな時期はあったなと思うこともありましたが、決定打には欠いていました」
自身がフィルモグラフィーに残したい作品は、増村保造監督が若尾文子、北大路欣也主演で撮ったメロドラマ『濡れた二人』(1968年)、歌人・劇作家の寺山修司監督が自作を映画化した実験的な意欲作『書を捨てよ町へ出よう』(71年)だという。
「下手くそだったけど、今になったら許せる。楽しい思い出ですかね」
キャリア60年で映画初主演となった『明日を綴る写真館』は写真館を営む主人と、彼に弟子入りを志願する若いカメラマン(Aぇ! group・佐野晶哉)との交友を描く物語だ。
「想い残したことができた作品です。こんな芝居はできないだろうというぐらい、すっと仕事に入ることもできたし、出演者全員が集中していた。これから、何か新しいことを始めたいという人の背中を押せる作品になれば、と思っています」
私生活では子宝にも恵まれた。自身の趣味もカメラだが、普段は孫を被写体に撮ることが多いという。
「上の孫は中学3年かな。それと5歳と3歳です。可愛いですね。この子たちの未来が明るければいい、地球がダメになるようなことがなければ、と考える年になりました。健康にいいことは特にしていませんが、何事も無理せず、ほどほどにストレスをためないよう、心がけています」。酸いも甘いもかみ分ける名優は、おじいちゃんの顔ものぞかせた。
□平泉成(ひらいずみ・せい)1944年6月2日生まれ、愛知県岡崎市出身。1964年大映京都第4期フレッシュフェイスに選ばれ『酔いどれ博士』(66/三隅研次監督)で映画デビュー。以降、映画・テレビドラマ・ナレーターと幅広く活動、その個性的風貌からの存在は多くの人に愛されている。主な作品として、『書を捨てよ町へ出よう』(71/寺山修司監督)、『その男、凶暴につき』(89/北野武監督)、『失楽園』(97/森田芳光監督)、『蛇イチゴ』(03/西川美和監督)、『花とアリス』(04/岩井俊二監督)、『シン・ゴジラ』(16/庵野秀明総監督)、『天気の子』(19/新海誠監督)、『マイスモールランド』(22/川和田恵真監督)などがある。