「ホームレスギャル漫画家」から17年…浜田ブリトニーの実業家としての顔、44歳の“今”

2007~10年、バラエティー番組で活躍したホームレスギャル漫画家がいた。浜田ブリトニー。ネットカフェや友人宅を泊まり歩きながら、漫画家、タレント業で大忙しの日々だった。底抜けに明るいキャラクターでお茶の間の人気者だったが、10年10月にタレント業を休止し、漫画家に専念することを発表。その後、交際相手と破局、第1子出産、復縁、結婚、第2子出産を経て、タレント業を再開している。傍らで実業家の道も歩んでいた。44歳になった浜田の「今」を取材した。

実業家の道を歩む浜田ブリトニー【写真:本人提供】
実業家の道を歩む浜田ブリトニー【写真:本人提供】

交際相手と破局、第1子出産、復縁、結婚、第2子出産を経て

 2007~10年、バラエティー番組で活躍したホームレスギャル漫画家がいた。浜田ブリトニー。ネットカフェや友人宅を泊まり歩きながら、漫画家、タレント業で大忙しの日々だった。底抜けに明るいキャラクターでお茶の間の人気者だったが、10年10月にタレント業を休止し、漫画家に専念することを発表。その後、交際相手と破局、第1子出産、復縁、結婚、第2子出産を経て、タレント業を再開している。傍らで実業家の道も歩んでいた。44歳になった浜田の「今」を取材した。(取材・文=白川ちひろ)

 浜田は東京・浅草にいた。“漫画家カフェ”2店舗をオープンさせていた。「オカオカ本舗」と「オカオカハウス」。インバウンドを狙っての展開だ。

「もともとは西新宿で飲食店をやっていましたが、コロナで大打撃をくらって、その後、コロナが明けてもあまり人が入らなくなっていまいました。そんなときに、浅草がインバウンドで盛り上がってることに気づいて、『日本の漫画が海外の方にウケるんじゃないか』と思いついたんです。それから1か月で移転し、オープンにこぎつけました。今では海外からのお客さまにとっての観光スポットのようになっています。先日は、お客さまに似顔絵を描いてお渡ししたら、すごく喜んでいただけました」

 浜田は芸能活動を休止後、18年に交際していたお笑いタレント・岩見透との間に第1子を授かったが、出産前に破局。シングルマザーの道を選ぶことを公表し、同年4月19日に女児を出産した。翌年、岩見とは互いの存在の大きさを再認識して復縁、同年3月13日に結婚を発表した。そして、21年1月21日に第2子の男児を出産している。

 子どもたちも手がかかる頃だが、浜田は果敢にビジネス展開。西新宿の店舗は、「人と人をつなぐパワースポット」をコンセプトにし、タレントや漫画家、経営者らさまざまな業種の客が訪れていた。だが、浅草にオープンした店舗は「業界では初の漫画家とファンが触れ合える店」だという。

「普通、漫画家の先生ってファンにとってはサイン会でしか会えないじゃないですか。だから、『もっとファンの方と交流する機会があったらいいな』って考えたときに、漫画家に会えるカフェがあったら面白いんじゃないかなって。ありがたいことに、この考えに賛同してくださったたくさんの漫画家の先生たちが、お店のトークイベントやギャラリーに参加してくださっています。出演する先生は2週間ごとに変わるシステムになっているので、これまでもたくさんのファンの方が来店してくださいました」

“漫画家カフェ”を営む浜田ブリトニー【写真:本人提供】
“漫画家カフェ”を営む浜田ブリトニー【写真:本人提供】

 店内には、平成初期に『つるピカハゲ丸くん』をヒットさせたのむらしんぼ氏、実写化もされた『まいっちんぐマチコ先生』のえびはら武司氏ら、数々の有名漫画家のサイン色紙が飾られている。ファンにはたまらない空間だが、同店は「漫画家のため」の思いもあって開店させていた。

「この業界に入ってビックリしたのは、作品は大ヒットしたのに、その後の連載が決まらず、収入が途絶えてしまった漫画家が多くいることでした。そんな才能あふれる先生方に『このお店を使って、ぜひ、収入を得てほしい』というのも、オープンのきっかけになっています。連載が終わっても、漫画家先生の根強いファンの方はたくさんいます。今後もサイン色紙やグッズの販売などで販路を広げて、先生の収入になるようサポートできたらうれしいです」

 だが、誰も試みたことがなかった“漫画家カフェ”。採算は取れているのだろうか。

「昨年12月、『年末ジャンボ色紙展』と題した漫画家さんの色紙を店内にたくさん飾るイベントを行い、ファンの方に向けてオークション形式でオリジナルの絵を描いた色紙を販売しました。そうしたら、『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』を描いた藤原カムイ先生や、『やるっきゃ騎士』のみやすのんき先生の色紙が35万円と超高額で落札されました。先生にもファンの方にもとっても喜んでいただけて、本当に『オープンして良かったな』と思いました」

 もっとも、浜田の事業意欲は店舗の経営だけにとどまらない。

「オンラインで漫画を教える講師業のほか、企業向けにPR用の漫画の提案をしています。出版社での連載だと原稿料は会社に決められてしまいますが、企業にご提案する形の方が原稿料が高い場合があるので、ありがたいことですね。あとは、ホラー漫画家の御茶漬海苔先生や美魔女漫画家のかなつ久美先生たちとバンドを組んで歌ったり、歌手としても活動しています」

 ホームレス漫画家として世に出て約17年。浜田は波瀾(はらん)万丈な歩みをもプラスに、強くたくましく生きている。

□浜田ブリトニー 1979年4月7日、千葉県生まれ。漫画の専門学校に在学中、売り込みに行った出版社の編集者から「自分のことを描いたら」と言われ、ギャル漫画を描くように。2007年、ビッグコミックスピリッツ(小学館刊)で『パギャル!』の連載を開始。家を持たない“ホームレス漫画家”としても注目され、タレント兼業で数多くのテレビ番組に出演した。10年10月には、タレント業休止と漫画家専念を発表。その後、2児の母になり、実業家として積極的なビジネス展開を続けている。資格は「JAMアンチエイジングアドバイザー」「肥満予防健康管理士」「日本愛玩動物協会公認 愛玩動物飼養管理士1級」など。146センチ。血液型A。

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