マツコは「シュールなネタをやっていた」 実は知らないドラァグクイーンの世界、第1世代は還暦過ぎ

2023年4月から松竹芸能に所属したタレントのサマンサ・アナンサ。インターナショナルプリスクール、国立附属小学校を卒業し、高校と大学では米国に留学。大学卒業後、航空業界の大手・ANAグループにて勤務しながらドラァグクイーン(男性が女装してパフォーマンスをする一種)として活動し、タレントに転身。文字通り、異色のキャリアを持つサマンサに、ドラァグクイーンの世界や自身のセクシャリティーを聞いた。

サマンサ・アナンサという名前の由来を明かした【写真:ENCOUNT編集部】
サマンサ・アナンサという名前の由来を明かした【写真:ENCOUNT編集部】

苦手意識があったショータイム「私は、『マイノリティの中でもマイノリティ』」

 2023年4月から松竹芸能に所属したタレントのサマンサ・アナンサ。インターナショナルプリスクール、国立附属小学校を卒業し、高校と大学では米国に留学。大学卒業後、航空業界の大手・ANAグループにて勤務しながらドラァグクイーン(男性が女装してパフォーマンスをする一種)として活動し、タレントに転身。文字通り、異色のキャリアを持つサマンサに、ドラァグクイーンの世界や自身のセクシャリティーを聞いた。(取材・構成=コティマム)

 サマンサはANAグループ在籍中に、ゲイコミニティーのつながりからドラァグクイーン界トップスターのナジャ・グランディーバに出会う。そこからイベントなどにMCとして呼ばれるようになり、自身もドラァグクイーンになった。

――サマンサ・アナンサという名前はどうやって決めたのですか。

「ナジャさんから、『イベントに出る時に、名前がなかったらあかんよ』と言われて。その時に、『The Unco(ジ・ウンコ)』って名前を提案されたの(笑)。『ザ、じゃなくてジっていうのがよくない? ウンコのコはkoじゃなくてcoよ、オシャレやろ』って」

――「ウンコ」になりそうだったのですか(笑)

「『絶対イヤや!』って。すぐに『サマンサ』を思いついて報告したら、『ええんちゃうん。日本に誰もおれへんし。でも、名字どうすんのよ』と。今でこそ、一文字で『ダダちゃん』や『ビビちゃん』っていう名前の子も増えてきました。でも、ナジャさんたちはドラァグクイーンの第2世代で、私は第3世代なんです。第2世代までは『名前と名字がワンセット』が当たり前。『サマンサじゃ薄いよ。インパクトがないわ』って」

――名字を決める必要があったと。

「当時、アメリカのアニメ映画『アナスタシア』(1997年公開)を見ていて、主人公のお姫様の名前がアナスタシアでした。『アナスタシアって素敵! “サマンサ・アナスタシア”っていいわね』と。でも、私に“お姫様”という感じはおこがましい。ドラァグクイーンはキラキラしたglitterな感じじゃなくて、ちょっとcant(見せかけだけの飾り気)な部分があった方がいいから。サマンサが“サ”で終わるから、『アナンサ』で“サ”で終わればいいかなと。英語表記にすれば、前職だったANAの3文字も入るので(※)、『アナウンスネタをする時にも面白いかも……』と思って決めました」(※)英語表記はSamantha*ANANSA

――ドラァグクイーンの世代について教えてください。

「第1世代、第2世代の先輩たちと、その下に第3世代の私たち、今はもうZ世代くらいまであります。第1世代は、関西ではシモーヌ深雪さんという方が一番古くて、還暦も過ぎてらっしゃる。東京では60代のマーガレットさん。第2世代がナジャさん、マツコ・デラックスさん、ミッツ・マングローブさん。第3世代は私含めて10名前後くらいなのかな。どんどん若い人も増えています」

――マツコさんはMCのイメージがあります。

「第2世代の時はバリバリのドラァグクイーンでしたよ。マツコさんやミッツさんはメイクも濃い感じではなくて、ショーの内容もダンサブルというより、シュールなネタをされていました」

――ドラァグクイーン界のルールはあるのでしょうか。

「ドラアグクイーンの条件は定かではないですが、自分の時代は、『ショーでリップシンクができること』『メイクが自分でできること』『ヒールをはいてウォーキングできること』でした」

――ショーをするために必要な要素ですね。

「私は当時、MCでこの世界に入り込んだので、『ショータイムを考えなあかんよ』って言われました。リップシンクで歌ったり踊ったり。ダンスやバラード、ポップといろいろやりましたが、私はショータイムにすごく苦手意識があった。『見せ場ってなんなん?』『早替え(衣装の早着替え)ってなんなん?』って。でも、当時はショーもやらないとMCだけでは需要がない時代。ドラァグクイーンとしてデビューはできても、『ショータイムできてなんぼの時代』だったから。20センチのヒールで、きれいにウォーキングできないといけない。イベント中しんどくて休んでいたら、『ヤル気ないなら帰り』って言われたこともあります。当時は自分たちが一番下の世代だったから、日常も含めて先輩たちから教わりました。楽屋の使い方、あいさつの仕方、イベント後のお足代を受け取る時の領収書の書き方ひとつ、全部先輩から学びました」

