中村雀右衛門、女方最高峰の父の厳しさ語る「『全然ダメ』『勝手にやれ』と、いなくなっちゃう」

歌舞伎俳優の中村雀右衛門(じゃくえもん)が13日、都内で行われた歌舞伎座『三月大歌舞伎』四世中村雀右衛門十三回忌追善狂言『傾城道成寺』の取材会に出席した。

取材会に登場した中村雀右衛門【写真:ENCOUNT編集部】
取材会に登場した中村雀右衛門【写真:ENCOUNT編集部】

“しっとり”と色っぽい父「師匠であり、親ですけど、感心する」

 歌舞伎俳優の中村雀右衛門(じゃくえもん)が13日、都内で行われた歌舞伎座『三月大歌舞伎』四世中村雀右衛門十三回忌追善狂言『傾城道成寺』の取材会に出席した。

『中村雀右衛門』は女方の大名跡。雀右衛門の父である四世雀右衛門は、2012年に91歳で亡くなるまで昭和、平成と大活躍した女方。戦後の歌舞伎界で“女方最高峰”と呼ばれた六代目中村歌衛門亡きあとに“女方の最高峰”とされていた。また、江戸時代よりも古い歴史上の物語や事件などをベースにした作品『時代物』の姫役のうち、女方の大役で至難とされる『金閣寺』の雪姫、『本朝廿四孝』の八重垣姫、『鎌倉三代記』の時姫の“三姫”や、『京鹿子娘道成寺』の白拍子花子など、多くの当たり役を持つ。瑞々しくつややかな芸と色気で観客を魅了した。

 三月大歌舞伎の昼の部では、四世雀右衛門の十三回忌追善狂言として『傾城道成寺』を上演。雀右衛門は父が演じた傾城・清川を演じる。

 雀右衛門は「父が大切にしていた“道成寺もの”。襲名の時も前回の追善でもさせていただきました。父が“道成寺もの”に対して昔から思い入れが強く、精力的に勤めていました。わたくしも、小さい時に父からいろんなものを教わっていますが、道成寺を三越劇場で最初にさせていただきました。それ以来、公演がない時でも父がそれとなく教えてくれていたので、私にとっても道成寺は同じように大事です」と語った。

“道成寺もの”とは、恋人である僧・安珍を追いかけて執念のあまりに大蛇になった清姫が、安珍が隠れる道成寺の鐘に巻き付いて焼き殺したという伝説をもとにした舞踊で、さまざまなバリエーションがある。

「これまで『豊後道成寺』や『現在道成寺』、『二人道成寺』などは勤めさせていただきましたが、『傾城道成寺』は今回が初めて。父の風情や雰囲気を思い浮かべても、『傾城道成寺』は重要な道成寺もの。十三回忌ということで選びました」と、演目を選んだ理由を説明した。

 父との稽古の思い出を聞かれると、「『やってごらん』と言われ(見せたら)、ちょっとした手の位置の違いや、『腰を入れる』というのがこんなに難しいことなのかと(感じさせられた)。『この形』『違う違う』と後ろから手足を持たれる。(持たれた位置では)自分が思っている形と違和感があるのですが、鏡や映像で見ると『なるほど、こういう形なんだ』と。ある種、手取り足取り教えてもらった。間の取り方、息を堪える、足をトンッと踏み出す時も、思いを入れてやる。手先、指先、目の位置。小さい時は猫背だったので、『それではいけない』と、貝殻骨をキュッと引っ張られました」と振り返った。

 普段は優しい父も指導は厳しかったといい、「『やってごらん』と言われて、できていないと『全然ダメ』『勝手にやれ』と、いなくなっちゃう。『勝手にやれ』って、できるならやってるんですけど(笑)」と懐かしんだ。

 父の教えについては、「どの演目も全力投球。教えてくれる時に、『お前、気持ちが足りないんだ』とよく言われました。『もっと気持ちを凝縮して、役の性根や魂を凝縮しないと、お客様には伝わらない』と厳しく言っていました。思いを常に全力投球しながら、ひとつの役に魂をこめていた気がします。その分、お客様には濃厚に受け止めていただいていた」と思い返した。

「高校生くらいの頃は、『小学生に大学の話をしてもわからないけど。お前に言ってもしょうがないんだけど』って言われたこともある。『ごもっともです』という感じで、何回やっても父と同じように(セリフを)言えなくて、もどかしさがありました」と悔しさも明かした。

 また父の魅力について、「傾城などのお役の時に、やっぱり色っぽいんですよね。きっちりしているんだけれども、その中に役、女方、女性としての色っぽさが常に身についているところがすごいなぁと思いますね。僕は“パサパサ”しちゃうというか、もう少し“しっとり”していないといけない。父はどんな時でも“しっとり”していました。師匠であり、親ですけど、感心する」と語った。「父の足元にも及ばないですが、ちょっとでも父の面影や、父のことを大事に見てくださった方に、もう一度『ああだったな』と思っていただけるような役者になりたい」と意気込んだ。

次のページへ (2/2) 【写真】中村雀右衛門の全身ショット
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