【ズバリ!近況】グルメな彦摩呂さんのステイホーム中の食費は月4、5万円! なぜ可能だったのか?
節約が得意で、ステイホーム期間中の食費は月4、5万円だった
それまでも番組のダイエット企画で痩せたことはありました。でも、企画が終わったとたんリバウンド。だから、135キロになったときは自分で考えて、少しずつ2年半かけて20数キロ落としました。主には糖質制限の食事と意識改革。野菜から食べるとか、腹八分目で“残す美学”を実践するとか。無理な運動はしていません。ストレッチぐらいですね。
食事量はそれほどでもないと思いますよ。豚バラ肉でいうたら、1回200グラムぐらい。だから、ステイホーム中も食費はそれほどではありませんでした。週2回スーパーに行って必要なものだけ買って、1回4000~5000円。大量にあるいただきものもあったしで、結局、1か月4、5万円でした。冷蔵・冷凍庫にパンパンにあった食材はキレイに食べ尽くして、久しぶりに冷蔵庫の野菜室の底を見ましたね。
というのは、食べるものが無くなることが何となく不安になるので、ちょっと減ったら買って、ついジャガイモとかタマネギとか野菜室の中で根っこ生やしてしまうクセがあるんです。でも、冷蔵・冷凍庫の中を端から食べて、買った食材もきちっと使いきるようにしているうち、食べ物を大事にしなあかんな、という気持ちが改めて強くなりましたね。
「飲食店のおじちゃん、おばちゃん、食べに行くから待ってて!」
デビュー当時はカッコいいアイドルだった? グルメリポーターになって1日3~4番組はしごして、朝5時からフレンチのコース食べたりしてたら、30歳過ぎから太りだして、アッという間にデビューから2倍の体重になりました(笑)。でも、自分では、アイドルのときはちょっと背伸びしていたので、今のほうが自分の性格に合っていて納得してるかな。
僕、もともと人なつっこくて、人が好きなんです。リポーターは自分から「やらせてほしい」と手を上げて、機会をいただきました。ロケ先でいろんな方に出会って、仲良くさせていただくのが、すごい楽しい。料理はもちろんおいしくて、食べ物が確かにお腹を満たしてくれるんですけど、作ってくれたおっちゃん、おばちゃんの気持ちが料理一品一品にこもっている。それが大事。僕はその気持ちをキャッチできるオッサンになっていこうと思うんですよ。
コロナで外出自粛になって、ロケはもちろん、外食もできなくなったやないですか。「あの店の、あのおっちゃんに会いたい」「おばちゃんに会いたい」と思うんです。でも、できない。東京・練馬のトンカツ屋さんが亡くなった、という話を聞いたときは号泣しました。「みんな、もうちょっと耐えてて。また食べに行くから」って思っています。コロナでステイホームしながら、自分が今までやってきたことを振り返って、いろいろ感じることもありましたけど、やっぱり、飲食店が元気じゃないと。それには彦摩呂も元気やないとあかん。まだまだ頑張ろうと思っていますよ!
□彦摩呂(ひこまろ)1966年9月15日、東大阪市生まれ。高校2年のときにアルバイト先でカメラマンにスカウトされモデルに。高校卒業後、スーパーに勤務も1年弱で退職。夢だった芸能界を目指して上京し1988年2月、原宿で演劇パフォーマンス集団「幕末塾」結成。同年5月、「ナイスガイ・コンテスト」(フジテレビ主催)で準グランプリに選ばれ、翌1989年4月、シングル「Come on Let’s Dance」(NECアベニュー)でデビューした。グループ活動をしながら23、24歳の頃、紀行番組「山田邦子の旅くらぶ」(日本テレビ)でリポーターデビュー。グルメリポーターとして活躍中。