大空襲で家族6人失くし戦争孤児に 90歳・海老名香葉子さんの訴え「戦争に勝者も敗者もいない」

エッセイストで落語家・初代林家三平さん(享年53)の妻・海老名香葉子さん(90)による慰霊祭「時忘れじの集い」が、今月9日に東京・上野公園で4年ぶりに開催される。戦争孤児で東京・下町をさまよい歩いた香葉子さんが、道端の草を鍋で煮て食べ生き抜いた当時のこと、次世代への希望、コロナ禍を経て開催の「時忘れじの集い」への思いを語った。

海老名香葉子さんによる慰霊祭「時忘れじの集い」が開催される【写真:ENCOUNT編集部】
海老名香葉子さんによる慰霊祭「時忘れじの集い」が開催される【写真:ENCOUNT編集部】

慰霊祭「時忘れじの集い」4年ぶりに開催

 エッセイストで落語家・初代林家三平さん(享年53)の妻・海老名香葉子さん(90)による慰霊祭「時忘れじの集い」が、今月9日に東京・上野公園で4年ぶりに開催される。戦争孤児で東京・下町をさまよい歩いた香葉子さんが、道端の草を鍋で煮て食べ生き抜いた当時のこと、次世代への希望、コロナ禍を経て開催の「時忘れじの集い」への思いを語った。(取材・文=渡邉寧久)

 慰霊祭の前日、今月8日に受賞式が行われる第47回日本アカデミー賞で、優秀作品賞など12部門で優秀賞を受賞している映画『ゴジラ-1.0(ゴジラマイナスゼロ)』では、すべてが焼けつくされた戦後の日本を描いている。当時、11歳だった香葉子さんは、その世界で生き抜こうとしていた。ボロボロになった靴を手ぬぐいで縛って補強し、学校に行くふりをして東京・中野から下町へ足を向ける日々。香葉子さんは涙声で振り返った。

「(身内の)遺体を探して歩いたの。校庭には大きな山がいくつもあって、その近くには死亡者名簿がありました。どこを見ても目当ての名前はない。ないはずなんです。遺体が確認できた人だけが死亡者名簿に記載されていて、黒焦げになって亡くなった人、川に落ちて亡くなった方は行方不明のままでしたから」

 お腹はペコペコ。つるむらさきやはこべなど草を拾っては鍋で煮て食べ、空腹をしのいだ。

「はこべがおいしかったです。『どんなことをしても生きていけるんだな』と思いました」

 1945年3月10日、下町を焼けつくした東京大空襲。同世代の作家で当時目黒に住んでいた向田邦子さんがエッセー『ごはん』で、「おもてへ出たら、もう下町の空が真っ赤になっていた」「真っ赤な空に黒いB29。その頃はまだ怪獣ということばはなかったが、繰り返し執拗(しつよう)に襲う飛行機は、巨大な鳥に見えた」と表現した。2時間余りで10万人超の民間人が犠牲になった。

 炎の中で、香葉子さんの父、母、祖母、長兄、次兄、弟の家族6人が逃げ惑った。遺体は今も、見つかっていない。

「100万人」ともいわれた戦争孤児として、たった1人の兄とともに香葉子さんは戦後のニッポンに投げ出された。

「戦争は怖いですね。人を変えてしまいます。優しかったおばが何かにつけ怒る。いらだっているんです。みんな、焼け出された後ですから」

 戦争が人の心さえも変えてしまう残酷さにも直面した。それでも生きた。落語家の三代目三遊亭金馬師匠に引き取られ育ち、52年に初代林家三平さんと結婚した。

「終戦の翌年から毎年3月10日は、下町を歩いて慰霊していました。結婚後は、夫が付き合ってくれました。少々の病気でも足が向くんです。夫は私より泣き虫で、私より大声で泣いて歩くんです。仕事優先でしたけど、3月9日か10日、11日の1日は一緒に歩いてくれました」

海老名香葉子さんは東京大空襲を経験した【写真:ENCOUNT編集部】
海老名香葉子さんは東京大空襲を経験した【写真:ENCOUNT編集部】

 今も息子の落語家・林家正蔵や二代目林家三平、三平の妻で俳優の国分佐智子ら家族や弟子と一緒に慰霊の行進を続けている。

 毎年、下町を歩く中で一切の補償も謝罪もなく、国に見放された戦災孤児が集える場所の必要性を痛感した香葉子さんは、行政にも掛け合い、寛永寺の支えも受け、2005年に慰霊碑「時忘れじの塔」を建立。東京都の平和の日の式典が執り行われる3月10日の前日9日、誰でも自由に参加できる「時忘れじの集い」の開催にこぎつけた。今年で20周年を迎える。

「最初は家族やお弟子だけで50人くらいの集いでしたけど、最大の時は1800人近い方が集まってくれました。『1年に1度だけど、上野に来るのが楽しみ』と言ってくださる戦争孤児の方もいます。今年は4年ぶりの開催になりますが、私前後、90歳前後の人が亡くなったという連絡を身内の方から毎日のように届くんです。どんどん寂しくなるけど、続けていきたいと思います。ちゃんと続けることに意義がある。そのためにはちゃんとしたことを伝えていく人、場所がなかったらいけないと思います」

「時忘れじの塔」という場所はある。当日は黙とうのほか、近くの幼稚園の園児による歌も披露される予定だ。コロナ以前の開催時も、子どもたちが集ってくれた。その際の様子を思い出し、香葉子さんは目を細める。

「小さい子どもたちに受け継がれています。小学校でも教えてくれていますから。子どもたちが『戦争はなきよう』と歌ってくれるんですよ」

 香葉子さんはそんな“希望の種”をまき続けた。そして、戦後は来年で80年になるが、ウクライナやガザ…世界中で争いが絶えない浅はかさに、人類が気づくことを香葉子さんはただただ願っている。

「戦争のこと、戦争孤児のことを聞いたり読んだりした方が、また次の世代に伝えていってほしいです。戦争には勝者も敗者もいないんです」

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