【週末は女子プロレス♯135】藤田愛が引退から20年、47歳での一夜限りの復活に「すごくワクワクしている」
1998年に旗揚げし2003年に消滅したアルシオンが1月12日(金)東京・新宿FACEにて一夜復活、「ARSION THE FINAL~卒業~」で、うやむやなまま終わってしまった団体活動に正式なピリオドを打つ。
2003年に消滅したアルシオンが1月12日に興行「ARSION THE FINAL~卒業~」
1998年に旗揚げし2003年に消滅したアルシオンが1月12日(金)東京・新宿FACEにて一夜復活、「ARSION THE FINAL~卒業~」で、うやむやなまま終わってしまった団体活動に正式なピリオドを打つ。
当日はアルシオンでデビューした現役のほか、ゆかりある選手も参戦、さらに多数のOGが来場し、トークショーと試合で当時の熱気を蘇らせる。そのなかでOGとして試合をおこなうひとりが、“ガングロ天使”のニックネームと華麗な空中殺法で人気を呼んだ藤田愛だ。
現在47歳の藤田は、3児の母。引退からすでに20年が経過しようとしているが、「アルシオン愛」は人一倍大きい。だからこそ、参加要請はもちろん、試合も二つ返事で承諾した。「復活の知らせはうれしかった」と言うが、現実を見つめ「不安にもなってきた(笑)」とも。それでも当時のコスチュームは保管しており、当日もそのコスチュームでリングに上がるつもりでいる。
そもそも彼女は、中学生の頃からお笑い芸人にあこがれていた。高2のときにオーディションを受けるも不合格。それでも高校卒業後、大阪に行き吉本総合芸能学院に入所、デビューを目指した。女性同士の漫才コンビを3度組み、ライブやイベントなどで舞台に立った。そのなかのひとつのコンビ名が「匿名父さん」。しかしなかなか芽が出ず、「お笑いで食べていけるのか…」と不安になった。
「当時、まわりにすごい人がたくさんいたんですよ。いまの次長課長や野生爆弾、ブラックマヨネーズとか。そういうのもあって、自分はお笑いでは厳しいと思ったんですけど、違う形でもいいから彼らよりも早く世に出たいと考えていたんですよね」
そんな頃、吉本興業のスタッフから声をかけられた。「がたいええからプロレスやってみない?」。声をかけたのは、吉本女子プロレスJd’の代表に予定されていた人物だった。確かに藤田は小学生の頃から体操をやっており、運動には自信があった。そこで旗揚げ前の練習に参加。しかしその人は代表になる前に異動となり、藤田のプロレスデビューもいったん白紙になった。
が、別の人から「海外に行ってみたら?」とのアドバイスを受け、アメリカとメキシコへ。すると、海外で待っていたのは奇跡的出来事の連続だった。ロサンゼルスでバス・ルッテンの練習に参加し、アマリロでは偶然、テリー・ファンクの引退試合を目撃した。そしてメキシコでルチャリブレを観戦。しかも現地メジャー団体CMLLの年間最大ビッグショー「アニベルサリオ」を体感したのである。スケールの大きいプロレスにすっかり魅了された藤田は、プロレスラーとしてやっていくことを心に決めた。
さらにメキシコでは、ウルティモ・ドラゴン主宰の闘龍門で道場を借りて練習することができた。そして、アステカ・ブドーカンにおけるアマポーラ戦でルチャリブレデビュー。98年8月、CMLLの後楽園大会でミス・モンゴルとのエキシビションマッチで日本のリングを踏み、その後アルシオンへ入団。99年4・14後楽園でのキャンディー奥津&藤田組vs浜田文子&秋野美佳(AKINO)組で正式デビューを果たしたのである。
「プロレスやってよかったなって思います。プロレスラーになれてよかった。自分の場合ほとんどアルシオンしか知らないけど、とにかく人に恵まれましたね。あの中だからやってこれたというのはあると思います」
空中戦を主体とした闘いやボクシングにも挑戦、大向美智子とのサイバージャンクスでタッグチームとしても活躍した藤田。アルシオンは世紀をまたにかけてもっとも勢いのある女子プロ団体だったと言っていい。しかし団体は01年あたりからエース格が次々に離脱、しだいに求心力を失っていった。そして03年6月、AtoZに吸収される形で姿を消した。選手たちには寝耳に水の出来事。藤田も、知らない間にアルシオンからAtoZ所属となっていたのである。
