『トゥナイト2』は「不適切どころじゃない」 名物リポーターだった岡元あつこが明かす「何でもありの現場」
話題のTBS系金曜ドラマ『不適切にもほがある!』(金曜午後10時)で、昭和から令和にタイムスリップした主人公の小川市郎(阿部サダヲ)が「昭和に帰ってトゥナイト見た~い」と叫ぶシーンがある。『トゥナイト』とは、風俗からサブカルまでトレンドを扱うテレビ朝日系の深夜番組。80年代は日本テレビ系『11PM』と人気を二分していた。その第2シーズン『トゥナイト2』の名物リポーターだった俳優の岡元あつこも、今は毎週『ふてほど』にくぎ付けだという。当時を懐かしみながら、岡元は「不適切どころか、実際はあんなもんじゃなかった」と明かした。
共演者、スタッフとは今でも会合「昭和に帰ってトゥナイト見た~い」に爆笑
話題のTBS系金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』(金曜午後10時)で、昭和から令和にタイムスリップした主人公の小川市郎(阿部サダヲ)が「昭和に帰ってトゥナイト見た~い」と叫ぶシーンがある。『トゥナイト』とは、風俗からサブカルまでトレンドを扱うテレビ朝日系の深夜番組。80年代は日本テレビ系『11PM』と人気を二分していた。その第2シーズン『トゥナイト2』の名物リポーターだった俳優の岡元あつこも、今は毎週『ふてほど』にくぎ付けだという。当時を懐かしみながら、岡元は「不適切どころか、実際はあんなもんじゃなかった」と明かした。(取材・文=福嶋剛)
『トゥナイト』は1980年10月6日~94年3月31日の放送。続いて『トゥナイト2』が94年4月4日から始まり、2002年3月28日まで放送された。現参議院議員の青木愛氏、ギリギリガールズの原田里香らも女性リポーターで名を連ねる中、岡元は96年から99年までの3年間を担当した。
「『トゥナイト2』の共演者やスタッフとは今でも仲が良くて、時々みんなでご飯を食べに行きます。つい先日も当時のディレクターやリポーター仲間とご飯を食べていたら、お店のテレビから『不適切にもほどがある!』の番組予告が流れてきて、阿部サダヲさんの『昭和に帰ってトゥナイト見た~い』というセリフを聞いて、みんなで爆笑しました」
岡元が『トゥナイト』と出合ったのは、独協大法学部に入ったばかりの頃だった。
「ミュージカル好きだった母の影響で幼い頃から生の舞台を見てきたので、将来は『脚本家になりたい』という夢を持っていました。それで高校生で劇団の養成所に入り、少しずつですが、ちょい役で立てるようになった頃、たまたま私のプロフィールがテレビ朝日に送られていたようで、突然、年末に呼び出されました」
当時はまだ事務所にも所属していなかった岡元は、同行してくれた知人とともに恐る恐る『トゥナイト2』のスタッフルームに入った。
「ディレクターさんから『大学生なの?』と質問されて『はい』と答えたら、唐突に『明日からロケ行ける?』って聞かれました。ロケの内容も分からないまま『はい』って返事をしたら、そこから次々とロケの仕事が入り、目が回るくらいの毎日が始まりました。芝居の仕事もあったのでテレビを見る暇なんか全然なかったのですが、街を歩くと周りの人たちの目線を感じるようになりました。それで『私はテレビに出ているんだ』って気づきました(笑)」
世間では「女子大生リポーター」と呼ばれていたが、岡元は「実際はそうじゃなかった」と言った。
「トゥナイトの現場では私たちはスタッフと同じ扱いだったので、タレント意識はゼロでした。『今日は全部台本なしでいくからお前がこのロケを仕切れ』とか『渋谷のセンター街を歩き回って何かネタを探してこい!』なんていう指示は当たり前。風俗店に突撃したり、墓石を調査したり、それほど英語が話せないのに通訳なしで海外ロケに行かされたり、あらゆるリポートをやりました。私の中では『絶対面白い』と感じた取材でも、視聴率10%を超えないと褒められない時代で、ちょうどその頃、TBSで『ワンダフル』という深夜番組が始まりました。レースクイーンやキャンギャルの子たちがいっぱい出ている華やかな映像を見て、私たちやスタッフも『いいな』って言いながら牛丼弁当を食べていました(笑)」
岡元が出演していた期間は、『不適切にもほどがある!』の時代設定(86年)から約10年の開きがあり、既に風俗に対する規制も厳しくなっていた。
「確かに『トゥナイト』と『トゥナイト2』では扱うネタも変わってきましたけど、セクシー系は変わらずに多かったですね。今の時代では考えられない『不適切』ばかりで、今ならコンプライアンスに引っかかりまくる内容です。番組恒例の年末スペシャルで札幌・すすき野の風俗店を取材してカメラを止めたら、いきなり店長さんが『よかったら来週から内緒で働きませんか』ってスカウトされました(笑)」
