山崎怜奈、全力で手にした学費免除&慶大合格 抜てきFM帯番組も3年5か月「大きな牡丹餅です」

きっかけはFMから聴こえる心地よい声だった。このアシスタントは誰だろう? 車を運転しながら、声の主が乃木坂46のメンバーだと把握した。山崎怜奈。彼女はその後、TOKYO FMで『山崎怜奈の誰かに話したかったこと。』(以下ダレハナ、月~木曜午後1時)を担当するようになった。約9年半のグループ時代、仕事と学業を両立し、歴史好き、ラジオパーソナリティーとして唯一無二の存在になった。卒業後も「知る力」を生かして活動の幅を広げている。独自の道を歩む26歳に、これまでと「今」を聞いた。

インタビューに応じた山崎怜奈【写真:山口比佐夫】
インタビューに応じた山崎怜奈【写真:山口比佐夫】

元乃木坂46、独自の道を歩んで“唯一無二”の存在に

 きっかけはFMから聴こえる心地よい声だった。このアシスタントは誰だろう? 車を運転しながら、声の主が乃木坂46のメンバーだと把握した。山崎怜奈。彼女はその後、TOKYO FMで『山崎怜奈の誰かに話したかったこと。』(以下ダレハナ、月~木曜午後1時)を担当するようになった。約9年半のグループ時代、仕事と学業を両立し、歴史好き、ラジオパーソナリティーとして唯一無二の存在になった。卒業後も「知る力」を生かして活動の幅を広げている。独自の道を歩む26歳に、これまでと「今」を聞いた。(取材・文=柳田通斉)

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 山崎は朝に『ダレハナ』の準備をする。前夜のうちに届いた進行台本、トークゲストの資料に目を通す。聞きたいこと、オープニングトークで話すことをまとめていく。

「オープニングで話す内容を考えながら寝て、起きてゲストの方が持たれているYouTubeチャンネルやSNSも見たりします。出演者によっては、小説や映画がテーマになるので、作品を1週間前にはいただいて合間に読んだり、見て進めていきます。世の中で起きていることは、新聞のアプリなどでチェックしていきます」

 月~木曜の生での帯番組。開始は3年5か月前の2020年10月1日だった。当時は乃木坂46のメンバーで、慶応大を卒業して6か月。テレビ、ラジオを通じて、生の帯番組メインを託された現役アイドルは後にも先にもいない。文字通りの大抜てきだった。

「最初に『山崎の(冠)番組が始まるっていう話が来ているんだけど、どう』と聞かれ、『やりたいです』と即答しました。『月~木曜、昼2時間』『生の帯番組』と知ったのは8月末、資料に目を通した時でした。『えっ、23歳の私に?』という驚きはありましたけど、『また毎日、同じ場所に通う生活が始まる。楽しみ』という思いでした」

 乃木坂46のスケジュールに加えての帯番組。だが、山崎は「高校、大学時代の方が学業と仕事の両立でもっと大変でした」と言った。

 共働きの両親のもとで育ち、幼少期から1人の時間を多く過ごしてきた。ゲーム、読書好き。母親から「勉強をしなさい」と言われるのが嫌で、100点のテスト用紙を並べては「やっています」と返し、(携帯ゲーム機の)DSを続けていた。ただ、中学受験は自分から言い出した。

「小学校になじめていなくて、このまま地元の中学に上がるのは嫌で、小6の夏になって両親に『受験をさせてください』と伝えました」

 中学受験を小6夏から準備する例は珍しいが、山崎は私立の中・高の一貫校に合格。だが、学費は高額で、両親からは「大学は国公立か早慶にしか行かせられない」と告げられた。そして、猛勉強することを決意した。

「入試結果で上位何人かは1年間学費免除だと知りました。1学期中間テストの順位では、その人たちの次に私の名前があり、『わがままで、高い授業料を払わせるのは申し訳ない。頑張れば私も免除になれる』と思いました。そこからは勉強漬けで、中2から高1までの3年間は免除になりました」

