『金八先生』でブレークも18歳で考えた引退 鶴見辰吾、転機となったベテラン俳優2人との出会い

俳優の鶴見辰吾(59)が、Daiwa House presentsミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』(7月27日~10月26日、東京建物Brillia HALL 11月9日~24日、大阪・SkyシアターMBS)に出演する。主人公である少年の父親役を演じる鶴見は、10代で芸能界に入り、俳優としてキャリアを重ねてきた。芸歴47年。還暦を前にした鶴見が、俳優として転機になったことや今後の人生を語った。

インタビューに応じた鶴見辰吾【写真:ENCOUNT編集部】
インタビューに応じた鶴見辰吾【写真:ENCOUNT編集部】

芸歴47年、7月27日から約5年ぶりに舞台作出演

 俳優の鶴見辰吾(59)が、Daiwa House presentsミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』(7月27日~10月26日、東京建物Brillia HALL 11月9日~24日、大阪・SkyシアターMBS)に出演する。主人公である少年の父親役を演じる鶴見は、10代で芸能界に入り、俳優としてキャリアを重ねてきた。芸歴47年。還暦を前にした鶴見が、俳優として転機になったことや今後の人生を語った。(取材・文=大宮高史)

 鶴見は12月29日で60歳になる。『ビリー・エリオット』は自身にとって約5年ぶりの舞台作になり、バレエダンサーを夢見て炭鉱町で育った少年・ビリーの父として、役名もそのまま『お父さん』として出演する。

「7年前の日本初演を見た時、直感で妻に『すぐ、見に行って』と熱弁してしまったくらいすてきな作品だと感じました。今回、この歳でオーディションも受けて、コレオグラファーさんをお手本に久しぶりに本気で踊りました。といっても、本番ではお父さんとしてはダンスのシーンはほとんどないのですが(笑)」

 自ら手繰り寄せた出演のチャンスは、俳優を志した幼い頃の心境も思い起させてくれたという。

「夢を持っているビリーは、かつての自分を見ているかのようにも思います。役者になりたいと思ったのが、幼い頃に見た宝塚の舞台でした。今回、OGの方々とも共演がかないましたが、『子どもや若者の夢』という普遍的なテーマを描いていて、人生のどのタイミングで見ても共感が多い作品です」

 10代でデビューし、1979年にはTBS系連続ドラマ『3年B組金八先生』第1シリーズに出演。父になる中学生役で脚光を浴びた。知名度はグンと上がったが、鶴見は目指す役者像とのギャップに悩み、引退を考える時もあったと振り返る。

「僕は当時、洋画のようなハードなアクション映画で経験を積みたいと思っていました。でも、当時はアイドル全盛時代だったので、僕には青春ドラマの優等生のような役が多くなりました。もっと、男くさい経験を積みたかったんです。『俳優専業で食べていくのも厳しいかもな』と現実的な考えもよぎり、『就職して普通の人生を歩んだ方が良いかも』と思いかけたのが18歳の頃です」

 将来に迷っていた頃、83年のフジテレビ系連続ドラマ『早春スケッチブック』で共演したベテラン俳優の姿に心を動かされた。

「山崎努さんの俳優としての姿勢を鮮やかに覚えています。『命懸け』という言葉がピッタリなくらい、真摯(しんし)に作品や役への研究を重ねていたのを間近で拝見して、『自分もこれくらい役者に本気にならなければ』と覚悟を固められました。それからの人生を決めてくれたと言ってもいい存在です」

 当時、別の先輩俳優から公私ともに面倒をみてもらったことも、貴重な糧になった。

「デビューしたての頃、鈴木ヒロミツさんにかわいがっていただきました。『Gパン、格好いいね』のように小さなことまで褒めてもらい、右も左も分からなかった若手の僕は前向きでいられました。でも、気づけば鈴木さんが亡くなられた時の年齢(享年60)に僕も追いついてしまいますね」

