31年前「第1回K-1GP」誕生秘話を“生みの親”が激白「優勝賞金は1000万円、各選手のギャラは100万円」

20日、東京・代々木第一体育館で「K-1 WORLD MAX2024」が開催される。第1回のK-1グランプリが同所で開催されてから31年目に、また最初の開催地に“原点回帰”する格好だ。そこで今回は“生みの親”であり、K-1アドバイザーでもある石井和義館長(正道会館宗師)が当時を振り返った。

先ごろ、アドバイザーとしてK-1に復帰を果たした“生みの親”石井館長
先ごろ、アドバイザーとしてK-1に復帰を果たした“生みの親”石井館長

わずか10分でチケットが完売「世界王者に1日3試合をやらせるか。それがネックだった」

 20日、東京・代々木第一体育館で「K-1 WORLD MAX2024」が開催される。第1回のK-1グランプリが同所で開催されてから31年目に、また最初の開催地に“原点回帰”する格好だ。そこで今回は“生みの親”であり、K-1アドバイザーでもある石井和義館長(正道会館宗師)が当時を振り返った。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

「その当時の僕は、普段は空手(正道会館)でご飯を食べているから、上がった利益は全部置いといたんだよね。それが3000万円くらい溜まっていたから、優勝賞金を10万ドル(当時のレートで約1000万円)にして、各選手に1万ドル(約100万円)あげて、体育館を借りてね。たとえお客さんがゼロでも、正道会館本体の経営には響かないからね。元々はないお金だから。だったらこれ、全部使っちゃおうみたいな。そんなんでやろうとしてたんだよ」

 石井館長が31年前のK-1誕生時を振り返り、感慨深くそう話した。

「その頃、フジテレビの事業部が代々木第二体育館で『LIVE UFO』っていうスポーツフェアみたいなことをやっていて、そこにCHAGE and ASKAのコンサートとかやっていたんだよね。だから『代々木第二体育館が空いてるからやってくれませんか?』って言うから、『こんなことを今、やろうとしているんですよ』って言ったら、『ちょっと待ってください』って言われて、その当時のスポーツ局にいた方が企画書を書いて上に上げてくれて。その時は代々木第一体育館を開けてくれて、それでスタートしたんだよ」

 当時の代々木第二体育館の座席数は4、5000人。第一体育館はその倍以上のキャパシティーがあった。

「だけど、その時に『フジテレビの主催でやらせてほしい』となって、そしたらこっちはリスクないし。その後、フジテレビが宣伝し出したんだけど、いろんな映像を流す前に、先行発売の段階でわずか10分でチケットが売れてしまって。チケットがないわけよ。ないのにCMスポット枠を取っているからガンガン流しているんだけど、チケットがないわけだから。だから、ないからますます付加価値がついていくことになって、そこでK-1のチケットは早くなくなるっていう潜在意識がみんなの心に生まれていったんだよね」

 前述したように各選手のファイトマネーは100万円に設定したが、これには石井館長なりの根拠があった。

「その頃、ピーター・アーツたちがオランダで試合をやっていた時のファイトマネーは3000ドル(当時のレートで約30万円)くらいだったから、その3倍を出せば大会に出るんじゃないかっていう考えがあったわけよ」

20日には“誕生の地”である代々木第一体育館にてK-1MAXが開催される
20日には“誕生の地”である代々木第一体育館にてK-1MAXが開催される

試合時間を3分3Rにしたワケ

 しかしここで問題が生じた。

「ただ、彼らは『俺は世界チャンピオンなのに、なぜ1日に3試合やらなければいけないんだ』って。そこが一番のネックだったんだよ。だってその頃はワンマッチで試合は終わりだから」

 のちに多少の変更はあったものの、K-1は基本的にはワンデートーナメント制を用いていた。そのため、選手は優勝するために1日に3試合を闘うことになる。

「でもね、言っておきたいのは、元々キックボクシングは3分5R(ラウンド)だった。ムエタイもそうでしょ。ボクシングの世界戦は3分12Rだから、K-1が1試合に3Rを闘って、延長を入れたとしても計4R。これを3試合やったとしても12R以内に収まるよね、という発想があったわけよ。たしかにボクシングと違って、蹴りもあるからハードなのは分かるけど、3試合全部が延長までいくことはないだろうから、ということで、3分3Rというルールができたんですよ」

 3分3R制に設定した理由は他にもある。

「5Rあると、ムエタイでもそうなんだけど、1R目は相手の様子を見て、なかなか動かないんですよ。リーチを測ったりして。だから動くのは2、3、4R目で、5R目は有利に進めているほうは判定狙いで流すわけよ。だから見ていて面白くない。でも3Rであれば、3Rしかないから1Rからガンガン行くから、見ていて面白いわけよ」

 しかもK-1ルールではヒジでの攻撃を禁止にした。

「ヒジ攻撃があると、相手の顔面をカットして、血が出るから試合が止まってしまう。あとはテレビ中継を考えると、とくにヨーロッパは血が出ている試合は放送できない。つかみにしても3Rしかないのに、相手をつかんでいる場合じゃないし、打つ・蹴るだけの、単純明快かつ最大公約数のルールで世界中にテレビ放送ができるもの。そういうルールができるわけ。だから3分3Rになっているけど、例えばタイトル戦とかは3分5Rでも7Rでもいいと思うよ」

 そう言って石井館長は当時を振り返ったが、K-1を伝説に導いたのは、最終的な結末が衝撃的だったこともその理由のひとつに挙げられる。大穴的存在だったブランコ・シカティックがまさかの優勝を果たしたからだ。

「僕も思わなかったよ。だから、あれもまた面白かったんだよね。デカいヘビー級の殴り合いでビックリしちゃったっていうね」

 あの衝撃の誕生から31年、リバースしたK-1が装いも新たに“原点回帰”し、誕生の地に舞い戻る。

「ワクワクするね。今度はどんな人間ドラマが見られるのか」

 そう言って“生みの親”石井館長はニコリと笑顔を見せた。31年目のK-1は、生誕の地からさらなる伝説が幕を開ける。

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