約9年半の乃木坂46時代を振り返った山崎怜奈【写真:山口比佐夫】
約9年半の乃木坂46時代を振り返った山崎怜奈【写真:山口比佐夫】

母が内緒で応募した乃木坂46の2期生オーディションで英語演説

 中学3年間の総合成績は学年1位。「成績最優秀賞」で、その名前は今も講堂に刻まれている。一方で、母親は勉強ばかりをしている娘を心配。「社会性もつけるべき」と思い、内緒で乃木坂46の2期生オーディションに応募していた。中3のある日、自宅に届いた「2次審査進出」の通知から、山崎の歩みは大きく変わった。

「当時、『アイドルになりたい』という思いはありませんでした。ただ、負けず嫌いなので、何もしないで手にした切符を捨てるのは嫌でした。『これも社会勉強、そういう(オーディションの)光景を見るいい機会』と思って決断しました」

 審査で山崎は、チャップリンが映画『独裁者』で披露した演説を再現した。テイラー・スウィフトの楽曲『マイン』も歌っている。全て英語だ。

「土曜日、学校帰りに制服のまま会場行きました。審査が始まり、『特技を』と言われ、中学の英語暗唱大会に向けて準備していたチャップリンの演説をして、歌唱審査では大好きなテイラーの曲を歌いました。当時、それしか覚えていなかったので」

 この流れで3次、4次、最終審査も突破。高1からは学業に加え、仕事をすることになった。

「中3の時点で、高校のクラスを国公立大進学コースに登録していました。それを変更できず、授業、レッスン、仕事の生活になり、徹夜状態のまま電車に乗って漢検の勉強をした日もありました。とにかく『やるしかない』と思い、必死でした」

 高3の6月からは活動を一時休止。「大学に行かなくてもいいのでは。これ以上、大変な道を進まなくても」と話す教師もいたが、山崎は内から湧き上がる「学びたい」を止められなかった。そして、慶大の環境情報学部に合格。活動を再開し、神奈川・湘南藤沢キャンパスに通う日々も始まった。

「入学後も変わらずハードで、授業、課題提出、発表の資料作り、ライブのリハーサル、楽曲の振り入れ、土日の握手会……と同時にいくつものプロジェクトが進んでいる状態でした。それらを整理するため、スマホのアプリを使って『〇時~〇時は〇〇』と細かくスケジュール管理をしていました」

 分刻みの日常は、“孤独な闘い”でもあった。

「20歳前後は普通にしていてもフィジカル、メンタルの両面でバタバタするのに私は仕事、学業でグチャグチャ。当時、同じような境遇のメンバーはいなくて、『誰かに理解を求めるのも違う』と思っていました。スケジュール調整はスタッフの方と話し合いつつ、メンタル面は自分でどうにかするしかありませんでした」

「『仕事が楽しい』と言えることは本当に恵まれている」と語った【写真:山口比佐夫】
「『仕事が楽しい』と言えることは本当に恵まれている」と語った【写真:山口比佐夫】

『ダレハナ』のない日も準備の連続「負担に思ったことはなく」

 同期、後輩が輝く姿も見てきた。そんな中、山崎は仕事面でも「知の力」で活路を見いだした。

「私は楽しく仕事をすることと、ファンの方に喜んでもらうことが両立できたらと思い、ブログと755に『〇〇が好き』と書いていました。好きなラジオ番組の実況をしたり、城に行ったときの写真を載せたり、そういう細かいことは積み重ねていました」

 こうして山崎のラジオ好き、歴史好きが徐々に広まった。bayfm『金つぶ』(金曜午後7時)でアシスタントの代役を務めるようになり、18年3月31日から正式にアシスタントMCに。同時期、新聞に歴史研究家との対談記事が掲載され、19年5月からはひかりTVチャンネル+で冠番組『乃木坂46山崎怜奈 歴史のじかん』がスタートした。地上波の歴史番組でも圧倒的な知識量を披露したことで、NHK大河ドラマの特番にも起用された。