身体を鍛えたことで、役柄も広がった【写真:ENCOUNT編集部】
身体を鍛えたことで、役柄も広がった【写真:ENCOUNT編集部】

“病気で死ぬ”役の増加で一念発起「頼もしく見えるように」

 時代の流れで、芸能界でも“熱血指導”はありえない時世になったが、鶴見は「現代の方が厳しい時代」と表現した。

「僕はあいさつから教わり、ちょっとでもセリフをとちれば、厳しく怒られました。時間にしても終わりという概念がなくて、テレビの現場でも納得するまで居残りをする時代でしたが、今は自己を律して、自分で過去の自分を超えていかないといけない。先輩たちが厳しくなくなった代わりに、手探りで成長を求められる世の中だなと思っています。指針を示してくれる人がいない分、現代の方が厳しいかもしれません」

 劇中では、厳格な父としてビリーの夢に反対する。鶴見は自身の父を思って言った。

「父は僕が俳優になることに反対しませんでした。なので、僕に子どもがいたとしても、頭ごなしに反対はしないと思います。ただ、現実的には子どもが『俳優になりたい』と言ったら、『ちょっと待て』と止めたくなりますね。『続けること』の難しさと意志の強さを試され続ける仕事なので、親とのすれ違いがその始まりになります。そこで己の気持ちに向き合って『やっぱり、役者になりたい』と決意できれば、継続力という武器になります。そうなれば僕ら大人も、背中を押してやります。幸い僕はこの年齢になるまで仕事を続けられましたが、恵まれた先輩やスタッフ、鶴見辰吾の芸を選んでくれたお客さまのおかげです」

 私生活では、50代でマラソンに挑戦。2016年の横浜マラソンで出場し、3時間9分27秒で完走したことなどが話題になった。その後、スピードゴルフに取り組み、近年は筋力トレーニングも重ねている。おかげで役柄にも変化が出てきたという。

「6年ほど前に『病気で死ぬような役が増えてきたな』と気づきました。確かにスーツを着ると、げっそりして見えるほどでした。貧相に見られていたかもしれないと、自転車、マラソン、筋トレとエクササイズで体を鍛え直しました。おかげで頼もしく見えるようになって、今回のお父さんの役もいただけたのかなと思います」

 鶴見が直近で経験してきた50代は、大人が「ミドルエイジ・クライシス」(中年期特有の心理的危機)に直面するとされる時期でもある。年齢を重ねて、人生観に変化はあったのだろうか。

「この数年間に、父と家内の父を続けて見送りました。『自分の人生の終わり方』にも否応なく向き合う年齢です。身内を見送ると『皆、いつかは老いるもので、老いも死も過度に恐れるものではない』という実感が強くなりました。もしかしたら、天国があって亡くなった人たちと会えるのかもしれないし、身近な人の死は『次は自分の番』と心の奥底で覚悟させてくれるようです」

 これからの俳優活動については、「老いて行くことも表現の一つにしていきたいですね。若い頃、年上の俳優さんのシワ一つすら名優の証しに思えたことがありました。彫刻家が長年をかけて彫刻を刻んでいくように、時間をかけて『老いの美しい見せ方』を追求していきたいですね」と語った。“生涯俳優”の決意を新たに、鶴見は歩みを進めていく。

※山崎努の「崎」の正式表記はたつさき

□鶴見辰吾(つるみ・しんご) 1964年12月29日、東京都生まれ。77年、芸能界デビュー。ドラマ・映画での出演を重ね、79年のTBS系『3年B組金八先生』第1シリーズ、映画『翔んだカップル』(80年)、『潮騒』(85年)、TBS系『スクール☆ウォーズ』(84年)などに出演。その後も数多くの作品で存在感を示し、21年にはNetflixドラマ『全裸監督』にも出演。NHK連続テレビ小説『舞い上がれ!』(23年)では、終盤のキーマンとなる役で登場。3作目の朝ドラ出演を果たした。趣味は歌、ギター、自転車、日本舞踊。176センチ。血液型A。

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