青木真也を怒らせた日から2年、「最後の戦い」を前に記者が感じた寂しさと貫いてほしい“エゴ”
総合格闘家の青木真也は28日に開催される4年ぶりのONEチャンピオンシップの日本大会「ONE 165」(東京・有明アリーナ=ABEMA PPV ONLINE LIVEにて国内独占生中継)で元UFCファイターのセージ・ノースカット(米国)とMMA戦を行う。自ら「最後の戦い」と位置付けた1年10か月ぶりのMMA戦へ向けて、青木を直撃。どうしても聞き逃せなかった一言があった。
1年10か月ぶりのMMA戦は「最後の戦い」
総合格闘家の青木真也は28日に開催される4年ぶりのONEチャンピオンシップの日本大会「ONE 165」(東京・有明アリーナ=ABEMA PPV ONLINE LIVEにて国内独占生中継)で元UFCファイターのセージ・ノースカット(米国)とMMA戦を行う。自ら「最後の戦い」と位置付けた1年10か月ぶりのMMA戦へ向けて、青木を直撃。どうしても聞き逃せなかった一言があった。(取材・文=島田将斗)
「勝てたらいいなって思うんですよね。それは年齢によってなのか、キャリアによってなのか、エゴが引けてきているんですよね」とどこか達観しているよう。2年前、“あの”オーラに圧倒された自分は正直寂しい気持ちがした。
青木と初めて遭遇したのは約2年前。秋山成勲戦前に受けてもらったインタビューだった。新型コロナウイルス禍で記者になった私は当時26歳だった。それまでリモートでしかインタビュー経験がない。初の対面取材であった。
修斗、PRIDE、DREAMそしてONE。名だたる団体で戦ってきたMMAのレジェンド。小学生から柔道をやってきた自分は自然と青木の戦う姿に魅了されていた。緊張もあり、憧れもありで向かった個別取材。いきなり1問目で的外れな質問をしてしまった。青木は不快感をあらわにし、ふんぞり返り「全然違うな」とひとこと。そこから何も話さなくなってしまったのだ。頭の中は真っ白、変な脂汗を出しながら同席していた先輩記者にそのまま取材を代わってもらった。
甘かった。社会人になって、仕事相手をここまで不快にさせてしまったことはなかったと思う。しかも相手はあの青木。渋谷から会社に戻る道中も何も考えられなかった。3月だったが、その日の帰り道はとても寒かったし、景色に色がなかったように感じるほど、意気消沈していたと思う。
社会人になって他人に感情をぶつけてもらえる機会が減った。新型コロナのロックダウンもあって、人の感情に直接触れることが少なくなった。ここまで態度に出してぶつけてくれる人間は少ない。この出来事が取材への姿勢を確実に変えるきっかけになったしプロとは何か、“青木真也”とはどういった存在なのか、を深く考えるきっかけになった。
青木のことを自分なりに学ぶことにした。「エゴ」にはさまざまな意味がある。青木のように確固たる意志を持って戦う格闘家は少ないと感じた。例えば、青木は不特定多数に向けて商売をしていない。多くがYouTubeで発信をするなか「自分の客」のために別のプラットフォームを使い考えを発信している。全てを読むためには課金が必要なものも多い。
格闘技で「強さ」とは何か。勝つめたの競技力、身体的な強さを想像するかもしれない。青木の考えは違った。
「客を呼べる影響力、プロモーターとの信頼関係」などすべてをひっくるめて「強さ」なのだという。優秀な選手がそろった興行を見ていても、盛り上がるとは限らないし、一方で数字が取れるものが必ずしも面白いものとはいえない。青木の“自我”を通して見ることで物の見方を考えさせられた。
ムスメシ戦前に語っていた「惨めではない」
青木は試合を「する」ではなく「創る」と言う。難解だった。でも、何度か青木をインタビューするうちに少しずつ理解できるようになった。
試合が瞬間的に消費されないものにしている。例えば、昨年10月7日のマイキー・ムスメシ(米国)とのグラップリング戦。今回の試合へ向けたインタビューで、MMAファイターである青木は「恥ずかしいけど、惨めではない」と力強かった。