――ショーのネタも自分たちで考えるのですか。

「そうです。西と東でもテイストが違って、西はお笑い文化もあるのでコミカルなネタを入れる。東京はどちらかというと、アーティストさんの完コピみたいな、“リビュー”というものが多い。お笑いでも“吹替ネタ”が多かったね。黒柳徹子さんの『徹子の部屋』の面白いフレーズだけをつないでショーにしたり。『何でも極力、自分たちでする』というのはベースにあるかな。当時はメイクするにもYouTubeもないから、先輩から教わるしかない。メモ書きして、画素数の悪い写真を見ながら覚えました。情報も化粧品の種類もそんなになかった。『先輩がいなければ存在しない伝統』を受け継いでいました」

――苦手なショーを考えるのは大変そうです。

「そうですね。苦手意識がある時点であまり楽しくない。どうしてもMCの仕事に絞ってしまい、“自分だけを集中して見られるショータイム”はしんどい時期がありました。本当はもっとトークショーやラジオで活動したい気持ちがあったけど、時代的にそういうことがやれる土壌がまだなかった。だから、私は、『マイノリティの中でもマイノリティ』でしたよね」

――MCとしてのサマンサさんを認めてくれる方はいましたか。

「実は、第1世代のマーガレットさんは、MCがバリバリできる方。レインボー系のイベント(LGBTQの社会運動)の時も必ずMCをされている。シモーヌさんがマーガレットさんに、『サマンサは声が通るから、すごくMCに向いてるよ』と言ってくださったみたい。マーガレットさんが、『イベントで私がMCで出る時は、サポートで入ってね。外国人のお客さんがいらっしゃったら英語でもアナウンスしてあげて』と認めてくださいました」

ANAグループにて勤務しながらドラァグクイーンとして活動していた【写真:ENCOUNT編集部】
ANAグループにて勤務しながらドラァグクイーンとして活動していた【写真:ENCOUNT編集部】

クイーン界も『共存・共鳴』に変化「多様性の中でさえも認め合う」

――ドラァグクイーン界の変化は感じますか。

「若い時は、『誰が目立つか、誰が先にやるか、負けてられへん』というマウントが先行してか、良くも悪くも次の世代を妙に意識していました。そこから10年、20年経って、ル・ポールの『ドラァグ・レース』の文化も入ってきて、若い子には“ル・ポール感”も出てきました」

――アメリカ人のル・ポールは、身長193センチの伝説的ドラァグクイーンですね。モデルや歌手、司会者としても活躍し、ネクスト・ドラァグクイーンを決めるオーディション番組『ル・ポールのドラァグ・レース』で司会を務めています。

「私たち世代からすぐ下の第4世代までは、日本独自のドラァグクイーン感が引き継がれていました。でも第4以降は、ル・ポールのようなセンセーショナルでハイブリットな子が増えて、和と洋がミックスされてきました。今はクイーン界も、『共存・共鳴』に変わっています。『できることがあれば、一緒にやろう』と。多様性の中でさえも認め合うというか。『あなたはこれが得意だから、こういうイベントがある時はあなたに頼るわ』と、共感に移行しているようにも感じます」

――ショーを見に来る方は、どんな方が多いのでしょうか。

「趣旨や場所にもよりますが、ゲイや、性自認がわからない人も多いですね。最近は、LGBTQの活動を応援するALLY(アライ)と呼ばれる一般の方も増えています。マイノリティーを受け入れてくれる皆さんもいる。今はドラァグクイーンも認知されて、特に目立ったものでもなくなっています。先輩たちのメディアでの活躍もあるし。良くも悪くも世の中に溶け込め始めている気がして、新たな時代を感じています」

――サマンサさんは普段から女性の格好をしているのですか。

「普段は男性の格好で、仕事やテレビはサマンサの格好です。私生活は男の子、おっさんなんですよ。ひげもはやしてるし(笑)。私はニューハーフ(トランスウーマン)さんではないから、『女になりたい』じゃない。分かりやすく言ったら『一般ゲイ』かな。ベースはゲイだけど、私も自分の感覚が何周か回って(笑)、『男の子でも女の子でも、気持ちが通うかどうかは“その人”』という感覚になっています。ご理解いただくのが難しいですよね(笑)。『“その人”の魅力』を大事にしています」

□サマンサ・アナンサ 大阪府在住。3歳から英語に触れ、アメリカンハイスクールを卒業。2003年にANAグループに入社。ゲイコミュニティーの交流から、05年に友人が企画するイベントでMCを務め、ナジャ・グランディーバのアドバイスでドラァグクイーンの活動をスタート。『ミチコロンドン』のアンバサダーや取締役を経験、大黒摩季のツアーやラジオにも出演。23年に松竹芸能に所属し、テレビ番組、ラジオ番組、イベントに出演。

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