 そして、その知名度は乃木坂46ファンの枠を超え、『ダレハナ』での抜てきにつながった。

「『運が良かったな』と思います。乃木坂46に在籍できたこと自体も運が良かったわけですから。ただ、運が良いだけの人は絶対にいなくて、それが巡ってきたとき、棚から落ちてきた牡丹餅をキャッチできる準備はできていたと思います。巡ってくる時期が遅かったこともありますし」

“棚から牡丹餅”。山崎が口にしたことわざに乗じ、「一番大きかった牡丹餅は」と聞くと、山崎は「ダレハナです」と即答した。

「自分の居場所の1つになったので、ずっと楽しくやれています。『辞めたい』と思ったことは1度もありません」

 今や番組関係者から「TOKYO FMだけでなく、ラジオ界の宝」と評される存在だが、謙虚に反省をし、聴取率も気にかけている。

「特にゲストパートとオープニングを聴き直します。『ここで漠然とした表現をしてしまった。具体名を入れたらもっと、面白かったのに』という感じです。レーティングの結果は自分から確認しに行きます。それが全てではないけれど、数字も1つのモチベーションになっています」

『ダレハナ』の放送がない金、土曜日は他のレギュラー番組、ゲスト出演の番組収録に参加し、日曜日はTBS系『サンデー・ジャポン』、フジテレビ系『Mr.サンデー』に生出演することもある。

 それぞれに準備が必要だが、山崎はさまざまな情報を吸収しながら、番組で話すポイントをスマートフォンのメモ機能に記しているという。

「準備を負担に思ったことはありません。調べながら自分の考え方をそしゃくするルートのようなものがあって、情報処理のスピードが少しは上がったかなと思います。学生時代に培ったことも生きていますが、あの頃に比べると自分の時間も確保できています。休日には友人と会ったり、体のメンテナンスをしています」

 今後の展望を聞くと、「目の前のことを一生懸命やるだけしかできないので、目標とかはないです」と返しつつ、「『仕事が楽しい』と言えることは本当に恵まれていると思います」と実感を込めた。学業も全力だったからこそ手にした居場所。山崎は今後もラジオを軸に、“唯一無二”であり続ける。

タクシーアプリ「S.RIDE」のアンバサダーを務めている山崎怜奈
タクシーアプリ「S.RIDE」のアンバサダーを務めている山崎怜奈

タクシー内番組でもMC「自分が映るとスマホで写真を」

 山崎は昨年4月、タクシーアプリ「S.RIDE(エスライド)」の公式アンバサダーに就任した。昨年12月には、山崎の直筆サイン入りの『ダレハナ』ラッピングタクシー「ダレハナS.RIDE」が都内を1台走行する企画も実施された。

「車体にサインを書くときは緊張しましたしました。普通なら器物破損ですし、『えっ、いいんですか』という感覚でした(笑)」

「S.RIDE」と提携するタクシーは都内で3台に1台の割合。車内では、タクシーサイネージメディア「GROWTH」が設置され、山崎がMCを務める移動時間の情報番組『HEADLIGHT』も放送されている。山崎自身は仕事間の移動でタクシーを使っており、「うれしくて、自分がサイネージに映るとよくスマホで写真を撮っています(笑)」と話している。

□山崎怜奈(やまざき・れな)1997年5月21日、東京都・江戸川区生まれ。慶応大環境情報学部卒。2013年に乃木坂46の2期生オーディション(応募総数1万6302人)に合格し、12人のメンバー入り。18年3月31日から20年9月25日までbayfm『金つぶ』のアシスタントを務め、同年10月1日からTOKYO FM『山崎怜奈の誰かに話したかったこと。』を担当。22年7月に乃木坂46を卒業。現在のレギュラー番組は他に、ABC『今村翔吾×山崎怜奈の言って聞かせて』、CBC『ザキオカ×スクランブル』など。『歴史のじかん』(幻冬舎刊)の出版をきっかけに、複数のエッセイ連載を執筆。164センチ。血液型B。

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