岡元は「スーパースター」と呼ばれていた人気風俗嬢たちにも取材している。
「リンリンちゃんという風俗店で人気だった子がいて、下半身に鈴のピアスを着けていて動くとその鈴が鳴るんです。次の年に別のキャバクラでロケをしていたら、後ろで鈴が鳴る音が聞こえたのですぐにリンリンちゃんだと分かりました(笑)。それで『久しぶり!』みたいな感じで再会しました。他にも都内の風俗店の床に置いてあるマットの上に座ってロケをした時のことです。「さっきこのマットの上にお客さんがいたのよね」と思ってそれが表情に出てしまったようです。そしたら、ディレクターがものすごい剣幕で『俺たちはあそこに夢を買いに行ってんだよ! そんな神聖な場所で嫌な顔すんじゃねえ!』と。熱かったですね」
共演リポーターにも魔の手が…
一緒に出演していたリポーターにも“魔の手”が伸びていた。
「水着がNGだったリポーターを水着にさせようと競い合っていたディレクターもいたし、女性アナウンサーが水着を買いに行くロケをやらせて、『その場で水着に着替えてもらう』とか、もう何でもありでした」
そして、前身の『トゥナイト』開始から番組に出演していた映画監督の山本晋也氏から学ぶことも多かったという。
「私たちリポーターは山本監督とロケで組んだことは1度もないんですが、監督のコーナーは毎回面白かったです。ある時、ホテルに入るカップルに『好きなものを撮っていいから』とビデオカメラを持たせて、撮影してもらった映像を放送する回があって、そこにはいやらしさを超えた男女の優しさや人間の本質が映っていて、すごく泣けてきました。今だったら絶対に流せませんが、今のテレビでは表現できないリアリティーがありました。また、SNSがない時代だったからこそ、街の声というのは時代や文化をそのまま映していたのかなって思います」
『トゥナイト2』は大学生の岡元にとって部活でもあり、人生において「最も大切な経験だった」と話す。
「『自分だけがうまくいけばいい』という考えの人は1人もいなくて『みんなで頑張ろう』という空気感だったので、みんなの成功をみんなで喜べるチームでした。今の時代、コミュニケーションも難しくなり、何をするにも『面倒なことには関わらない』みたいな風潮がありますよね。だけど、あの頃はあえて『面倒なものを取り上げることで好奇心を満たしてくれていた』と思いますし、そんなおせっかいな番組だったのかなって。それが全部『不適切』と言われてしまい、余計なおせっかいができなくなっちゃいましたね」
岡元は同番組のリポーターを終えると、再びは俳優業に軸足を置いた。
「ありがたいことにラジオのレギュラーもあり、周りの人には『これからも一緒にやろう』と声を掛けていただきましたが、その分、舞台に立てなかった3年間でもあったので、『もう1回ちゃんと役者をやろう』と決心し、他のお仕事をいったんセーブしました」
現代劇から時代劇までさまざまな役を演じ、今月6日~10日は舞台『実は素晴らしい家族ということを知ってほしい』(東京・シアター711)に出演する。
「役者の仕事は終わりがなくて、演じるたびに足りないところしか見つからないから達成感なんて1回も味わったことがないんです。だからこそ、芝居は面白いのかなって思っています。夢だった脚本家にはなれなかったけれど、その分、芝居を通じて楽しく生きていけたらと思っています」
昨年8月には、兄弟デュオ・狩人の加藤高道と再婚した。「穏やかな生活ができていて、とても楽しいです」。そして、話は『トゥナイト2』スタッフとの飲み会に戻った。
「この前、『トゥナイト2』の総合司会をされていた石川次郎さんの息子さんのお店でみんなと会いました。次郎さんは80歳を過ぎましたけど、今でもお元気ですよ。リポーターのみんなもいろんなことをやっているけれど、会うと一瞬であの頃に戻ります。当時のディレクターは、やりたいことをやり尽くして旅立ってしまった人もいますし、偉くなって『不適切は良くないよ』とまともなふりをしている人もいます(笑)。何より元気にまたみんなと会えることが一番です」
□岡元あつこ 1973年10月6日、東京都出身。96年にミス・マーメイドクイーン、テレビ朝日系『トゥナイト2』の女子大生リポーターとして活動を開始。99年に番組を卒業した後、俳優として舞台、映画に出演。グラビアタレントとして写真集を多数出版。2023年8月、兄弟デュオ・狩人の加藤高道と再婚。