「切り替わりがはっきりしないままAtoZになっていたというか、事後報告みたいな感じでした。そのときは悔しさが一番だったと思います。言われるがままで、自分でも納得いかない部分がありましたね」
そして藤田は、団体移行後半年で退団し、引退を発表。04年4月10日、「藤田愛引退興行」における大向&藤田組vsライオネス飛鳥&アジャ・コング組戦で5年間の現役生活にピリオドを打った。この大会は、藤田なりのアルシオンへのケジメでもあったのだ。
「やっぱり自分の中でアルシオンが捨てきれていなかった。結局、AtoZでもアルシオンを引きずっていたと思うんですよ。それだけアルシオン愛が強かった。だから最後は悔いのない形で終わらせたかったんです。動けるうちに引退したいというのがやめた理由ですけど、団体がああなってしまったのが契機になった部分は確かにあります。だからフリーになったし、最後で(アルシオンの)みなさんに集まってもらえたのは、ホントによかったですね」
現役vsOGの3対3マッチ「なにができてどうなるのかまったく想像つかない」
引退後は地元・岐阜に戻り結婚、3人の女の子に恵まれた。現在もときどき娘たちを連れてプロレス会場に足を運ぶ。娘たちも母親がプロレスラーだったことは理解しているという。
「16歳、14歳、8歳。みんなプロレスを見るのは好きですね。プロレス見て帰ってくると、3人でプロレスごっこが始まるんですよ。2人が闘って1人がレフェリー役みたいな。スリーカウント入ったら交代して(笑)。多少なりとも自分が影響してるんだろうなって思います」
そして今回、藤田が現役時代のコスチュームに再び袖を通す。1・12新宿、藤田のカードは大向、府川唯未と組んでAKINO&Leon&山縣優組と対戦する6人タッグマッチ。つまり、OG3人対現役3人だ。この場合、現役とOGが組むというのが普通だろう。が、このカードではあえて現役とOGがハッキリと分けられている。OG組が圧倒的に不利と思われるが……。
「確かに私たちの方が不利ですよね(笑)。ただ、不利なら不利で作戦を練るしかない。まったく歯が立たないというわけではないと思います。と言っても、なにができてどうなるのかまったく想像つかないんですけど。リングを離れたオバサンが3人、なんだかすごくワクワクしてるんですよ。ブランクの期間まったく何もやってなかったので、まずはランニングから始めました。やってみなければわからないけど、アルシオン復活が話題になって楽しみにしてくれる方がたくさんいると聞くと、すごい自分のモチベーション、エネルギーになりますよ」
この日、チームを組む大向と府川はアルシオン全盛期の象徴的存在でもある。02年8・31大阪でおこなわれた大向とのシングルは、彼女にとってもっとも思い出深い試合だという。
「サイバージャンクスとしてタッグを組むようになってからのシングルでした。あの試合はいまでも忘れられないです。次の日、あちこちが腫れてて顔がボコボコで。負けたんだど、すごく気持ちよかったんですよね」
一騎打ち前には4か月間にわたりタッグ王座を保持。大向とは組んでよし闘ってよしの関係だった。一方、府川とは対角に立つ機会がほとんどで、タッグを組んだのは新人時代の2回だけ。大向&府川&藤田でのトリオは初めてだ。
「サイバージャンクスとしてもう一度リングに上がれるなんて何歳になってもうれしいなと思いますし、府川さんと組んだ記憶がほとんどないんですよ。それだけに、すごく新鮮ですよね」
アルシオンという団体にケジメをつけるためにも、このトリオが必要だったということなのだろう。藤田にとって、いや、大向と府川にも、このトリオはアルシオン時代の忘れ物でもあったのだ(大向と府川はナチュラルツインビーというタッグチームを組んでいた)。
「私だけじゃなく、みんなそれぞれアルシオンに対して思うところがあると思うんですよ。やめたときとか、なくなったときとか、たぶんいまでもどこか心の片隅に残ってると思います。その思いを終わらせるというよりも、こんどの大会でちょっとスッキリさせられると思うんですよね。そしてあらためて、アルシオンがまたさらに、好きになると思います」
自身引退時に抱いていたアルシオンへの思いを、こんどは団体の卒業式という場で共有できる。活動停止から20年6カ月。あのときから燻るモヤモヤを晴らしたとき、爽やかな幕引きが待っているに違いない。