『まいっちんぐマチコ先生』誕生の裏にあった藤子不二雄の影響 お色気路線を選んだワケ

1980年から連載がスタートした『まいっちんぐマチコ先生』はえびはら武司先生(70)の代表作だ。81年からはアニメも放送されるなど人気を集め、終了から40年以上たった今もなお愛され続けている。魅力的なキャラクターが数多く登場する『マチコ先生』の誕生の裏側を聞いた。

『まいっちんぐマチコ先生』誕生の裏側を語ったえびはら武司先生【写真:ENCOUNT編集部】
『まいっちんぐマチコ先生』誕生の裏側を語ったえびはら武司先生【写真:ENCOUNT編集部】

マチコ先生のモデルとなった人物も明かす

 1980年から連載がスタートした『まいっちんぐマチコ先生』はえびはら武司先生(70)の代表作だ。81年からはアニメも放送されるなど人気を集め、終了から40年以上たった今もなお愛され続けている。魅力的なキャラクターが数多く登場する『マチコ先生』の誕生の裏側を聞いた。

 幼少期は『鉄腕アトム』や『鉄人28号』といったいわゆる“王道漫画”に魅了されたえびはら先生。漫画家を目指して高校卒業後に藤子スタジオでアシスタントとして働き、藤子不二雄に師事した。

 どうにか連載漫画を描くことができないかと考えていたとき、ある編集の人から言われた「『ドラえもん』みたいな漫画を描いてもダメだよ。先生がやらないものをやりなさい」という言葉が転機となった。

 当時、『3年B組金八先生』など教師を題材にした作品はあったが、女性の先生をメインに据えたものはほとんどなかった。当初は「熱血モノ」を描こうと考えていたが、次第に“お色気”路線にかじを切っていった。

 1980年に「少年チャレンジ」で連載がスタート。約半年ほどでアニメ化が決まるなど、すぐさま人気作となった。

 同作で印象的なシーンといえば、マチコ先生が恥じらいながらも発する「いや~ん、まいっちんぐ!」のせりふだ。

「最初に『マチコ先生のパンティー』という漫画を描いていたんです。この作品の中でケン太が『まいったなぁ』という意味で『まいっちんぐ』という言葉を使っていました。このせりふを当時の編集長が気に入ってくれて、『使おう』となりました。

 当時、パルコ出版が出していた『ビックリハウス』という雑誌で“流行語を作ろう”みたいなコーナーがあったんです。読者からのいろんな文章が並んでいて、著作権ナシでみんなで使おうみたいなものだったんですね。そこに『まいっちんぐ』という言葉があったんですよ。今では『ビックリハウス』もなくなっちゃったんで、誰も喜んでくれなくなっちゃったんだけどね(笑)」

アニメには漫画には登場しないキャラも「逆に僕が使わせてもらったことも」

 当時の少年たちが夢中になった『マチコ先生』のちょっぴりエッチな描写。そんなマチコ先生の題材となった人物がいるという。

「露骨なモデルがいるわけではないんだけど、自分の好みの人を描いちゃうものなんだよね。当時は大場久美子さんと宮崎美子さんとアグネス・ラムさんを足したんですよ。顔は大場久美子で、体は宮崎美子、雰囲気がアグネス・ラムって感じでね。マチコって名前も深い意味はなくて、里中満智子さんから取っちゃえって(笑)。後日、本人に伝えたら喜んでくれましたね。ちゃんと報告ができて良かったです」

 81年からはアニメ放送もスタートしたが、漫画とは異なるオリジナルストーリーだった。

「僕の連載は隔週で月2回。それぞれ32ページだったので、キャラクターを増やしすぎると扱いきれなくなるので、多くなかったんです。だけど、テレビアニメは毎回30分あるので、僕のキャラだけでは持たないと言われてしまってね。だから、アニメーターの方にどんどん作ってもらいました。そのあたりはお任せしていましたね。逆に僕がアニメのキャラを使わせてもらったこともありましたよ」

 漫画の連載は約3年、アニメの放送も約2年という期間だったが、その後も舞台化や実写映画化されるなど、長年愛され続けている。

 97年には「コミックGON!」の編集長の熱い“マチコ愛”に背中を押される形で約15年ぶりに『マチコ先生』が復活。その後も、さまざまな雑誌でたびたび掲載されてきた。

 今後については「もう漫画を辞めたい」と笑いながらも、「今年、映画を作る予定なんです」と明かす。「『マチコ先生』と僕の引退興行なんです。僕も70歳になるので、引退映画を作ろうと思っています」。

 作品は実写映画で、えびはら先生自身も出演する予定とのことだ。「シナリオも僕が書きます。今までお世話になった人たちに出てもらいたいですね」。長年愛され続けた『マチコ先生』も一区切りのタイミングを迎えるようだ。

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