あの試合のテーマは「納得いかない仕事をみんなやってる」ということだった。2023年はMMAのオファーはなかった。MMAとは別競技といえるグラップリング戦を受けた。それが「社会にとって有益である」と考えたからだ。
ネガティブな思いもあるが、試合が近づくにつれて心がクリアになっていった。さらに28歳の竹浦正起氏を同行させ、“青木真也の作り方”を見せていた。試合結果としては、かつて自分が披露したアオキロックを極められ敗戦。試合後のインタビューでは気丈に対応していたが、盟友とも言えるエドゥアルド・フォラヤン(フィリピン)との会話では涙を流していたのが印象的だった。
“青木真也のMMA”が見たかった。そんなファンも多いだろう。私もそうだった。なぜ青木はあそこまで潔かったのか。「売れなくていいものも大事にしてる」というコンテンツに対する考え方がヒントになると思う。
「noteに『これ売れないでしょ』って記事あるでしょ? こっちもそれは分かってる。売れなくても『これ大事なんだよね』ってことは残すようにしてる。数字を取れなくても、自分が面白いものを作るっていうのは大事なのよ。でも、遊ぶためには最低限の数字を作っておいて及第点をクリアしておくと好きなことやれるじゃん。俺はそれをすごい大事にしてる」
格闘家は試合の先に何を見ているのか。成り上がり、知名度、家族を養うこと。青木も20代までは勝敗を中心に考えていたという。今年41歳になる現在はどうか。社会人として生きていると誰もが遭遇するような“壁”を試合までの間に表現していると思う。
今回のテーマは「引き際」
SNSの普及やAIなどにより古きものが新しいものに生まれ変わっていく現代。一方で、「年功序列」や「終身雇用」など古い雇用システムは色濃く残っていると感じる。「上が詰まって昇進できない」は20代の私でもよく聞く。
それこそが青木の今回の試合テーマである「引き際」だ。前戦後やカード発表会見で飛び出した「最後」の言葉。それは決して「引退」ではなく、青木の言葉を借りれば、「トップリーグで万全の状態で戦う“最後”」だ。
「引き際が問われている」とうなずく。「別に俺は辞めるわけじゃないんだが、トップ戦線を一歩引こう、みたいに思うのは全ての人も一緒です。辞め方が問われてるんですよ」と言いながら、真っ直ぐこちらの目を見た。
“終活”という言葉もよく耳にするようになった。「自身の貯蓄で何とかする者もいれば、家族や社会保障システムに頼る者もいるだろう」。青木はこう続けた。
「いまは始めることよりも辞め方やしまい方が問われていて、なんかそれを(見せることが)自分ができると思うの。『俺は先輩方とは違う』って気持ちがあって。“あなたたちどう生きますか”ってのを俺がうまく出せる気がするんですよね」
青木真也の一挙手一投足が“映画”
青木の言葉は難解だが、筋が通っている。日本の格闘技界で唯一無二の存在になった要因はいくつかあると思うが、強烈な“エゴ”を出し続けてきたこともその理由のひとつだと思う。
4年ぶりに開催されるONE日本大会。メインカードではONEデビュー戦の武尊がスーパーレックとタイトルをかけて拳を交える。
青木はこの大会を「背負うのは武尊」と発言してきた。大会名にも武尊の文字が入っているため、当然と言えば当然なのだが、すでに「一歩引いた」ようにも感じるこの発言が自分にとってはどこか寂しいし、悔しい。ただの試合ではない。試合に向かっていくまでの道のりから試合後まで……。一挙手一投足が青木の言う“映画”なんだと私は思う。
だけど、「エゴが薄れてきた」と語る青木真也の姿が少しだけ寂しい。格闘技を仕事と割り切れているからこそ、“引き際”を迎える心境も青木だからこそだと思う。でも最後まで強烈な“エゴ”を貫く姿が見たい。
青木真也の闘いを、自分の生活と重ねている者もいる。「40歳過ぎて『こんにゃろ~』ってなってたら大丈夫? って思われるかも」と笑っていたけど、やっぱり私は「こんにゃろ~」な青木を見ていたい。