地震で暗転した能登の移住生活「頭の中、真っ白」 壊れた日常に30代男性「何もできない」

能登半島地震は移住者にも大きな影響を与えている。30代の山際健介さんは2年前、埼玉から奥能登の輪島市・南志見(なじみ)地区に移住した。妻と2人、将来子どもをのびのび育てたいとの思いもあり、自然豊かな環境が決め手だった。山際さんは漁師になり、妻も塩田で働く新生活は軌道に乗っていたが、その矢先の大地震。孤立集落のため、全員金沢に避難となり、自宅には戻れなくなった。暗転した移住生活に「頭の中、真っ白」と途方に暮れている。

干上がった能登の海【写真:山際健介さん提供】
干上がった能登の海【写真:山際健介さん提供】

全員一斉避難… 2年前に埼玉から移住、孤立集落の漁師が語る

 能登半島地震は移住者にも大きな影響を与えている。30代の山際健介さんは2年前、埼玉から奥能登の輪島市・南志見(なじみ)地区に移住した。妻と2人、将来子どもをのびのび育てたいとの思いもあり、自然豊かな環境が決め手だった。山際さんは漁師になり、妻も塩田で働く新生活は軌道に乗っていたが、その矢先の大地震。孤立集落のため、全員金沢に避難となり、自宅には戻れなくなった。暗転した移住生活に「頭の中、真っ白」と途方に暮れている。

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「住んでいる町は年寄りの方ばかりなんですけど、みんなすごく優しいんですよ。漁師の人も普段は血の気多いけど、すごく面倒見がいいんです。僕は離れたくないですよね、この場所。移住者でまだ2年しかたってないけど、そんな自分たちをすごく受け入れてくれて毎日、野菜とかね、隣の人や近所の方がくれて、定置の船に乗っているときはいつもバカみたいなこと言って笑ってね。この環境がすごく好きだもんで、離れたくはないです。でも、住む場所も仕事もないし、どうしようかなって。頭の中、真っ白ですね」

 先の見えない未来に、山際さんはこう不安をこぼした。

 埼玉から奥能登に移住したのは2021年10月だった。コロナ禍で閉塞感の漂う時代。東京で営業マンをしていた山際さんは環境の変化を求めた。「昔から魚が好きで、漁師になりたかったというのもあって」。のちに妻となる恋人と同棲中で、子どもが生まれることも想定し、移住先を探した。

 能登を選んだのは、都会では得難いのどかな空気や自然があったからだ。

「お互いに能登という土地が好きで、何回か下見に行きました。今の漁船は定置網なんですけど、定置網の社長ともご縁があり、体験漁業をさせてもらいました。家も空き家バンクで見つけて、それで移住したんです」

 南志見地区は、輪島市中心部から車で北に15キロほどの集落。人口は729人(2023年10月1日現在)で、「本当、限界集落みたいなもの」という。空き家バンクを通じて契約した2階建ての一軒家は海からわずか200メートルの好立地で、夜には星空が見える。月の家賃は3万5000円で、理想的なすみかだった。場所柄、高齢化や過疎化が進んでいることは知っていた。

 山際さんは定置網漁の漁師として、新たなスタートを切った。地元の消防団に所属し、地域のためにも活動していた。

 元日は実家のある名古屋に帰省していた山際さんが、能登に戻ったのは6日だった。発電機やガソリンなどの支援物資を積んで消防団に渡した後、自宅に帰った。

 幸い、家は原形を保っていたものの、中はぐちゃぐちゃだった。

「ほかの家に比べたらまだましなんですけど、窓は2、3か所も割れて飛び出て、天井や壁も落ちているところが結構あって修復不可能な状態。棚は全部開いて、中身は落ちていました。冷蔵庫も開いたままで、雨漏りはキッチン、洗面所、2階の寝室だとか数か所あって、瓦も結構落ちちゃってて」

 金庫から貴重品を取り出し、持ち帰った。近所の家は「ほぼ100%の家が壊れちゃった。壊れて住めない状態」で、景色は一変していた。

土砂崩れで海沿いの道が閉ざされた【写真:山際健介さん提供】
土砂崩れで海沿いの道が閉ざされた【写真:山際健介さん提供】

「泣きながらヘリコプターに乗せられるおばあちゃんもいて…」

 南志見地区は余震により避難所が倒壊する恐れなどがあり、10日、11日の2日間で住民は全員、金沢の体育館に移送された。

「いきなりヘリで金沢に行けとか言われても、心の整理もつかない人がいて、家にしがみついてる人もおって、すごい説得して、ここにおったら支援もなくなるし、もう死んでまうぞっていう話で。高齢の方ばかりで、余生を暮らしとる人ばかりなんで、どうせ、もう戻れんならこの家でっていう感じだったと思いますよ。もう本当、言葉にならなかったです。泣きながらヘリコプターに乗せられるおばあちゃんとか、見てらんなかったですよ」

 次はいつ戻ってこられるかも分からない。誰もが地元を離れたくない。説得する側も、つらい仕事だった。

 山際さんは金沢の体育館には避難せず、手続きを済ませて名古屋の実家で待機している。会社からは当面の間、休業を言い渡された。輪島市周辺は地震により地盤が隆起。海だったところが陸になり、深刻な被害が出ている。「輪島の港まで船が来たとしても陸になっているので、港に入れない」。また、山際さんの会社は冬場は漁をせず、業務は魚の加工に切り替わるが、魚の加工場も壊滅的なダメージを受けた。

 これからどうするか、思案を重ねているが、答えはまだ出ない。

「仕事ができたとしても、その集落の人間たちがみんな戻ってこられるかと言ったら、たぶん戻ってこれないとは思うんですよね。金沢から。逆に家があったとしても、今まで通りの日常は、完全にはもう戻らないですね」

 能登に対する愛着はある。能登の温かみに触れ、暮らしてきた。集落の中で生活は成り立っていた。

「すごい悲しいというか、町の風景見ても、どこもかしこも、神社も何もかも壊われてしまって、水道、電気も通らんし、道路も土砂崩れで行けんし、家だって住めんし、海だってもう干上がってて、漁師はなんもできんし、もう何もできないんですよね」

 全員避難の際、再び地元に戻れる時期については、「インフラの整備は数年かかる」との説明があった。

「家族とか、いろんな人に言い聞かせてるんですけど、命あるだけまだなんとでもなる。でも、実際は不安ですよ。一番は生活面ですよね。仕事がいつ再開されるかも分かんないですし、もう全て心配。頑張りたい気持ちはすごくあるんですけど、どこまで頑張れるか、頑張れるのかなっていう。ただ、やれることを1つずつやっていくしかないなって。みんなで力合わせて頑張って、また能登で漁師やっていきたいなっていう気持ちはあるんで。それに向けて自分は動くだけですね。後ろ見ても何もないもんで、ゼロからまたやり直す。その道を今、探している感じですかね」

 希望を抱いた移住生活は、転換期を迎えている。

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