昭和~平成の女子プロレスに“パワハラ”はあったのか “元祖アイドルレスラー”の回想「入団当初は5kg痩せた」

最近、大相撲の世界での暴力行為が問題視されたが、「闘い」をなりわいにするジャンルにおいては、時折それに類する話が話題に上がる。“元祖アイドルレスラー”として活躍していた元女子プロレスラーのキューティー鈴木もかつてはその世界にいた。ではキューティーにその経験はあったのか。今回は、令和の時代には考えられない“パワハラ”について話を聞いた。

キューティー鈴木
キューティー鈴木

入団当初は気疲れで5キロ近く痩せた

 最近、大相撲の世界での暴力行為が問題視されたが、「闘い」をなりわいにするジャンルにおいては、時折それに類する話が話題に上がる。“元祖アイドルレスラー”として活躍していた元女子プロレスラーのキューティー鈴木もかつてはその世界にいた。ではキューティーにその経験はあったのか。今回は、令和の時代には考えられない“パワハラ”について話を聞いた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

 令和の今では考えにくいが、キューティーが入門した頃(昭和末期)の女子プロレス界には先輩と後輩の間に純然たる上下関係が存在し、時には、今で言うところのパワハラが横行していたことが知られている。とくに全日本女子プロレス(全女)のそれは、時に度を超えていると思えるものもあった。

「ウチ(ジャパン女子プロレス)は新しい団体だったので、ジャッキー佐藤さん、ナンシー久美さん、神取しのぶ(現・神取忍)さん、風間ルミさんしか先輩がいなかったけど、パワハラ的なことはなかったですね。直接話しかける感じでもなかったので。でも、神取さんと風間さんがよく練習を教えてくれていたんですけど、その時はイメージ的に怖い雰囲気があって、実際に何をされたってことはなかったけど、気安く話しかけられる感じではなかったですね」

 とはいえ、10人以上の女性がひとつ屋根の下にいれば、当然、さまざまなイザコザはあるだろう。

「誰が嫌いとかはないけど、私は1期生だったので人も多くて20人くらいいたんです。しかも日本全国、いろんなところから集まってくる。年齢も1年、2年違うじゃないですか。大人の1歳、2歳はそうでもないけど、その頃はすごく大きかったから、たとえ同期でも気は使いました。関西弁にも慣れてなかったし、怖いなって思っていたし」

 食事も自分たちで作っていたが、当時のキューティーには関西の薄味がよく分からなかった。

「黙って食べればいいんですけど、そういうちっちゃなことから気を使って……。ただ、私たちは1期生だったからそこまでの上下関係はなかったと思います。2期生、3期生の話を聞いたら少し違うかもしれないですけど、怒られることはなかったし、理不尽だなーってことは、あんまりなかったかな」

 それでも寮生活は、それなりに大変なことも多かった。

「入団当初は気疲れで5キロ近く痩せたのかな。その頃は相部屋の人と仲良くなることが多くて。私は落ちこぼれだったので、同じ落ちこぼれの人たちとは自然と仲良くなるんです。とくにイーグル沢井とは仲が良かった。イーグルも落ちこぼれだったから。その時は、デビューの日が決まっているから、できる子はどんどん先に行くんですけど、できない子はどんどん置いていかれるんです。結局、私はデビューする予定だった日にデビューできなかったんですけどね」

現在のキューティー鈴木は2人の男の子を育てる母として多忙な生活を送っている。写真は小学6年生の次男と【写真:本人提供】
現在のキューティー鈴木は2人の男の子を育てる母として多忙な生活を送っている。写真は小学6年生の次男と【写真:本人提供】

ジャッキー佐藤からの突き刺さった言葉

「だから“パワハラ”はなかったけど、同期でも最初の頃は“格差”はありましたよ。先輩にかわいがられていた子はいたし。食事当番で私たちが作っていた時に、同期が食べたいものがあっても同期だから無視してたりすると、ジャッキーさんが『作ってあげな』って。だからしかたなく作ってあげたりして。でも、この世界にいたければしかたがない時期だったと思うけど、今では考えられないことがプロレス界にはいっぱいあったと思いますね」

 ちなみにその当時、ジャッキーから言われて、突き刺さった言葉があった。

「やっぱりデビュー前は目的があるからハリがあったんですけど、デビューしてからのほうが悩みは大きいですよね。そんな時にジャッキーさんから、『お客さんを考えて試合してる?』って言われたことがあって。私、それまではリングに立ってもスパーリングの延長で、全然意識してなかったと思うんです。だから、そうなっていくとだんだん難しくなってきちゃう。だけどジャッキーさんってプロ根性がすごいので、胸に突き刺さるというか。普段から全然、怖くはないんですけど、そのひと言が突き刺さって。引退するまで、そういう意識を持って、ジャッキーさんの言葉をかみ締めながら試合をしていましたね」

 だが、なかにはその理不尽さに耐えかねて脱走してしまう選手や新弟子もいた。

「私は脱走はしなかったですね。というかその当時も脱走をした人はいたけど、脱走する人は会社から期待されている人だから、しても残れるんですよ。もし私が脱走をしていたら、ホントにすぐ首を切られちゃうので、そんなことができる立場じゃなかったですね」

 最近、イチローが高校球児に対し、「厳しくしたくても時代的にそれができない」と訴える言動が話題になった。要は厳しく指導される機会が激減したため、いかに個々が己を律することができるかが問われてくる。つまり格差が広がりやすくなったという話だ。

 これに関して2人の子を持つキューティーは、「それはあると思います。子どもたちも厳しくされないことを知っているんです。だけど私たちからすると、この子たち、世の中に出ていけるんだろうかと思うこともありますよね」と話す。

 それでも、自身を振り返ると、「もし私が全女にいたら、きっと辞めていたと思います。そういうパワハラに耐えられたかどうか。聞くと理由なんて、あるようでないような話じゃないですか。でも、そこで耐えて残った人はすごいですよ。その精神力は半端じゃないと思います」と、程度にもよることを前提に、ある程度の理不尽な厳しさは長い目で見ると必要な場面はあると説く。

 そしてキューティーは「全女以外の団体ができるとは思っていなかったし、全女以外でプロレスラーになれるとは思っていなかったので、私は運が良かったなあとは思いますね」と結んだ。

 人生は山あり谷あり。だから、たとえどんな苦難が襲って来ようとも、「私は運がいい」と思ってしまったほうが、おそらくその後の人生は明るいほうに開けていく。実際、キューティーの“今”がそれを正解だと物語っている。

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