吉永小百合「日活がある意味学校でした」 デビュー秘話も明かす「本当は東映からお話があった」

俳優の吉永小百合が24日、東京・池袋にある新文芸坐にて行われた「吉永小百合青春時代写真集」発売記念特別上映会イベントに登場した。青春時代を過ごした日活映画について語った。

イベントに登場した吉永小百合【写真:ENCOUNT編集部】
イベントに登場した吉永小百合【写真:ENCOUNT編集部】

吉永小百合、渡哲也さんや中尾彬さんとの思い出語る

 俳優の吉永小百合が24日、東京・池袋にある新文芸坐にて行われた「吉永小百合青春時代写真集」発売記念特別上映会イベントに登場した。青春時代を過ごした日活映画について語った。

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 同イベントは、「吉永小百合 映画女優デビュー65周年記念企画」の一環。文藝春秋社から刊行される『吉永小百合青春時代 写真集』の発売に先立ち、当日は吉永が自ら選んだ映画『潮騒』『風車のある街』の2作品の上映を行う発売記念特別上映会を実施した。

 吉永は高校入学と同時に日活に入社。以降、「日活の看板女優」として、浜田光夫とともに1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こした。吉永は「たまたま父の学生時代の友人が日活で宣伝部長をしていて、本当は東映からお話があったんですけど、東映はアクション映画が多かったので、『じゃあ、ウチにくればいいじゃないか』と日活に行くことになったんです」とデビュー秘話を明かした。

 続けて、「小学校、中学校と『赤胴鈴之助』(ラジオ東京(現・TBSラジオ)など、いろいろな作品に出演しておりまして、高校は一生懸命に勉強と思っていたわけですね。でも、高校の入学式に日活の撮影所に行くことになって、学校途中で衣装を変えて、撮影所に行ったことを覚えています」と振り返った。

 さらに吉永は「年間2本出たらいいと言われていたんですが、次の年になったら出演したのは16本。残念ながら、学校はダメになったんですが、日活というところがある意味、学校になったということでした」と語った。

 また、思い出の一本として吉永は原爆をテーマとした映画『愛と死の記録』(1966)をあげた。吉永は「ロケは、何度もリハーサルをして、ほぼ隠し撮りみたいな形で行いました。ある日、(共演した)渡(哲也)さんが、見つからないんです。どうしちゃったんだろうとみんなで探したんです。そうしたら、押し入れで寝ていたんですね。渡さんはリハーサルが嫌だったんじゃないかって。みんなでかわいいねって言っていました。そんな渡さんも4年前に亡くなりました。この映画には中尾彬さんも出ていらっしゃった。中尾さんも最近、亡くなられたそうで、本当に寂しいことなんですが、皆さんにぜひ見ていただきたい一本です」と語った。

『吉永小百合青春時代 写真集』は6月6日、吉永小百合&浜田光夫『純愛ブルーレイボックス』は6月5日に発売。

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